第9話 同居人
「楠木さんは……こっちなのか?」
「詩織、がいいわ」
短いセリフだったが、目線をそらして少し恥ずかしがる表情。すねながらねだるような抑揚を返してきた。
「詩織さん……の家はこっちの方なのか?」
むぅと不満が膨らむ様子。
「芳野さんは春菜呼ばわりじゃない。詩織と呼んで」
少したじろいだが、要求はさほど高くないと判断する。
「詩織……の家は?」
「合格よ。よく出来たわね。ありがとう。私も郁斗と呼ぶわ」
詩織が、素直に嬉しいという微笑みを浮かべてくれた。詩織の家の話は結局無視されたが、柔らかい微笑が返ってきた事で満足する。いつものツンとして凛々しい孤高のクールビューティーからは離れた表情。
春菜がいないことも影響しているのだろう。俺に見せてくれた笑みが新鮮に思えて思わずズキンと心に染みる。分かりやすく言うととても印象深い。
いかんいかんと頭を振って思い直す。春菜が見ていないとはいえ、他の女子に気心を許したとあっては、アタックを続けている春菜に申し訳が立たない。俺の信念信条にも反する。
出逢ってまだ数日。さほどの接触もない。幼馴染に救われたという思い、幼馴染というものに対する感謝、憧れに揺るぎはないが、目の前に突然現れた詩織という少女に対する興味的なモノが俺の心の中に芽生えているのを否定できない。
幼馴染にこちらから声をかけたりアタックしたりするばかりで向こうから女性が接触してくることはなかった為、女の子の積極的なアプローチに対する免疫が皆無なのだ。
正直、気恥ずかしい。というか、春菜に申し訳ないと思いながらも嬉しいと思っている自分自身を否定できない。
詩織と並んで二人して歩いている。
詩織にちらと目線を走らせる。柔らかい表情で、頬が薄っすらと染まっている。まるで俺と一緒に歩くのがとても嬉しくて、心に灯りがついている女の子の様子に見える。
近くはないのだが、遠く離れた赤の他人とも言えない微妙な距離感。
年頃の、思春期っぽい帰り道に、不思議な甘酸っぱさを感じる。
俺の家が見えてきた。
ごく平凡な二階建ての分譲住宅。その玄関前に、二トンクラスのトラックが止まっていて、荷物を搬入している作業員を沙夜ちゃんが興味深そうに見ている。
「?」と思う。いつも来る、彩音ちゃんが利用しているアメゾンの白猫ヤマトではない。
「来てるわね」
唐突に、隣を一緒に歩いていた詩織が声を出した。
「……?」
俺はわからない。「お兄ちゃん、お帰りなさい」と出迎えてくれた沙夜ちゃんに聞くと、「うちに同居する人の荷物だって」と教えてくれた。
「そういえば、朝、そんなこと言ってたな。おやじの知り合いの知り合いの……とかなんとか」
「そう。今夜からよろしく」
「……?」
詩織と意味不明な会話を交わしてしまった。
「よろしく。今日から一つ屋根の下で暮らすわけだけど、私も年頃の女子だから成り行きの過ちみたいなのは拒否するわ。出逢った時に恋に落ちて、その想いを抑えられなくなって結ばれるというストーリーは大切にしたいの」
「??」
詩織が何を言っているのかさっぱりわからない。
いや、言っている事は理解できるのだが、その前提が「?」なのだ。
「よろしく。沙夜ちゃんも」
「よろしくです。楠木さん」
「詩織、でいいわ」
「詩織さん」
二人して目と目を合わせて微笑みを交わす。こうしてみると、沙夜ちゃんと詩織は彩音ちゃん程の年の差もなく、本当に仲の良い姉妹に見える。
仲の良い姉妹?
俺も段々と状況を理解し始める。
「……まさか……」
「そのまさか、よ。私が件の同居人」
「マジ……かっ!」
「マジよ。ツテを手繰って搦め手から責めるのに苦労したわ。まだお互いにそれほど親しくない間柄だけど、『出逢った』という事実は変えられないわ。如月君。貴方は既に恋に落ちているのよ」
言い終わると、不敵な笑みを残して躊躇することもなく俺の家に入ってゆく。
というか、マジなのかーーーーーーっ!!
ちょっと、どうすんだ、これーーーーーーっ!!
俺は声にならない悲鳴を上げて、混乱の中、頭を抱える。
マジか。同居人か。一つ屋根の下で一緒に暮らすのか、詩織と。部屋は一つ余っていたから詩織はそこに入るのだろうが、お、お風呂、とか、どうすんだ?
つーか、同じ釜の飯を食って、同じ風呂に入るんだろうな、流れから。くだんの件に関しては俺も義母さんも彩音ちゃんも沙夜ちゃんも既に同意していて拒否権はもはやない。
教師の彩音ちゃんと同居、というか義理の姉弟という関係が複雑な問題すぎて学園には内緒にしているのだが、そこに詩織が突っ込んできてごったに状態の闇鍋のごとし! もう収集がつかない。
と、混乱の中、頭の中に春菜の姿が浮かんだ。
春菜! 春菜にはどう説明すればいいんだ、とはっと思い立つ。幼稚園からの幼馴染の春菜であって、家族も同然というか、彩音ちゃんたちより付き合いは長い。互いに知り尽くしている間柄だから正直に説明すればわかってくれるだろうという理解はある。
がしかし。不満も不平も嫉妬もなく、「そうなんだ。仲良くね!」と返されたら俺としてはたまったものじゃない。現状では告白を受け入れてもらえないから将来的に結ばれるという目標に向かって進んではいるのだが、現在的に「友達でいようね!」なのは辛くないというわけではないのだ。
春菜が、年頃の男女が問題だよっ! 間違いがあったらっ! と少しでもジェラシー的なモノを見せてくれたら、それはそれで嬉しいのだ。
一方、幼馴染の春菜にアプロ―チを続けている俺が、その春菜を放って他の女子と同居とかどうだろう? とも思う。はっきし言って、浮気、二股、サイテーのクズじゃね、それ? と思わざるを得ない。
詩織との同居は不可抗力なのだが、不可抗力だから許されると言う訳ではない事をこの年になったらもう知っている。
どうする?
春菜に正直に告げるか、否か?
俺はきょとんとしている沙夜ちゃんの前で、頭を抱えて難題にのたうち回る夕暮れなのであった。
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