第10話 拒絶
「……実家、出たの」
「うん」
「よかった」
近くの自販機で缶コーヒーを買ってもらって投げられた。オレが馬鹿みたいに泣きじゃくったのを見て、彼は思うところがあったらしく、向こうから歩み寄ってきた。
「今は?社会人?」
「一応、大学通ってる」
「へえ、すご……こんなこと聞いて失礼かもだけど、生活はちゃんとできてるんだよね」
「まあ、一応。……昔よりは、だいぶマシ」
こちらから聞きたいこともたくさんあるのだ。ツバサはいま何をしてるの?そっちも大学?体の調子は?……聞きたかったけれど、見た目がずいぶん様変わりしすぎていて、なんだか触れてはいけないような感覚に陥る。彼なことには変わりはないのだ。だけれど、時間が経ちすぎた。少年時代はとっくの昔に終わりを告げていて、地続きのはずなのにどこか途切れ途切れになっている。もう少し自然に話していたはずなのに、初対面の人間相手よりもうまく話せない。喋り方は確かに妙に子供っぽい舌足らずさに名残はあれども、夢で聞いたあの声ではなくなっていて、髪も肩甲骨の辺りまで伸ばして、ピアスなんて開けて……正直、これがツバサじゃなかったら、きっと声もかけていないくらい、オレとは住む世界が違う人間だ。黒々しいフナと、エンゼルフィッシュくらい違う。
「髪、染めたんだ」
「金髪、目立つから」
むしろ、彼もよくオレだと気がついたものだ。あれから背丈も伸びたし、声だって低くなっているはずだし、なんなら髪の色だって違う。
「……似合ってるんじゃない?まあ、相変わらず嫌味ったらしいほど顔が整ってるから一髪でわかったけど」
「そうかな……オレとしては、ちょっとゴツくなりすぎたというか。まあ、あっちの血が入ってるから致し方ないっちゃ、そうなんだけど、ほんと、よくわかったね」
「わかるだろ。流石に市を跨いでるとはいえ、君みたいな子が2人もいるわけがないし。というかそっちこそよくわかったね」
「ん、まあ……人の顔、よっぽどじゃないと覚えてないから。覚えてる人のことはなんとなくわかる」
「がっかりした?」
オレの顔を覗き込むように目を細めてこちらを伺う。確かに、すくなくとも風貌だけ見るなら、あまり関わりたくないと思ってしまう人間になってしまった、とは思うけれど。
「……生きてて、よかった。ほんとに」
「……」
先ほどからオレがそう告げるたびに、彼の眉間に寄っていくシワが深くなっているような気がする。まだ、そこは変わってないんだろうか。
「本当にそう思える?」
「……なにが」
「今のおれを見て、だよ」
「容姿くらいかわ」
「……いつまでそんなこと言ってられるかなぁ。好かないでくれよ、こんな人間のことなんか。擁護しないでくれよ」
ぴしゃり、とオレが続けようとした言葉を遮られ、その先の言葉も否定される。
「……」
「もうね、君が友達だと思ってたおれはいないんだよ」
連れてこられたのは、俗に言うネットカフェというものだった。パソコン、というものにいまだに馴染みがなく(各ゼミ室に一台ずつ置いてあったり、市民図書館にあるのは見るが)そういうものがあるだけでもどこか異世界のようだったのに、畳1,2枚分ずつ区切られた空間も相まって、完全に知らない世界だった。受付の人に頼んで、どうやら部屋を2人部屋に移してもらったらしく、彼に案内されるままに二人部屋に移動した。
「……ここ、なに」
「ホテルより安いからさ、部屋借りるのは流石に親のサインが必要だし。サークルの奴らのことは信用してないから必要外で正直一緒にいるだけでストレスで」
「ここで寝泊まりしてるってこと」
「そう。別に親には友達の家に泊まってるって言ってるから……のんきに友達ができたとでも思ってるんじゃないかな」
少なくとも、何日間も生活できる環境だとは思えない。仕切ってはあるものの上が空いているからか、他人の生活音やタバコやアルコールの香りが空気を充満している。カラオケと同じような料金体系っぽいけれど、そもそもそんなお金もどこから湧いてくるのか。
