9-3

「だからって、なんでいっしょに来るのさー」

 広大な草原を歩きながら、クレシュがぶつぶつ文句を言った。

「だって、村長から再調査を頼まれたし、行先も同じだしな!」

 旅装束のヴァランが、クレシュの隣を歩きながら答えた。

「どうしてもって言うなら、先頭を歩いてー。あたしがしんがりを務めるから、あんたはみんなの盾になってよねー」

「お安いご用だ、任せとけ!」

 嬉々として前に出るヴァランを見ながら、ゼノは心の中で溜め息をついた。

 いつもの気楽な旅が台無しだ。何が困るといって、トアルの正体がばれないよう注意しなければならないのが、いちばん困る。擬態竜についてはだれもが信用できるとは限らないので、村長にも伝えていない。

 トアル本人は、いつもながらうまいもので、ゼノに支えられるふりをしつつ自力で歩き、ころあいを見ては「おしっこ」「おみず」などと言って休憩を促してくれる。急ぐときには、ユァンがトアルを抱えたり背負ったりしてごまかした。

 暖かい日差しに、草原を吹き抜けるさわやかな風。旅にはうってつけの日和だったが、進むにつれ、その日差しがしだいに強くなり、風が乾いてきた。膝のあたりまであった草丈が低くなり、草の種類が変わり、草そのものがまばらになって、やがて姿を消した。そのころには、足の下の土も乾ききり、周囲は一面の砂の海と化していた。

 ──これが、砂漠?

 初めて見る景色に、ゼノは気分が浮き立つのを感じた。話には聞いていたが、これほど広大なものだとは想像もしていなかった。どこを見ても砂、砂、砂。黄金色一色の地面が地平線まで続き、そこから上は雲一つない青空にくっきりと切り替わっている。

 だが、珍しい景色に感動できたのもわずかな間だった。

「……暑い……」

 じりじりと照りつける太陽。焼けつく砂から立ちのぼる熱気。上からも下からも炙られて、たちまち全身が干上がり、喉の渇きを覚えるより先に頭がくらくらしてきた。

 目の前の景色が揺らいで見えるのは、錯覚だろうか。気のせいか、砂の海が本当の水のように揺れてきらめいているような……?

「そこ、来るよー」

 クレシュの声を合図にしたかのように、砂の中から何か巨大なものが飛び出してこちらへ突っ込んできた。

「ほいよ!」

 すかさずヴァランが、大きな体には似合わない俊敏さで前へ踏み出し、相手よりもさらに高く跳躍して迎え撃つ。

 ヴァランが軽やかに着地した一瞬ののち、一行の左右に壁が落下して地響きを立てた。

 壁──いや、縦に一刀両断された肉と骨だ。蛇のように長い体が断末魔の痙攣を起こしてくねり、すぐに動かなくなる。体液は飛び散る暇もなく砂に吸い取られ、よくよく目をこらしたころには断面は干からびかけていた。

「へっ、蛇っ!?」

「ううん、砂鰻ー」

「魚っ!?」

 砂の中に魚がいることを驚くべきか、これほど巨大な鰻がいることを驚くべきか、鰻が人を襲うことを驚くべきか、もはやわからない。驚き疲れて平静を取り戻したゼノは、左右にそびえる死骸から目をそらしてつぶやいた。

「まさか、これが今夜の食事……」

「これは毒があるし、毒を抜いてもまずいよー」

 クレシュがまじめな顔で答えた。

「食べるなら、蠍がいいねー」

「蠍か、よし!」

 ヴァランがはりきって飛び出していった。

 はるか彼方で豆粒のような人影が飛んだり跳ねたりするのが見えたかと思うと、すぐにヴァランは獲物を引きずって戻ってきた。

 全長が彼と同じぐらいある、巨大な蠍だ。二つの鋏は大人の頭よりも大きく、毒針のついた尾の先端でさえ、トアルの頭と大差ない。

「……この毒は、平気なのか?」

「こいつらの毒は、火を通せば大丈夫ー。それにしてもヴァラン、ちょっと大きすぎー。鍋に入りきらないじゃんー」

「そんなこと言われても、このへんじゃ小さいのを探すほうがたいへんだって」

「なに、余ったらわしがいただくから、問題ない」

 おやじ姿のユァンが、いまにも舌なめずりしそうな様子で言う。蜘蛛の女王にも涎を垂らしていたぐらいなので、もちろん蠍も余裕で守備範囲だろう。

 早めに食事をとることにして、日よけの天幕を張り、外でクレシュとヴァランがそれぞれ鍋を取り出した。

 ──こんなに暑いのに、鍋? それ以前に、こんな乾燥した土地で、水は……?

