第17話 お風呂ハプニング

 そして中間テストが終わって。



 放課後。俺たち三人は戦果報告会を行っていた。


 俺は……全科目満点。いつもの事でなんとも思わないし、この学園では特に持ち上げられることでもなくて「すごいねー」で終わってしまう。自慢することでもないし、それでいいと思う。


 春菜。


六十点。六十五点。六十七点……と、平均的な数値が並んでいる。いつもの春菜より、ちょっと点数がよい。えへへと、素直に嬉しいという様子。


「頑張ったんだよ」


 と、ほめてほめてと自分を主張してくる。えらいえらいと頭をなでると、春菜の相好が崩れる。


「ちょっと」


 詩織が割って入ってきた。


「肝心の私を差し置いて、二人でいちゃつくの禁止」


 俺は、不満だと頬を膨らましている詩織に顔を向ける。


「その肝心の詩織の点数は?」


「見て驚きなさい」


 俺の前に紙を並べる詩織。四十点。四十二点。四十三点……というような、見事に全科目補習を回避するぎりぎりの点数が並んでいた。


 詩織は、テストを見せつけて、ドヤッと誇らしい自慢顔をしている。鼻がにょきにょきと伸びているのが見えるような表情だ。


「あまり自慢できる点数ではないんだが……」


「なによ。私、高校に行きだしてから補習を回避したの、これが初めてなのよ。すごいと思わないの?」


「正直点数自体は褒められたものじゃない。春菜より下だしな」


「なによっ! 意地悪っ! 邪悪だわっ!」


「それより、中一レベルのあの学力からわずか二週間で補習回避レベルまでもってくる地頭の良さと頑張りがすごい。俺より学問の才能、ある」


 それはそれは毎日夜遅くまで詩織は頑張ったのだ。俺も手取り足取り付き添ったのだが、そんなことは詩織の頑張りの前ではどうでもいいことだろう。一度やると決めたらやる。それが詩織という女の子なのだと思い知らされて、素直に尊敬と敬意を抱いた俺なのだ。


「ふふん。やっと私のすごさがわかったの郁斗。少し遅いわよ」


 詩織が誇らしげな顔をして目をつむった。


 少し、時間が流れる。


 動かなかった詩織が目を開いて、「なにやってるの遅いわよ」と俺を叱咤してきた。


 俺はわからない。詩織は何かを待っている様子なのだが、それが何かわからない。


「もうっ! なでなでは? 春菜にして私にしないの、私へのハラスメントじゃない?」


「いや。したほうがハラスメントなんじゃないのか?」


「いいわけはどうでもいいから」


 俺はむっとした顔で頭を差し出してくる詩織の頭部をなでなでした。柔らかい髪の感触が心地よいって、そんなこと思っちゃいけと思いながら口に出せるわけもない。


「えへっ」


 詩織の顔がにへらと崩れた。


「頑張った私にはご褒美が必要だと思わない?」


「ご褒美?」


「そう。褒賞。リターン」


「テストの点じゃだめなのか?」


「郁斗が私にくれてもいいじゃない」


「いや、俺にできることならなんでもするが……」


「なんでも?」


「なんでもじゃない。ごく普通の事で」


「いくと君。いつもよりがんばった私には?」


 春菜が割って入ってきた。


「春菜は今まで散々ご褒美もらってきたでしょ」


「そうでもないよー。なあなあだったから、私もいくと君にちゃんとしたご褒美が欲しいよ」


 春菜と詩織が喜んでくれるのなら。俺にできることならしてあげたいとも思うが、何を要求されるのか、若干の怖さがある。春菜も詩織も、分別をわきまえているし高飛車なギャルではないので、プラダのバッグとかシャネルのリングとかそういう物は言ってこないと思う。


 とにかく、プレゼントの約束はして三人仲良く下校道を楽しく進むその日なのであった。





 それから自宅に帰り着き、自室で宿題を済ませ階段を下りる。もう夏に差し掛かるという季節で、夕方になっても暑い。


 お風呂前を通りかかって、ふと、さっとシャワーを浴びてすっきりしたいと思った。入浴中のプレートがかかってないことを確認してから扉を開いた。


 特に警戒も何も念頭にない俺の視界に脱衣所の映像が映り……


 えっ? と、俺は見ているものがわからず思考と動きが止まる。


 目の前に人がいる。その人物も、俺を見てきょとんと静止している。


 人……?


 えっ?


 なんで人がいるの……?


 俺の思考が徐々に動き出す。見えているモノを認識して、それが何であるのかという理解が進んできて……


 ぶわーーーーーーっ!! と声にならない悲鳴を「俺」が上げる。


 眼前にあられもない姿の詩織嬢が立っているのであった!


