情景描写と感情描写の切り替え
この項では情景描写とは、歩く、ため息をつくなどの行動や、雲が動いている、夕焼けが沈んでいくなどの風景の動きなどを含めたものとして定義し、感情描写とは、単に感情の動きを示すだけではなく、考えていることや、言葉にはせず、単に作中内で起きたこと(歴史など)を地の分で説明するような文章も含むものとする。
さて、情景描写と感情描写の切り替えと題したが、つまり何を指してのことかといえば、情景描写を書いたあとに感情描写を書き、感情描写のあとには情景描写を書くといったような、小説内において、主人公が見ている景色が内面に向いているか、外面に向いているのかという小説内における視点の移動を指してのことだ。
小説を書く上で、思うがままに書くといった作者自身の感覚に任せた創作方法は、作品に個性を出す上での重要なファクターとなり得るだろうが、しかしながら、その感覚だけで読みごたえのある小説を書き上げるのはよほど才能がなければ難しいだろう。
肌感覚でそれが分かるなら苦労はないが、多くの人はそんな芸当は不可能だ。それを可能にするためには理論に基づいたテクニックが必要だと私は考えている。そのテクニックを考案する上で、まずは情景描写と感情描写の切り替えについて考えていきたい。
まず、本項でのこれらの定義についてはすでに説明したとおりである。簡単に例えるなら、主人公が向けているピントが内か外か、ということである。
例えば、小説の登場人物たちが会話をしておるときに、その会話の途中で延々と感情描写を始めたとしよう。会話文は通常カギカッコで囲われた文章をいくつか並べることで構成されるが、そのカギカッコとカギカッコの間に延々と地の文が並べられるイメージだ。会話の間に挟まる文章量が多ければ多いほど、次の会話文を読むときに少し魔が空いたような気がしてしまう。会話文と会話文の距離が離れすぎてしまうことで、なんの会話をしているのかという輪郭がぼやけてしまう。
それは会話文に限った話でもなく、動作などの途中に感情描写が長々と書かれてしまった場合も似たようなことが起きてしまう。
全てを文字で表現するという性質上、建物の外観であるとか、その建物にどんな歴史があるのかとか、より想像力を掻き立てるにはどうしても文章が長くなってしまうというのは仕方のないことでもあるが、ある動作から次の動作までの間が開くと、登場人物の動きが分かりづらくなってしまう。
これは情景描写と感情描写の切り替えに失敗していると言えるだろう。
私が小説を書いていて最も難しいと思うのがこの切り替えについてである。
あれもこれも書きたいと詰め込んでいたら何が起きているのかよくわからない雑な文章になってしまう。しかし、減らせばそれはそれで物足りなく思えてしまうものだ。
そうして、あれこれと文章を加えたり減らしたりしていくうちに、自分でもよくわからない文章ができあがってしまうのだ。
こうした読めない小説の共通点は、感情描写が多すぎる場合だ。
読者に登場人物がどう思っているかや、作中世界にどのような設定があるのかということを説明したいあまりに、作者が前のめりになってしまうことで、感情描写を重視してしまうのだ。
感情描写ももちろん重要なファクターであるだろうが、結局のところ、読みやすい小説とは感情描写の一切存在しない小説なのである。
今でこそ廃れているが、昔は会話文を主体とした同人小説が掲示板に投稿されているのをよく見かけた。それらの小説は、鍵かっこの前に話している人物の名前が書かれた、いわば台本形式の小説だった。
読み応えこそないものの、単純な、小説の骨組みとなるような要素だけで組み立てられているため、登場人物がどのように動いているのかと言ったことを想像しやすかった。
無論、それが優れた小説であると言いたいわけではない。
つまり、作者が伝えたいことをはっきりと読者に伝えるためには、情景描写が主体となっているほうが、そうした結果を得やすいということである。
逆を言うなら、感情描写に偏りすぎた小説はとても読みづらい小説ということになる。
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