第31話 出逢い①

 歩いていた。


 未だに頭はぼーっとしているが、歩いている内に混乱は雨の中に溶けていった。


 とぼとぼと、雨の降りしきる中、どこかへ向かって足を進めている。どこへ向かっているのだろうか。特に目的地はない。ただただ、うつむいて抜け殻の様に足だけを動かし続ける。





 ふと。公園に差し掛かった。ぼんやりと朧気ながら、国道沿いの「ききょう公園」だという認識が浮かぶ。


 中に入る。いつもは小さな子供たちが遊んでいる、どこにでもあるような、普通の公園。でも大粒の雨が流れ落ちてきている今は、誰もいない。


 そのブランコに座ってうなだれる。どうしてこうなってしまったのかはもはやわからないが……俺は失敗したのだ。


 目をつむって顔を手で覆った。そのまま。じっとした時が過ぎてゆく。もう、何も見たくない。何も聞きたくない。このまま雫の中に溶けて消え去ってしまいたい。


 ――と。


「郁斗」


 小さな響きが聞こえた。


 濡れ鼠の俺にふわっと暖かい毛布を掛けてくれる様な抑揚。驚いた顔を上げて、手の覆いを外す。俺の前に、俺の様に雨に濡れそぼった詩織が立っているのだった。


「郁斗。大丈夫?」


 詩織が再び声をかけてくれた。柔らかい旋律。その黒髪からは雫が滴り落ち、制服は濡れてコバルトブルーに変わっている。部屋で俺を問い詰めた時の硬さは消えていて、優しい、本当に優しい笑みを浮かべている。


「探したわ。……というのは嘘だけど」


 俺は追いかけてきてくれた詩織を見つめる。驚きもあるし、感謝もある。でも一番強い気持ちは、すがりつきたいという願望だった。


「どうしたらいいのか……わからないんだ……。『幼馴染』の事をずっと求めていた。求めていると思ってた。でも春菜に告白されて……困ったんだ」


 哀願するように、母親に助けを求めるように、柔らかい笑みを浮かべている詩織に訴える。詩織に気持ちを吐露して楽になりたい、詩織になら気持ちがわかってもらえる、その一心だった。


 そんな俺に、詩織が分からない言葉をかけてきた。


「これが三度目の『出逢い』ね」


「三度目の……出逢い……?」


「そう。三度目」


 詩織のセリフの意味が分からない。三度目とはどういう意味なのだろう。今、この状況の俺たちに関係があることなのだろうか? 疑問は後から後から湧いて出てくる。


「一度目は、七年前のこの公園。同じように雨が降っていた。二度目は、私が学園に転入して告白した時。そして今が三度目……」


 詩織の説明だったが、俺はまだ霧に包まれている。二度目の三度目というのは、わかった。でも七年前の一度目というのは、一体どういうことなのか? 俺に目をかけてくれている詩織に問うように、見つめ返す。


「郁斗は私か春菜かを決められずに逃げ出すと思ってたわ。この雨の中」


「俺の事を……よく……お解りで……」


「何年来の付き合いだと思っているの? 私と郁斗と」


「……?」


「何故私が貴方の事が好きで、貴方に執着するのか? 不思議に思った事はない?」


「ある! というか、俺は詩織のことは好きなんだがそれがずっと謎で! 一目惚れなのかな? で納得させようとして納得できない俺がいて!」


 ふふっと詩織が嬉しそうに、その顔に笑みを浮かべた。


「ねぇ……。七年前のあの日のこと、覚えてる?」


「あの日……?」


 俺にはわからないが、詩織は思い起こすように続けてくる

「郁斗と私が初めてこの『ききょう公園』で『出逢った』日の事。あの日もこんな雨が降っていた。傘もささずに一緒に公園で二人で夢中になって遊んだわ」


「七年前の子供たち……。雨のききょう公園……。遊んだ……」


 瞬間、俺の脳内に瞬間的な映像が浮かんだ。たまに見る夢。小さいころ、見た事もない女の子と遊んでいる、『あの夢』の出来事だった。


「まさ……か……」


「そのまさか、よ。七年前の一度きりの逢瀬の女の子」


 確かに言われてみれば面影はある。夢の中の少女は、男の子か女の子かわからない様なぼさぼさな髪に粗末な服装だったけど、面立ちは綺麗だった。目がきらめいていて、本当に心の底から楽しそうで嬉しそうだった。


 今、その詩織の顔が目の前にある。夢の中の雨の冷たさと、今の土砂降りの温度が重なって、女の子の姿が鮮明になってゆく。その詩織の顔が、夢の中の女の子と重なった。


「思い出した! 確か、小さいころ、一度だけ、会ったことのない女の子とこの公園で遊んだことがある! 何故か印象に残っていて、たまに夢に見るんだ!」


「そう。その女の子が私。『いくと』とのチャットでの会話、『港南市』と『ききょう公園』という断片情報を頼りにこの街のこの公園に来て、本当にたまたま偶然に郁斗に『出逢った』わ」


「そん……な……」


「あれは『運命の出会い』だったと今でも信じているわ」


「ということは……」


「そう。私が『ブクマ』の正体。ネットでずっと『いくと』と一緒だったわ」


「ほんとう……なの……か?」


「本当よ。私が郁斗に初めて勧めたのが、ライトノベルの『この夜』よ。百回読んだって『いくと』には伝えたわ」


「『ブクマ』の正体が……」


「『この夜』をネットで読み聞かせしてあげるとも提案した」


「…………」


 間違いないと思った。いや、間違いなかった。詩織こそが俺がネットで遥か子供のころから仲良くしたり喧嘩したりしてきた家族も同然の親友、『ブクマ』なのだ。


不登校になったときも、なんども相談に乗ってくれて、俺の事を助けてくれた。『ブクマ』がいなかったら、多分俺は今、生きていない。その、『ブクマ』なのだ。


「小さいころから一緒にチャットしてたわね」


「ああ! ああ!!」


 俺は『ブクマ』とのやり取り、喧嘩。そして優しく癒してもらったことを思い出していた。そして今も時折リアルでの問題の相談に乗ってもらったりしている。あの『ブクマ』が詩織で、その『ブクマ』が目の前にいるのだ。


「私は引きこもりの『いくと』の相談にのっていたわね」


「ああ!! 俺は詩織に助けてもらって、慰めてもらって、救ってもらってきた!!」

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