第27話 対峙

 郁斗の姿が見えなくなったのを見計らった様に、曲がり角から制服姿の詩織が現れた。


 その突然の登場に、春菜は揺れた。


 前日の夜のチャットで郁斗の笑顔が見たくなり、赴いた先での詩織の登場に乱れて、飛び出した。幸い、追いかけてきてもらって、いま郁斗に告白されて落ち着きは取り戻した。三人の関係に安住していたんじゃいけないんだとも自覚した。


 詩織の事が嫌い、憎いというわけじゃない。友人であり、郁斗を間に挟んだ恋のライバルというだけのことだ。だけどいざその詩織に対峙すると、どう接すればいいのかわからない。いきなり過ぎるのだ。


「落ち着いたようね」


 詩織が普段のクールな様子で近づいてきた。


「ごめん……なさい。みっともないとこ、みせちゃって」


 春菜は素直に謝った。


 詩織が悪いわけではない。悪いと言えば詩織の事を隠していた郁斗がそうなのだが、それも郁斗の気持ちを慮れば納得できるものだ。


 自分が離れていた間に郁斗の家に入り込んでいたといえば詩織に対する悪口になるが、詩織が郁斗の家にホームステイしたのは偶然のたまもので、郁斗や詩織が悪いのではない。


 春菜が混乱してしまったのは、自分たちの関係をなあなあで済ませてきたことへのしっぺ返しだ。自分で掘った穴にはまっただけの事なのだ。


「うん。ごめん、詩織。心配かけちゃったかもだね」


 郁斗にもっと向かい合いたい事を自覚した春菜だったが、詩織に非はないとも思っている。だから素直に謝った。


 ――と、そんな春菜に詩織が冷気のような一言。


「私が郁斗の家にいるのは偶然ではないわ」


 心臓がドクンと脈打った。


 偶然じゃないって、どういうこと?


 いくと君は詩織との間には何もないって言ってくれた。それは嘘じゃないと確信している。でも詩織のセリフは意味深で、心がざわめき立つ。


「私は用意周到に郁斗に出逢って接近し、策略を巡らして郁斗の家に入り込んだのよ」


 詩織のセリフは、春菜にとっては敵対的で挑発的で。あからさまに、自分からいくと君を寝取ると言っているのに等しくて。全身が総毛だっているのが自分でもわかった。


 確かに……詩織はいくと君が好きだってはっきりと言ってるし、その感情が「ブクマ」としての長年の蓄積からくるものであることを理解はしている。


 でも詩織の冷気の様な声音は、春菜の詩織への認識――詩織にもちゃんと詩織の気持ちと事情があってそれは尊重しなくちゃいけない――を打ち破る威力を持っているものであった。


「わからない?」


「え……?」


 春菜はいきなりの詩織の言葉に困惑を隠せないし、その当惑から抜き出せずにいる。そんな春菜を見越したように詩織が続けてくる。


「宣戦布告をしているのよ」


「宣戦布告……」


 春菜は郁斗と向き合う気持ちは決めたが、まだ詩織と対峙する覚悟には躊躇もある。その春菜に、詩織は全く容赦なく言葉を浴びせてくる。


「私は貴女の事は嫌いじゃない。むしろ、郁斗を支えてくれた恩人とさえ思って感謝している」


「うん……」


「でも……私と貴女は両立しない」


「……」


「私と貴女は郁斗を巡るライバル同士であることを否定できない」


「…………」


 すぐには返答できなかった春菜に、詩織がいったん言葉を切った。同時に、春菜も詩織の言いたいことがわかってくる。


「だから、宣戦布告。恋敵として」


 詩織の言葉に迷いは感じられなかった。詩織は、春菜をきちんと友人として見ていると同時に、完全なる恋のライバルとして認識しているのだ。


 真っ直ぐにすっと立って、こちらを見据えている目に濁りはない。表情、見姿共に、自分の位置を理解して春菜に対峙していると思える。


 完全に大人の対応で、春菜を一人前の女性として見てくれている。侮りや侮蔑や驕りは、欠片も見られない。春菜の立場からすると他人からは想像もつかないかもしれないが、率直に言って――カッコイイとさえ思ってしまった。


