第22話 ブクマの部屋

 郁斗の隣の部屋で、ソファに座っていた詩織はスマホを横に置く。


 詩織は「ブクマ」のネームで自分の正体を隠しながら、長年郁斗たちとチャットをしてきたのだ。胸躍る「いくと」たちとのグループチャットは終わった。チャット時に自分の胸を支配していた感情――『主人公』郁斗への恋情――をいったん棚に上げ、頭を冷やしてゆく。


 今日自分は郁斗とデートをした。目標を一段階クリアしたという事だ。


 あんなちゃらちゃらとした服装で相手に媚びて……とリア充たちに怨念を向けていた昔だったが、いざ自分がそのリア充の様なデートをして、彼女たちの気持ちも理解した。女の子を主張するような綺麗な服装で自分を装うことに、もう躊躇はなくなっている。


 郁斗の目を楽しませることには成功した。


 郁斗には可愛くて魅力があると思ってもらえただろう。


 でも、クールを装いながらも実際は余裕など全くなかったことは反省材料。


 心弾む楽しい瞬間の連続はあっという間だとわかったことは次につながるはずだ。


 横のスマホを手に取り、今日撮った二人の写真をアップで表示させた。


 仲の良い恋人同士の様な二人が映し出される。


 これは目標の一段階に過ぎない。ここで満足する意味はない。


 今度はデートの場面を改めて思い浮かべる。


 初めての晴れ着で満を持して郁斗の前に現れてみせた。郁斗は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。もともと容姿がいいのは自覚してはいるのだが、郁斗も見栄えを気に入ってくれたという確かな手応えがあった。それは素直に喜んでいいことだろう。


 港南モールでの大人のドレス。あと数年経てば大人になるのだろうが、感情としては大人になどなりたくはない。でも郁斗を魅了できるのならその大人も悪くはないと今は思える。


 そして帰りの中央公園。


 郁斗を誘惑してみて反応を確かめた。郁斗をからかったというより、自分の気持ちと郁斗の気持ちをもう一度確認して、詩織という存在を郁斗に印象付ける為だ。


 最初から郁斗が誘いに乗らない事は承知の上。自分が長年思ってきた郁斗はそんな男ではない。郁斗にとっての『幼馴染』の存在もそんなに軽いものではない。




『私を自由に……できるのよ……』





 自分の言葉ながら、イヤらしい女、完全に媚びている哀れでふしだらな女の言動で、幼馴染を想う郁斗に不倫を誘っていたのだが……。今思うと、そういう気持ちがないとは言えないのではないか? と自分自身を分析する。


 郁斗の『幼馴染』への想い、憧れ、執着は強い。春菜には勝てないのではないか? と思う自分がいるのも事実だ。その郁斗に、幼馴染への想いがあってもいいから憐憫でいいから情けをかけてもらいたいと弱気に思っているのではないかと、少し鬱になった。


 かてて加えて、その自分にとっての障害である春菜を嫌いきれない自分がいる。


 春菜の事は嫌いじゃない。小さいころから「いくと」と一緒に「aburana」としてわいわいやってきた仲間でもある。「いくと」が不登校になったとき身近にいて、詩織にとって大切な人である「いくと」を支えてくれた恩人でもある。春菜にも幸せになって欲しいのだ。


 しかし、自分にも大切にしたい恋心がある。だから満を持して彩雲学園に転入して初めての『出逢い』を演出したのだ。それから郁斗に近づいて、関係を積み重ねてきた。郁斗と結ばれるための繋がり、絆を紡いてきて、今日デートにまでこぎつけたのだ。


 理性と計算で行動してはいるが、その理性では抑えきれない想いがある。


 だから春菜には譲れない。


 このままいけば、いずれ春菜と対峙するだろう。


 その時、郁斗はどんな選択をするのだろうか。


 ただただ楽しかった一日の最後で、詩織の口内には苦い味が広がっている。


 目をつむって、昂った感情を整える。冷静に。努めて冷静に、思考を整理する。

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