第32話 出逢い②

「……でも本当は、私が郁斗に救われてたの」


「それはどういう……?」


「私は郁斗の相談に付き合っていることで、自分が救われていたの」


「意味が……?」


「私も……小学校の頃、郁斗と同じ様な不登校の女の子……だったの」


「!!」


 驚いていた。詩織が、自分が小さいころ不登校だと告げてきたことに。


 今の詩織は、自他共に求める学園の高嶺の花だ。抜群の容姿と、男子からの人気を誇り、告白するイケメンが後を絶たない。


 そんな詩織が俺と同じような引きこもりだったと言う。『ブクマ』として俺の心に寄り添っていてくれてもいた。にわかには信じられない話だった。


「小学生の頃、クラスの陽キャに牛乳が飲めない事をからかわれたことで、女子達の虐めにあうようになったわ。靴を隠されたり、机をゴミだらけにされたり。教師も問題を抱えるのが嫌で助けてはくれなかった」


 話し始めた詩織の表情に、少しだけ影が落ちた。


 その詩織は吐露する様に続けてくる。


「悔しかったから頑張っていたけど、結局不登校になったわ。大人しいけど容姿がよくて男子に人気だったから女子達の嫉妬を買っていたのね。牛乳はきっかけに過ぎなかった」


 詩織の声音は欠片の揺らぎもない真剣。


 俺を見つめ続けるまなこは、ただただ真っ直ぐだ。


「ずっと部屋に引きこもっていて。悔しくて、でもどうしようもなくて。


 苦しんで。のたうち回って。死にたいと思って、でも死ぬのも怖くて。


 あたまがぐちゃぐちゃになって、気が狂いそうになって。


 いえ、もうとっくに気が狂ってるのかもしれなくて。


 そんな時にネットで『いくと』に出逢ったわ」


「そん……な……」


 詩織の独白に、言葉が出てこなかった。この別格の容姿を誇る、完全無欠のクールビューティが……と思う間もなく詩織は畳みかけてくる。


「そんな時に、ネットで『いくと』を見つけたわ。同じ年頃の、同じ境遇の、多分……男の子。会話するまでもなく、強く惹かれたわ。そして会話するに従って……『いくと』が私の心の支えになっていったの」


 聞かされると、思うところはあった。陽キャ、リア充が大の苦手、大嫌いな詩織。アメゾンとかネットに詳しい割に、リアルのおしゃれにはうとい女の子。


 勉強ができなくて、ものすごく出来なくて、確かに学校へは行ってなかったと言われても信じられる。


「『いくと』君との会話が毎日の救いになっていったわ。


『いくと』君が頑張ってる。だから私も頑張ろう。


『いくと』君がそう考えてる。でも私はこう考える。


『いくと』と出逢って、ネットで会話して、それが生きがいになっていったわ。


 生きようと、思うようになった。私は……郁斗に出逢って命を救われたのよ」


 暖かい眼差しだった。俺に対する、本物の感謝と愛情を感じた。この詩織の気持ちは、心からの物だと確信できた。詩織の胸から溢れ出る湧き水のような息吹だった。


「そして、溢れる想いを抑えきれずに、この公園にやってきて郁斗に『出逢った』わ。正直、『逢える』とは思っていなかったけど、私たちは『出逢って』しまったの。それが私の運命。生きる道になったわ」


 心を吐き出して、詩織はリラックスしているように見えた。一時、影が混じっていた表情が晴れて、重い荷物を下ろした面持ちになっていた。


「高校で回復してから、カースト上位の強キャラとして、満を持して郁斗の前に登場して『出逢い』を演出したわ。『幼馴染絶対主義者』だった郁斗には予想通りに断られたけど。でもそのくらいで郁斗を諦める人生は送っていない」


 呆然自失だった。詩織の独白に唖然として、ひれ伏す以外できなかった。甘く見ていた。詩織を。女の子というものを。自分がいかに幼くて矮小な考えに拘泥していて、狭い視野しかみていなかったのかと思い知らされていた。


「不登校の女の子だと、春菜には勝てないんじゃないかもってずっと思ってた。


 春菜は郁斗をリアルで助けてくれた『恩人』で仲間だと思っているけど、女としての対抗心はずっとあって心に引っかかっていたの。


 春菜の存在があってずっと自分も不登校だと言い出せないで。


 でも郁斗に興味を持ったのは郁斗が自分と同じ不登校だったことで。


 その上で郁斗に出逢ったら、決定的な場面で自分も同じ不登校だって告白しようと計算してた。


 郁斗に共感してもらってお情けを感じてもらえるから。


 憐れんで同類のよしみを感じてもらって好意を得ようって」


 どう? という小悪魔っぽい笑みで詩織が聞いてくる。


「少しは私の事、見直してくれた? ちょっとだけ余分に、好きになってくれた?」


 にこっと、微笑む詩織の微笑に「ヤられる」。


 ――と、詩織が「来て」と言って俺の腕を取った。詩織に引っ張られて、ブランコから砂場へ誘われる。


 そして。二人しての砂遊びが始まった。降りしきる雨の中、二人で水を吸った砂をすくって互いにかけたりして、山を作る。


 詩織は、まるで昔の小さな女の子の時の様な笑顔仕草。俺を誘いながらはしゃいで、俺も一緒に雨の中泥だらけになって遊んで。


 今、はっきりと思い出していた。昔、詩織と一緒に遊んだ日のことを。詩織と『出逢った』逢瀬の日の事を。


 再びブランコに乗る。どちらが大きくこげるか競争して。びしゃびしゃの滑り台から二人同時にもつれて転がり落ちるのを楽しんで。砂場で顔も身体も泥だらけになってはしゃいで。詩織と、服から水が滴り落ちるくらいずぶ濡れになって飛び回る。


 楽しくて楽しくて。


 降り注ぐ雨なんてまったく気にしないで、時間が経つのも忘れて。


 キャッキャウフフ、と二人してはしゃぎながら詩織が問いかけてくる。


「ねえ。『出逢い』っていいものでしょ」


 俺も嬉しくて楽しくて、詩織と見つめ合って言葉を返す。


「俺も今、詩織を目の前にして『出逢いの少女』に衝撃を受けているとこ」


 詩織の顔が、満面の笑みに変わる。そして――


「郁斗、やっぱり優しい人ね」


 言い放ってきた詩織に、その華やいだ笑顔に、俺は顔が熱くなってゆくのを止められない。詩織が眩しい。詩織が愛おしい。そして今が楽しい。二人でずぶ濡れになって泥遊びをしているこの瞬間がずっとずっと続けばいいのにと思っている俺がいて。


 詩織が天を仰いで両手をかざした。


 そのままくるくると回りだす。


「郁斗、郁斗、郁斗、郁斗…………」


 落ちてくる雨を全身に浴びながら、言葉を繰り返す。


「好き、好き、好き、大好き…………」


 俺は詩織から目が離せない。


 吸いつけられて魂を奪われたように見つめ続ける。

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