第29話 詩織の告白②
返答の言葉が出てこない。頭が真っ白になって、思考が奪われてゆく。そんな俺に詩織は続けてくる。
「私が初めて放課後の教室で貴方に『出逢った』とき、貴方の心は『幼馴染』に支配されていたわ」
確かにそうだった。あの時は詩織の何をも知らなかった。詩織はただのクールビューティーで学園の高嶺の花。興味の対象ではなかった。
「でも私は諦めなかった。貴方に近づいて、アプローチを続けたわ」
その通りだ。クラスや学園で話題になるのにも関わらず、詩織は俺に接近して、春菜とのグループ交際という関係を勝ち取った。
「一つ屋根の下で暮らして、一緒に勉強して。お風呂を覗かれたりもして。その罰にデートをしてもらったわ」
「そう……だね……」
思い起こしている様な詩織の表情に、俺も昔の場面を思い出していた。
「私、デートしたのは生まれて初めて。貴方は?」
「俺も……初めてだった」
ふふっと、その会話のタイミングで、二人で一緒に笑った。春菜の為に詩織を拒否しなくてはいけないと思いつつも、笑顔を交わしてしまった。
「すごく。ものすごく楽しかったわ。貴方はどうだった?」
「俺も楽しかった。ものすごく」
流れが詩織に傾きかけているのがわかる。昨日、春菜に百二十四回目の告白を歩道でしたばかりだというのに、もうこの体たらくだ。
しかし、言い方を変えると、春菜同様に詩織が俺にとって大切な存在になってしまったという証でもある。
認めなくてはいけない。『幼馴染絶対主義者』の自分にとって、今の詩織はそれに近しいほど魅力的な女の子なのだ。
「私の『心』は貴方の『心』にずいぶん近づけたと思っている。どう?」
「それは……」
認めなくてはいけない。詩織の『心』は俺のかなり深い部分に根を張って芽吹いていることを。
でも春菜に対する気持ちが、それを受け入れてはいけないと囁いている。揺らぎなど全くなかった『幼馴染絶対主義者』の俺だったのだが、今、『幼馴染』の春菜と『出逢いの少女』の詩織の間で揺れてしまっている。
認めてはいけない事なのだが、偽り切れないのが事実なのだ。
「貴方は『幼馴染』がいいと言う。私では不足だと言う。私はこんなにも貴方の事が好きなのに……」
詩織は俺から一瞬たりとも目を離さない。その黒真珠の様なまなこが俺の心を射抜く。詩織の姿が、俺の心を侵食してゆくのを自分ではどうしようもない。
侮っていた。期末テストどころの話ではない。詩織は、俺を呼び出して勝負をかける算段だったのだ。それが今はっきりとわかった。わかったのだが、その詩織に心の防壁をやすやすと破られて内部に侵入されつつあるのを止められない。
「私では……本当に、ダメ?」
囁くような抑揚に心が溶かされてゆく。詩織が本気なのはもとより承知だったのだが、その「真剣度」を甘く見ていたと今実感させられている。
詩織は、俺と結ばれるのならば、何でもするだろうということがはっきりとわかる。一緒にあの世で結ばれようと言えば、本当に一緒に死んでくれるだろう。
そういった一意が、今の詩織からはっきりとわかる。前、デートの後の公園で「何でもしてあげる」と俺を誘ったのは、全く全然冗談でもなんでもなかったのだ。
「私は、私の本当の気持ちを今伝えている……わ。貴方の本当の気持ちを……教えて」
蠱惑的な旋律で俺に問いかけてくる詩織。
ものすごく。本当にものすごく魅力的な女の子で、正直俺は悶える。
二か月ばかりだが一緒に過ごして、ただクールなだけの少女じゃないとわかった。クールというよりむしろ情熱家で、自分の感情を抑えられない女性だった。
その点は、春菜と正反対。自分を抱え込む春菜に対して、あくまで自分を主張することをやめない楠木詩織という人間性。一見他人を見下しているかのような言動をとっているが、自分が認めた相手に関しては尊重するおおらかさ、包容力も持ち合わせている。
そして何故か拗らせてしまっている性格も、見方を変えれば魅力の一つでもある。自分は抜群の容姿を誇る美少女なのに、陽キャリア充が大嫌いで、そんな詩織が可愛らしくもあり魅力的でもある。
その詩織が俺の答えを待ち望んでいる。たぶん、その存在、生命の全てを賭けて。
俺はこの少女を袖にしないといけないのだろうか?
俺にとってこの少女はそんな軽い存在なのだろうか?
『幼馴染』は俺にとってこの少女を奈落の底に突き落とすだけの意味があるのだろうか?
こんなにも、こんなにも俺の事を想ってくれている女の子。その女の子の本気の気持ちを無下にできるだけの資格が自分にはあるのだろうか?
そんな考えが脳内で渦巻き、濁流の様に俺の過去の蓄積を流し壊してゆくと感じてしまっている。
詩織が一歩足を踏み出した。
そしてゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。
俺は動けない。詩織から目を離す事すらできない。
やがて――その詩織が眼前に達する。
詩織は、ふわっと優しく柔らかく笑った。
その圧倒的な破壊力を持つ微笑が俺の視界いっぱいに広がる。
「貴方が……好き」
その唇から、俺の心を絡めとるサキュバスの様なセリフが紡ぎ出される。
鼻腔からは淡いシャンプーの匂いが入り込んできて脳内を侵食しつつある。
きめの細かい頬が、その色づいた唇が、もう触れるという距離にある。
「俺は……」
震えながら。ただただ震えながら自己を保とうとする俺。――が、崩れてゆく。
「郁斗……」
「詩織……」
言葉が自然に流れ出そうとした、その刹那。
「ダメっ!」
部屋の扉が、バンッと開いた。
春菜だった。
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