 でも……そうじゃないんだと春菜は自分に言い聞かせる。確かに詩織は立派で、素敵で、クールで、美麗なのだが、それじゃいけないんだという思いが沸々と沸き起こってくるのがわかる。


 負けたくない。


 この、美くしくて、強くて、確固とした自我を持っている女性に負けたくない。そういう気持ちが自分の中に確かに芽生えているのがわかる。


 自分のいくと君への想いは嘘じゃない。いくと君にははっきりとは伝えていないが、「好き」だって言いきれる。


 だからいくと君に向かい合うことをさっき決めたし、その想いは捨てられるものじゃなくて諦められるものでもないって、今わかった。だから、春菜は詩織を見返して言い放つ。


「私たち、敵同士なんだね」


「そう。やっと覚悟を決めてくれたことには感謝するわ」


「負けるつもりはないよ、詩織」


「それはこちらも同じこと。郁斗に貴女を追いかける様に言ったのは私だけど……それは貴女に覚悟を決めてもらうためでもあったのよ」


 二人の視線が、初めて、バチバチと火花を散らしていた。


「郁斗は、今、私の登場とアプローチで揺れているわ」


「そうだね。確かにいくと君は、詩織の登場時より、ずっと詩織に近くなってる」


「でもまだ。まだ、郁斗の気持ちが『幼馴染』に寄っているのはわかってる」


「うん。そう」


「それを私の『心』で等価にするわ。断言する」


「すごい自信だね」


「ええ。初めての学園での出逢いから積み重ねて、郁斗の心の壁には楔を打ち込んだわ。そこを起点に突破する。ありていに言うと……私は勝負をかけるつもりよ」


「詩織を見てるからわかる気がする。でも私も、負けるつもりはないから」


「勝ち負けはつかないわ、まだまだ。私たち三人が『スタート地点』に立つことになるだけ。でもそれは私にとってはとても価値があることなの。その為の『勝負』よ」


「私たち、ライバルだって事はちゃんとわかった。でも……」


 春菜も負けてはいない。


「ケンカとか恨み合いじゃないから……特に詩織への態度は変えないね」


「そうね。その必要はないわね」


 二人して笑みを交わす。お互いを認め、お互いの健闘を祈り、そして自分の全力を注ぐ決意の微笑み。


 握手は交わさなかった。そこまですると慣れ合いになりそうだったから。そしてどちらからともなく、別れてゆく。詩織は今来た郁斗の家の方向へ。春菜は学園方面へ。


 開戦の火ぶたは切られたのだ。もはや躊躇する段階ではない。自分の全力を注ぎこみ、目標を手中に収めるのみなのだ。


 その標的こそは、如月郁斗、十七歳。勉強はできるが、あとは平凡な一高校生。そんな「凡人」を好きになった事に対する後悔など、二人の「別格の美少女」には微塵もない。


 釣り合うかどうかとか、イケメン陽キャがいいだとか、そんなことはどうでもよいことなのだ。好きになるというのはそんなことじゃない。もっと、心が希望と欲望と嫉妬と執着で満ち溢れる、生命が光り輝く瞬間なのだ。


 だから同じ男を好きになった同志として相手にも敬意を払う。郁斗を好きになったのはそんな二人だったし、決して幸せ満タンな生い立ちではない郁斗が気をひかれたのもそんな二人だからなのだ。


 容赦なく相手を叩き潰して、そして最後には仲良く健闘をたたえ合う。恋に命を燃やすとはそういうことだと二人ともわかっている。


 詩織がいなくなり、やがて春菜の姿も学園方面に消える。


 郁斗すらいない、ありふれた住宅街の歩道で、今三人の男女の運命が揺れている。

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