第13話 空白





 ぷかり、ぷかりと、命が浮かんでいる。

 それはもうだいぶ冷たくなっていて、さながら死体のようで。

 そこをでると、人が血まみれになっていて。頭の中が急激に熱くなって。

 まだ煙のたっている”それ”と油の香りがする”それ”を持って、”そこ”を出た。









「お先します」

「あいよ~、じゃあまた明後日頼むね」


 恰幅のいい店長が、朝から元気な声でオレに声をかけてくる。自分にとってはこれからが夜で、昼間まで軽く寝るのだから朝という感覚はまた少し違うのだが。

 それにしても夜9時から朝の6時までのシフトは体に悪い。ボケっとした頭を殴りつけてくるように、朝の陽ざしが瞳に入り込んでくる。眩しいのは好きじゃない。早くカーテンの閉まった自分の部屋に帰ろうと、ビニールに詰めた期限の切れたおにぎりとサラダを原付の荷台に入れて、まっすぐ帰路についた。

 鍵と財布と着替えくらいしか入っていない鞄から、雑に何もついてない鍵を取り出して建て付けの悪い扉を開けて部屋に滑り込む。最後に食事を取ったのが4時間前の休憩だったけれど、そこまで食欲もなかった。面倒になって上着だけ脱ぎ捨ててそのままベット横になった。ジーンズのごわごわとした感触さえ、どうでもよかった。


 なんか、疲れたな。


 視界に入るのはいつもと変わらない、時間のずれた時計と空の水槽だけ。


 ──────ほんと、ユキってさぁ。昔から死んでるみたいだよね。


 浮かんでいた死体と、オレと、ああそうだな。確かに全く一緒だ。それなら、川に流れてしまったほうが、よかったか。そうしたら、少しずつ腐食して、土にでも還るのだろうか。自分の入る墓なんてまだ買ってないしどうなるのだろう。旅客死亡人だっけ。この間の講義でそんなことを聞いた気がする。そもそも骨が海底に沈むだけか。それもなんか嫌だな、自然主義的な感覚はあまり好きじゃない。自然界に存在するものこそ素晴らしいみたいなことを言っていたテレビ番組をふと思い出した。そういうことを嬉々として語っている人間を見て、なんか幸せそうだなと目を逸らした。大地に還りたい、みたいな感覚もなかった。森だろうが川だろうが海だろうが山だろうが、オレにはコンクリートとの違いがよくわからない。命がどこから来たのかなんて、どうでもよかった。そんなものあったって、なくたって、かわんないや。


 息苦しいな。息苦しいから、みんな思想みたいなものに縋るんだろうか。それを吸って楽になれるから。酸素ボンベがあったところで、生き物はどうせ死ぬのに。

 そういうの好きじゃないんだよ。なんにもないオレを否定されてるようで。それらを持つことが生きていることだと言われているようで。主義も何もなく、信じているものも何もない。なにも面白いと思わないし、なんならどちらかというと不快だった。けれど、不快だと思うことすらも癪で、視界に入らないようにした。なんにもないのがよくないって、誰が決めたんだろうか。何にも優劣も正誤もつけたくないなんて、それはそれで理想論なんだろうけれど。なんでオレはこうなっちゃったんだっけ?すごい小さい頃は、なにかになりたかった気がするんだけど。なんだっけ、もう、わかんないや。それがないなら、生きてるってことにならないのか。なにもないのは、そんなにいけないことなのか。


 誰かの生きるってこういうことだという信念に、殴られて生きるくらいなら……それなら、死体でもいいやと思ってしまった。

 

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