っていうか、あられもなくないっ!


 下着姿だからっ!


 上下白のっ!


 その、シンプルな下着に引き立てられている柔らかそうな女の子の肢体が視界にまぶしい。胸の膨らみは思っていたより大きく、形良い。腰回りもきちんと凹凸がはっきりしていて女性を主張している。


 羞恥の為だろうか。薄っすらと染まった白い肌はすべすべで染み一つなくて、見ているだけで触りたくなってくる。


 詩織さん。着やせするタイプ?


 バランスよく着こなしている制服の下に、ワガママなボディを隠していたのだった。って、何考えてんだ、俺っ!!


 悲鳴を上げるでもなく、その女体を隠すでもなく、表情を不快だと変えた詩織嬢の前から俺は逃走する。慌てて脱衣所から飛び出して扉を閉めたのだった。


 心臓はバクバク。口から飛び出しそうになっている。声にならない声を何とか絞り出す。


「ご、ごめん。入ってるって思ってなかったから……っていうか、入浴中のプレートかかってなかったから!」


 何を言ったらいいのかわからない俺は、何を言っているのかわからない。とりあえず謝罪の言葉を並べ立てる。


「そう。わざとじゃないことはわかったわ」


 中から冷たい声が返ってきた。


「でも……」


「でも……何で……しょうか?」


「勝手に見たわね」


「……申し訳ありません!」


「あまり……嬉しい気分じゃないわ」


「すいませんすいません」


「別に……見られること自体が不満じゃないの」


「……?」


 詩織が怒るのはわかる。男でも脱衣所で下着姿を見られるのは不快だろう。でも詩織が言っている方向は少し違うと思った。


 よくわからない。


「見られたくない時は見られたくないの。逆に、見てほしいときもあるわ」


「そういう……」


「そういうものなの、女の子って」


 詩織の言っている意味が分かった気がした。


「だから、突然何の心の準備もしていない時にいきなり来られても……戸惑うわ」


「すいま……せん……」


「でも私もプレートかけ忘れていたこともあるし、郁斗は悪くないとわかってる」


 詩織との、扉一枚隔てた不思議な会話が続く。


「だから謝らなくていいわ。私も不注意だったし。でも……」


「でも……?」


「ちょっと惑って、困惑しているのが本当」


「すい……いや、何と言ってよいのか……」


「私、もっと積極的な女だと思っていたんだけど、いざとなるとたじろぐものね。郁斗を前にしてこれじゃあ。男性に免疫がないことを思い知らされるわ」


 詩織は、俺が普段思っている事と同じような事を言い出す。女性に免疫がないのは俺も一緒だ。だから、不思議な安堵感というか連帯感みたいなものを感じたのだった。


「全然気にすることないから。俺も詩織のこと悪く思ってないのに、いざちょっと近づくと、ドキドキしたりたじろいだりしてアワアワしてるから。本当の所」


「ふふっ」


 中から笑いがこぼれてきた。


「それを聞いて少し安心したわ。郁斗も同じなんだって。ちょっと嬉しい」


 二人して、顔を合わせないで笑い合った。


「ねえ。放課後の会話、覚えてる?」


「覚えてる」


「いいきっかけができたわ。私と郁斗がさらに近づくイベントの」


「さらに近づくの!?」


「そう。ご褒美。明日、私の買い物に付き合ってもらえるかしら?」


「明日は休みだから空いてるけど……」


「決まりね。覚悟しておいて。明日は気持ちを固めて臨むから」


「それって、もしかしてデー……」


「もしかしなくてもデートよ」


 いきなりデートを要求ですか詩織さん?


 ただ、春菜の事はしっかりと念頭にある。春菜にアプローチをしながら詩織と隠れてデートではお天道様が許さない。例え春菜が俺の事をどうとも思っていなくても、俺に振り向いてくれなくても。俺自身もダメだと思う。


「やっぱりデートは……」


 俺は思い返して詩織に告げた。


「春菜に申し訳が立たない。別の事にしてくれないか?」


「春菜に許可とるわ。それなら、いい?」


「それなら……」


 果たして春菜はどう反応するだろうか?


「ダメっ、いくと君許さないっ!」と怒ってくれるだろうか?


 あるいは、「おめでとう。これでいくと君と詩織さんは恋人同士だねっ!」と俺の気持ちとは裏腹な返答をしてくるのだろうか?


 怖さを抱えつつ、詩織の要求を断れないお風呂場の扉の外なのであった。

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