9-2

「いやー、途中で帰ってくるとは、クレシュ! そんなにオレ様に会いたかったか!」

 筋肉もりもりの大男が、クレシュの背中をばんばん叩きながら大声を轟かせた。

 日に焼けた赤銅色の上半身を惜しげもなくさらし、中途半端に伸びた麦藁色の髪を後ろで無造作に束ねている。全体的に暑苦しいが髭だけはきれいに剃っており、若々しい肌から推測するにクレシュと同年代だ。

 四人でぞろぞろとヴァランの家を訪ねたところ、開口一番がこれだった。

「で、こちらが噂の勇者様か! まじでひょろひょろだな! この体で旅を続けてるなんて、逆に感心感心!」

 同様に背中を叩かれ、あまりの強さにゼノは魂が抜けるのではないかと思った。

「そして坊主! 坊主が勇者様の息子だな!」

 ヴァランは大きな手でトアルの頭を撫でようとしたが、トアルはするりとかわしてゼノの後ろに隠れた。

「おーっと、怖がらせちまったか、悪い悪い!」

 少しも悪いとは思っていない様子で、ヴァランはさらにつぎの標的に向き直る。

「えーと、あんたは……ユァン殿、だったか。クレシュのおもりまでしてもらって、感謝するぞ!」

 ヴァランが差し出した右手を、ユァンは鼬姿のまま握った。

「ドウゾ、ヨロシク」

 ヴァランの動きがぴたりと止まった。やがてその額に脂汗がにじみ、全身の筋肉がけいれんするように小刻みに震えはじめた。

「……さ、さすがですな……ユァン殿」

 ユァンはにっと牙を見せて手を離した。ヴァランは急いで手をひっこめ、反対の手ですばやく撫でさすった。そうとう痛かったものとみえる。もっとも、ユァンが手加減していなければ一瞬で粉砕されていたはずだ。

 ユァンはいつもの筋骨隆々としたおやじ姿になって釘を刺した。

「人の子よ。おぬしらの勇者は、我が神でもある。ゆめゆめ軽んじるでないぞ」

「はっ、はいっ!」

 ヴァランは、ユァンの変身を目の当たりにした驚きもあってか、直立不動の姿勢をとって模範的な返事をした。

「……ユァン、ここでは神はやめてくれよ……」

 ゼノがいたたまれない気持ちで言うと、ユァンはくるりと顔を向けて説教口調のまま反論した。

「何を言う。神は神じゃ」

 神を敬う態度とはお世辞にも言えない。いろいろ突っ込みたいところだが、ゼノは諦めて口をつぐんだ。

「それよりも本題ー」

「おう、そうだったな! まずは中に入ってくれ」

 クレシュが催促すると、ヴァランはようやく気づいて一行を招き入れた。

 毛織の敷物の上に座るよう勧め、意外にも手慣れた様子で銘々に茶を配る。がさつに見えて、動きに無駄がない。この村では日常生活にまで訓練が行き届いているのかと、ゼノは恐れ入った。

「カイエのことが知りたいんだって?」

 自分も腰を下ろして茶を一口すすってから、ヴァランは切り出した。

「監視役はあんただったって聞いたけどー」

「いやー、面目ない」

 ヴァランは頭を掻いて苦笑した。

「尾行の途中、妙な連中に邪魔されてなー。そっちに気を取られてるうちに、いつのまにか消えてたってわけだ」

「妙な連中ってー?」

「うーん、どう説明すればいいか。全身白ずくめで、無口なやつらだった。そいつらの行列が前を横切ってな、迂回しようとしたら、あとからあとから湧いてきて」

 ゼノたち四人は思わず顔を見合わせた。

 ──アルテーシュの信奉者たち?

 白ずくめ、無口、行列……と聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは、例の白装束たちのことだ。いや、そんな連中がそうそういるはずもないから、十中八九間違いないだろう。

「そいつらを、前に見たことはー?」

「いや、初めてだった。なんだか薄気味悪いやつらでなあ。……おまえら、あの連中を知ってるのか?」

「直接会ったのは、ゼノとトアルだけー」

 また名前で呼ばれて、ゼノはくすぐったい気持ちになった。おにーさんでも勇者様でもなく、ゼノ。クレシュの態度はまったく変わらないが、呼び方が変わったことだけが、昨夜の出来事の唯一の証のようだ。クレシュの声で自分の名前を聞くのは、気恥ずかしいが、耳に心地よい。

「いや、鍵探しの旅とは直接関係ないんだけど」

 ゼノは、白装束たちと関わったときの事情を簡単に説明した。

「おいおい、クレシュ、いったい何をやってるんだ」

 聞き終えたヴァランの矛先はそちらだった。

「おまえがついていながら、勇者様をさらわれて売り飛ばされるとは!」

「うるさいなー。その話はいま重要じゃないからー」

 ヴァランの反応は想定内だったとみえ、クレシュは鼻にしわを寄せて軽くあしらった。

「それより、その白いやつらは、兄貴と組んでたのー?」

「さあ、どうだろう? 最初は偶然かと思ったが、意図的にオレを邪魔していたのは確かだと思う。カイエの姿が見えなくなったとき、やられた!と思ったあの感覚は、たぶん勘違いじゃない」

