第26話 郁斗と春菜

 住宅街の出口で、俺は春菜に追いついた。少し乱暴に、春菜の腕をつかむ。


「いやっ! 放してっ!」


 暴れる春菜に申し訳ないと思いながら、抑え込む。


「放さないっ! 俺の話を聞いてくれっ!」


「もういいよっ! いくと君と詩織さんの話、聞きたくないっ!」


 春菜が俺の言葉から逃げるように、かぶりを振る。


 春菜の正面に回った。その頭を俺に向ける様にと両手でつかんだ。心中で「ごめん」と春菜に謝る。少々乱暴だが、取り乱している春菜に話を聞いてもらうためには致し方ない。


「怖かったんだ。春菜に見捨てられるのが。親の都合で詩織と同居するようになって、春菜に告白OKしてもらえない俺が二股かけるみたいで。春菜には印象悪いだろうなって思い詰めて」


 正面から真っ直ぐに春菜を見つめて、正直に告げる。心を吐露する。春菜がわかってくれるかどうかはわからない。でも自分の素直な気持ちを伝えるしかない。


 それで春菜に完全に見限られるなら、仕方がないことだ。自分の蒔いた種とはいえ、『幼馴染』の春菜にとって俺はその程度の存在でしかなかったということだ。


「そんなに……怖かったの……?」


 動きを止めた春菜が、問いかける言葉を返してきた。


「怖かった。春菜にOKもらうどころか、今の心地よい関係すら壊れることが。耐えられないと思った」


「そう……なんだ……」


 春菜が思惑気にうつむく。思いを巡らしているという面持ち。俺には春菜の考えている事、春菜の本当の気持ちは分からない。でも今は、俺の心を伝える他はないと思って、春菜に必死で訴えかけている。


「春菜にとっては、俺は数いる友人の一人かもしれない。でも俺にとって幼馴染属性を備えた春菜は唯一無二の存在なんだ。感謝もあるし、慣れ親しんだという気持ちもある。春菜に捨てられたら……俺はどうしたらよいのかわからない」


「…………」


 しばらく、春菜は下を向いてじっとしていた。


 その春菜が顔を上げる。腹落ちしたという、落ち着いた面持ちをしていた。


「そう……なんだ。だから、嘘、ついたんだ」


「そう。どうしようか困った。そして怖かった。だから逃げたんだ」


「詩織さん……とは、どうなってるの?」


「詩織……?」


「そう。一つ屋根の下で結構長いこと暮らして、デートまでしたでしょ? その……」


 春菜は言葉を告ぐのを戸惑っている、という様子で続けてくる。


「いい感じになってるんじゃない?」


 春菜と視線が交差する。互いの思惑が交錯する。そして俺はここでまた同じ失敗は繰り返せないと思った。つまり、嘘はダメ。だから正直にありのままを告げることにした。


「詩織とは、前とは比較にならないくらい仲良くなった。互いに分かり合えた部分も多くあると思っている」


「…………」


 春菜はちょっとショックを受けているという反応を示した。俺はそれを受け止めながら、続ける。


「確かに詩織はあの通りのクール美少女で、俺も年頃の男子だからその外見に惹かれることもあるし、中身も外見とはギャップのある情熱系で印象深い。女の子として惹かれてないってのは、嘘になる」


 春菜は、黙って俺の言葉を聞いてくれていた。うんうんと、一つ一つ自分自身を納得させるように、うなずいている。


「でも、俺はやっぱり『幼馴染』として長年過ごしてきた春菜がいい。詩織は正直魅力的で、惹かれている部分も多くあるけど、今選べるなら春菜を選びたいって思う。もちろん、俺が選べる立場にはないんだが」


 春菜は俺の言葉を真っ直ぐに受け止めてくれた様子だった。


 混乱して暴れていた時とは別人のように落ち着いて、温和な面持ちを浮かべている。もっと言えば、俺が春菜を選びたいと言った時、嬉しそうな微笑を浮かべてくれたりもしていた。


「詩織さんとはいい感じになったっていったよね」


「言った。なった」


「デート、行ったよね」


「行った。初めての経験で、物凄く楽しかった」


「じゃ、じゃあ……」


 春菜がもじもじとした、ちょっと言い出せないという仕草を見せてから。


「そ、その、男女の関係的な……。例えば……キ、キス……とか、そういったことはどうなのかなって……ちょっと気になって……」


 春菜が頬を染めてフルフルと羞恥に震えている。正直、すごく可愛い。春菜はいつもは明るく朗らかな女の子なのだが、こんな思春期の少女っぽい側面があったんだって思って、女の子は底知れないとも感じさせられながら……でもにやけてしまう。


「ない」


「ほんとっ!」


「ホント。同居してるけど、エッチなこととか、全然してない。正直、期待外れ」


「期待外れなの!?」


「それは冗談。でもマジ、キスみたいな男女の色っぽいこと、してないし、できもしない」


「そうなんだ」


 春菜が胸に手を当てて心配事をなでおろしているという仕草を見せた。


「いや、いくと君がいつもアタックしてくれてるのにお預け食らわせてて、少しは何かさせてあげないと可哀そうかなって、ちょっと思ってて。でも……」


 春菜は晴れたという面持ちで破顔した。


「安心した。そして……」


「そして……?」


「そして、私はいくと君にもっとちゃんと向かい合わなくちゃいけないんだってわかった。今の三人の関係に安心してたんじゃダメなんだって」


 春菜がはっきりしっかりと俺に告げる。のち、


「わかったらお腹がすいてきちゃった」


 てへっと、今度は舌を出して可愛く笑う。俺も笑い返した。


「俺の家で朝食食べてけよ。まだ時間あるから。詩織がいるけど、詩織は春菜のことを嫌ってるわけじゃないから」


「いくと君は?」


「俺は……」


 何と言ったらよいのかわからないのだが、今春菜に百二十四度目の告白をしたばかりで。加えて春菜が「ごめんねー」といつものように断ることをせずに意味深な返答をしてきたばかりで。ドキドキしていてもうこれ以上春菜の顔を見ていられない気分で。


「いったん家に戻るわ。ちょっと一人で落ち着きたい気分だし」


「そうだね。私は先に学校行くね。日直もあるし」


 春菜もそう俺に同意してくれたので、家にいちど戻ることにした。


 ひらひらと手を振って俺を見送ってくれた春菜を二・三度振り返りながら、自宅を目指す俺と春菜の会合だった。

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