 暑さでぐったりしたゼノが、薄目を開けて見るともなしに見ていると、ヴァランが両手を上げて何かをこねるような動作をした。

 と、その手の間の空気がきらきら輝きはじめ、透き通った震える塊になる。

 並べた鍋の上で手を離すと、塊はばしゃりと崩れて二つの鍋を満たした。

 水だ。

「おおっ!?」

 ゼノが思わず声を上げて体を起こすと、クレシュが口をとがらせて言った。

「ねー、ずるいでしょー。どこにいても水を取り出せるなんてさー。水を持ち歩く必要もないんだよー」

「ずるくなんかない。このせいで、遠くへ行く役目ばかり押しつけられるんだぞ」

「まんざらでもないくせにー。いったん村を離れたら、なかなか戻ってこないのは、どこのだれー」

 二人のやりとりには、幼馴染ならではの気安さがにじみでている。少し疎外感を覚えたゼノは、そういえば自分にはそういう仲間がいないな、とふと思った。いちばん近いのはオリヴィオだが、いっしょに育ったわけではないし、友人になる前は保護者でもあり師匠でもあった。考えてみると、自分はさびしい子供時代を過ごしていたのかもしれない。

「鍋には鋏しか入らないねー。残りは焼くかー」

「すぐに食べない分は、干物かな」

 調理担当の二人は、相談しながら手際よく作業を進めていく。

 岩陰に掘ったかまど代わりの穴に、枯れた植物を集めて火をつけ、鍋をかける。湯が沸騰したところで、二つの鍋に一つずつ蠍の大きな鋏を入れると、黒褐色だった殻がたちまち赤くなり、食欲をそそる香りが漂いはじめた。

 かまどの近くに用意した別の穴では、適当に切った部位を火の周りの砂に刺して炙り、焼けた身のいくつかを、さらに岩の上で干して乾燥させる。

「食事の用意ができたよー」

 うとうとしていたゼノは、クレシュの呼びかけにはっと目を覚ました。

 いつのまにか日が傾きはじめ、あれほど暑かったのが嘘のように涼しくなっている。

 茹で上がった鋏を二つに切ると、みっしり詰まった白い身が現れ、うまそうな香りがいっそう強く立ちのぼった。半分になってちょうど器のようになったものを一つずつ配り、ゼノとトアルは二人で分けることにする。匙を入れると、殻と身がすんなり離れ、弾力のある身が匙の上で揺れた。

「うまい……!」

 空腹だったのも手伝って、ゼノは口の中いっぱいに広がる滋味にうっとりした。

 ヴァランのことをうっとうしく感じたのが申し訳なくなるうまさだ。もちろんクレシュとユァンだけでも充分に満足できる食事を用意してくれたと思うが、ここまでの贅沢は予想していなかった。

 焼いた身のほうは香ばしく、また別の味わいがあり、食後に冷たい水までふるまってもらって、用心深いトアルでさえ目を輝かせていた。

 夜には一転して凍えるほどの寒さになり、五人は天幕の中で身を寄せ合って眠りについた。

 だが、翌朝早く、ゼノはヴァランの大声に起こされた。

「勇者様ばっかりひいきだ! なんでオレは仲間外れなんだよ!?」

 いつものように、トアルとクレシュ、そして鼬姿のユァンが、ゼノの上に折り重なるようにして眠っている。ユァンはちょうどゼノとヴァランの間に割り込む形で、片足でさりげなくヴァランを押しやっていた。

「何が不服じゃ」

 目を覚ましてすぐおやじ姿になったユァンは、さも心外だというようにヴァランを見て言った。

「わしの極上の毛皮のおかげで、ぐっすり眠れたじゃろうに」

「むう……た、たしかに毛皮は気持ちよかったけど……!」

「まあわしのほうも、おぬしの新鮮な水のおかげでぴちぴちじゃ。感謝するぞ」

「いやー、そんな、お礼を言われるほどのことじゃ……」

 すっかり気をよくしたヴァランは、いそいそと朝食の準備を始め、食後の後片付けも率先してすませ、元気よく先頭に立って出発した。

 ところが、全員を置いてきぼりにする勢いで進んでいたその足が、ためらうように速度を落とし、やがて完全に停止した。

「なあ……クレシュ」

 ヴァランはゆっくり振り返り、のろのろと口を開いた。

「ここには山が……あった、よなあ?」

 追いついた一同の目に映ったのは、砂漠の真ん中に突然現れた巨大な穴だった。


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