第30話 春菜の告白

「ダメだよっ、いくと君!」


 部屋に飛び込んできた春菜が叫んだ。両手を胸に抱いて、必死に俺に訴える面持ちだ。


 俺は、その声音で我に返る。詩織との夢の中のような逢瀬から現実に戻る。視界に、俺と心を重ねる寸前だった詩織ではなくて、春菜が映し出されていた。


「春菜……。なんで……」


「聞いて、いくと君」


 その春菜は一泊置いてから、勇気を振り絞るように続けてきた。


「私、いくと君のことが……好き」


 思ってもみなかった春菜からの「告白」だった。


 夢にまで見ていた春菜からのOK。


 予兆はあった。昨日の春菜の飛び出しから、歩道でのやり取り。もしかして春菜って俺の事、そんなに悪くは思ってないんじゃないかという好感触。


 だがしかし、詩織と取り込み中だったこの場面に登場して、この混乱の状況でそれを言い放つのか!? とも同時に思う。


「好きだったよ、いくと君。ずっと昔、小さいころから。でもその気持ちに気づいたのは高校になってから。いくと君との関係が壊れちゃうんじゃないかって思って、怖くて言い出せないでいた」


 春菜の言葉に、驚くと同時に納得もある俺だった。


「そう……だったんだ……」


 と、小さく反応を返す。


「うん。いくと君に告白された時も、いつもドキドキで。どうにかなっちゃうんじゃないかってくらいで。告白された日の夜は、いつも興奮して眠れなくて。でもOKするといくと君との距離が変わっちゃうんじゃないかってくらい怖くて」


 春菜の告白が胸に染み込んでくる。大きくはない音だけど、物凄く威力のある響き。俺は胸につかえていたものが取れて、今その実感に包まれていた。


「でももう限界。だって、今告白しないと……いくと君、詩織ちゃんの方へいっちゃう……から」


 春菜の本当の気持ちが、いま初めてわかった気がした。


 詩織が自室に来てと言った時、春菜も同席していた。春菜の反応はなかったが、俺と詩織の接触は春菜もわかっていたことだ。だからこの場面で飛び込んできたのだろう。


「今までは……いくと君から何回も告白してくれたよね。だから今も怖いけど、ちゃんと……言うね」


 春菜が表情を柔らかい微笑みに変える。そして言葉を紡ぎだす。


「いくと君。好きです」


 春菜が柔らかく笑った。いつもの明るく朗らかな笑みではなくて、淡い野の花の様な微笑。ずきんと、俺の心に沁みる。


 春菜が飛び込んでくるまでは、詩織と心を重ねようとしている場面だった。春菜が来なかったならば、詩織の吐露に揺れ惑っていた俺が詩織を選んだ可能性は否定できない。


 百回以上告白していい返事をもらえないでいることに対して、燃えるものがあると同時に懊悩があったことも事実だ。それに対して詩織は俺だけを見て、俺だけを求めてくれる。


 外見も、そして中身も、魅力的な女の子。詩織ならば、OKしてくれない春菜と違って想い想われる関係になれるのだという苦悩もあった。


 だが状況が変わった。その詩織のアプローチに耐え切れずに春菜がやってきて、俺の事を好きだと言ってくれた。待ち望んでいた春菜のOK、いやそれ以上の春菜からの告白なのだ。


 ならば春菜を選べばすむ話じゃないかとも思われたが、今となっては詩織はどうするんだという問題が立ちはだかる。


 春菜が、一転変わって告白を受けてくれたからと言って、俺に対してその直前までずっと好きだという気持ちを伝え続けてきてくれた詩織を無残に捨てるのか? と自問自答する。


『できない』


 思ってしまった。いや、正確には、


『できなくなってしまった』


 とわかってしまった。


 初めて詩織に出逢ったときならば、迷うことはなかったと断言できる。実際、放課後の教室では詩織の告白を断っている。


 でも詩織と仲良くして、一緒に過ごして、互いのいいところも悪いところも知った仲になった今となっては、詩織の気持ちを無下に捨てられない自分がいるのがはっきりとわかる。


 俺が詩織を捨てたら、信念という一本足で立っている様な詩織は、折れてしまうかもしれない。そんな詩織は見たくない。そんな詩織にするわけにはいかない。


「いくと君」


 春菜の俺を呼ぶ声に打たれて春菜を見る。


 柔らかくて壊れそうな微笑。


 ほんの一打ちで砕け散ってしまうひび割れたガラスの華を思わせた。


「いま……小さいときの事……思い出してるよ」


 春菜が崩れそうな笑みを広げる。


「一緒にゲームして……。一緒にお風呂に入って……。男の子と女の子なのに……ね……」


 春菜の微笑みが心に染み込んでくる。


「いくと君が引きこもった時、けんかもしたよね。うまくいかなかったときも、あったよね。でも……」


 春菜の想いのこもった旋律は俺の心臓を鷲掴みにして締め上げる。


「いい思い出だと、今では思えるよ。あんなことがあったから、私はいくと君とすごく仲良くなれたんだって……思うから……」


 春菜の声が辛い。


 春菜を見ているのが苦しい。


 そして――


「郁斗」


 詩織が俺の名前を呼んだ。


 見やると、凛とした真っ直ぐな目線。


 揺らぎなど微塵もない。


 自分が信じて選んだ道を進んでいるという信念。


「答えを聞かせて頂戴」


 詩織が求めてきた。


「答えをきかせて欲しいな」


 春菜がすがってくる。


 逃げ道はなくなった。


 どちらかを選ばなくてはならない。


『幼馴染』の春菜か。『出逢いの少女』、詩織か。


「選ばれなくても……気にしないから。今までいくと君の告白……ずっと断っていた私が悪いって……思うから」


「私は選んでもらえると、信じているけど」


「どうして……こうなっちゃったのかな? どうして私……間違えちゃったのかな?」


「郁斗が私を選ばなくても、私は一生郁斗の事だけを想って独りで過ごしてゆくわ」


「「でも!」」


 二人が同時にハモって、俺の決意を要求してくる。


「いくと君、選んで!」


「郁斗。思うままに決めて」


 どちらかを選んでどちらかを捨てろという二人のセリフ。酷な要求だった。


 選ばれなかった春菜の、消え入りそうな姿が浮かんだ。


 捨てられた詩織の、今までと同じ孤独な姿が見えた。


 苦しい。辛い。


 二人の声と姿が俺の脳内で混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。春菜との過去の映像と、詩織とのデートの場面がフラッシュバックの様に交互に点滅して俺の頭をシェイクする。


 思考することができない。


 気が狂いそうだ。


 俺は悶える。


 そのまま頭を掻きむしり、耐えきれずに叫んだ。


「ああああああーーーーーーっ!!」


 叫ぶことしかできなかった。


 続けてそのままドアにダッシュして部屋から飛び出す。


 のたうち回るようにして階段を駆け下りて靴も履かずに雨の中玄関を飛び出した。


 家の前の歩道を駆け出す。


 考えたくない。


 考えられない。


 逃れたい。


 助けてほしい。





 恐慌に包まれた俺は二人に答えられずに、土砂降りの中、逃げ出したのだった。

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