「つまり、彼自身の関与はともかく、白装束どもは監視役のおぬしを切り離そうとして、まんまとそれに成功したわけじゃな」

 ユァンがクレシュの仕返しをするようにちくりと言い、落ち度を指摘されたヴァランは鼻白んだ。

「うう……わかった、悪かったよ! 任務を完璧にこなすのは、難しいよな!」

 わかればよろしいとばかりにユァンは鼻を鳴らしたが、じつのところ、クレシュといっしょに自分も一杯食わされた口だということを、先手を打ってもみ消しただけかもしれない。

「え、えーと、そういえば」

 話をそらそうと、ゼノは口を挟んだ。

「クレシュのその……お兄さんは、遺跡巡りをしていたとか?」

「カイエって呼べばいいよー」

 クレシュがゼノに言い、つづいて自分もその質問に便乗した。

「そうそう、その話も聞きたかったんだー。兄貴は遺跡なんかで何してたのさー」

「ああ、それなんだが」

 ヴァランも、話題が変わってほっとしたように乗ってきた。

「訪ねた遺跡はどれも、ほとんど崩れかけた古い時代のものばかりだった。思うにあいつは、まだ魔王の封印について調べていたんじゃないかなあ」

「村を出ていったのにー?」

「というよりむしろ、そのために村を出ることにしたとか……? いや、オレの勝手な想像だがな」

「まー、ここじゃ、だれも兄貴の言うことなんか気にしてなかったしねー」

「おまえだってそうだろうが」

「あたしはちゃんと、話は聞いてたよー」

 クレシュは口をとがらせて言った。

「ただあたしはー、自分の目でいろいろ確かめたかっただけー」

「何言ってやがる。おまえのやってることは、あいつに真っ向から対立することじゃないか」

「あんたに言われたくないしー。あたしにはあたしの考えってものがあるのー。物事の本質は、見た目と同じとは限らないんだよー」

 二人の間では会話が成り立っているようだが、部外者からするとまったく話が読めない。ゼノは助けを求めてユァンを見たが、ユァンは素知らぬ顔で茶をすすっている。しかたなく自分で質問することにした。

「あのう、だれか説明を……」

「おう、すまんすまん!」

 ヴァランが振り返って強く肩を叩いたので、ゼノはまた魂が飛び出そうになった。

「カイエは昔から、腕は立つのにくそまじめでなあ! 案内人としての実務だけじゃなく、歴史やら意義やらを学ぶことにも熱心だったんだが、熱心すぎて道を外れちまったというわけだ」

 ヴァランはかいつまんで事情を説明した。

 カイエとヴァランは幼馴染で、ともに案内人候補として修練を積んでいた。魔王の封印など伝説に過ぎないと思い、修練も村の慣習ぐらいに考えていたヴァランに対し、カイエはすべてを真剣に受け止め、いつか自分こそが勇者を案内するのだと意気込んでいた。

 だがその熱意が裏目に出た。古い文献や言い伝えを調べていたカイエは、しだいに魔王の封印そのものに対して懐疑的になっていった。なぜ力のある神々が魔王を殺すことも封印することもできなかったのか、なぜ封印の更新を神ではなく人間が行うのか、なぜ毎回新たな四つの鍵を集めるという面倒な手順を踏む必要があるのか……それらにはすべて、伝えられていない隠された理由があるのではないか。

 やがてカイエは修練を拒否し、自分は案内人にはならないし、村の一員としてこの生業を容認することもできないと言って、村から出ていくことを望んだのだった。

「それがまあ、三年ぐらい前のことだ」

「三年? そんなに長い間、ずっと監視を?」

「あー、いや、監視っていっても、定期的に様子を見に行く程度のものだよ? 本人は、行先さえわかるようにしておけば、どこへ行くのも自由だし、何をするのも自由だ。村の秘密を洩らす以外はな」

「そんなに秘密が大事なら、いっそ村の記憶を封印したほうが早いような」

「それだと、記憶のほぼすべてになっちまうからなあ。それはあんまりだろ?」

「……たしかに」

 ゼノは同意したが、むしろ、秘密を守ることそれ自体にあまり意義を感じられなかった。

 位置を知られたからといって、状況はたいして変わらない気がする。興味本位で近づくには危険な場所ばかりだし、村にいたっては近づくことすらまず不可能だろう。魔王や勇者の話をしたとしても、せいぜい鼻で笑われるのが落ちだ。

 無理やりひきずりこまれた自分にしても、最初は関わらないようにすることしか考えていなかった。正直なところ、いまでも、魔王うんぬんの話をうのみにする気にはなれない。魔物たちに伝わる異説を聞いてからはなおさらだ。

 村人たちよりもカイエの考え方のほうが健全だと思えたが、もちろんそんなことを口にする勇気はなかった。

「それで、兄貴を最後に見た場所はー?」

「それなんだが」

 クレシュの問いに、ヴァランはしかめ面をして答えた。

「偶然なのかどうなのか……最後の鍵の近くなんだ」

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