「学校と家遠いの?」
「いや、そこまで遠くないけど。電車もバスも嫌いだから車で通わせてもらってるし」
「ああ、そうだったね」
あれだけ狭くて逃げられない箱の中が苦手だった彼が、自らこんな狭い箱にいる。空気が悪く、正直治安も悪い……ますます不安が募る。水を変えてやらないと、栄養のあるものを食べさせてやらないと。水の温度が馴染んだら、袋から出してやらないと……。
「……なんでこんなところで寝泊まりしてるんだって言いたげじゃん」
「……いや、まあ、思うけど。帰ってないの」
「帰りたくもないだろ」
「…………」
何かあったんじゃないかと問いただしたくもなる、けれどそれを聞いたらまた彼は身を隠すんじゃないだろうか。どうしたらいい、どうしたら……。
「ほんと、ユキは憎たらしいほど変わんないな」
「そ、う」
自分では少しは大人になったつもりではあったのだ。昔よりは普通の人っぽくなれて……だからこそ、何かを履き違えてしまったような感覚に陥る。
「別に心配もクソもないでしょ、こちとら二十歳超えた大人だよ?ほっといてもらって結構。そもそも健康じゃないんだから、君が心配しようがしまいが、早いところくたばるから」
「ごめん」
「そうやってすぐ謝ればいいと思って。あのさぁ、それは何に謝ってるの?おれが不機嫌になってるのはおれの過失だろ」
「……」
「そういうところがずるいんだ。謝っておけばこっちの出方が甘くなるだろうって、お前は先手を打ってるだけだろ。お前はなにに対して申し訳ないと思ってるんだよ」
「許されたいんだと、思う」
「なにに」
「……ツバサに、もう居なくなられたくないっていうか、その……」
「友達いないの?」
グサリ、と直球の問いが投げかけられる。事実だけれど。
「居るように見える?」
「……なんの嫌味?」
自分からしたら、自分のような人間に親しい人物なんてできないのは明白なのだ。自分が生きることしか考えてない、気も使えないし、そもそも人とそこまで関わろうと思えない。関わったところで結局オレは、自己主張したところで誰にも受け入れられず、信じてもらえない。ほら、こうやって友人と呼べる人間がいない事さえも疑われるのだ。いるわけないだろう。ある程度オレのことを知っていそうな彼ですら、そんなことを問うてくるくらいには猫を被れているようだったけれど、下手に被りすぎて誰もオレのことなんて見ちゃいない。
「……いないよ。喋るとしても大学の教授と事務員さんと、あとバイト先の人くらい。サークルも時間とお金の無駄って思って幽霊部員だし、ワイワイとした空間はあんまり好きじゃないし、興味あることもない、し」
殆ど誰も守ってないとはいえ、流石に法を破ってまで飲酒してみたいとも思わないし、あまり大人数で会食するのも好きじゃない。嫌いなわけではないのだけれど、どこか疎外感を感じてしまう。自分の居場所はここではないと言われているようで、息がつまる。運動も好きでなければ、文化的な活動とも一切縁がない。美術も音楽もテストの成績でお情けで4を貰っていただけで、面白いとは思えなかった。
「サークルは入っといたほうが良いんじゃないの。部長やってたっていえば就活に有利だろ」
「……公務員なる気でいるから」
「なんだ、やりたいこと」
「…………そういうんじゃないよ。ただ、真面目だから向いてるだろって。試験勉強は大丈夫そうだし、愛想よくしてれば適職だろって言われて。まあ、自分でも言われてそうだなって思ったから、そうしてるだけ」
やりたいことも特になければ、やってみたいことも特にない。なにかに興味を持ったことも多分ないに等しい。そういうものが全部、薄い曇りガラスの向こう側にあると感じてしまうくらいには、自分にはもったいない。自分が手にしていいものでは、きっとない。たとえそれに手を伸ばすことを非難されたとしても、手に余るものを無理やり持たされて苦しい思いをしたくもない。
「ツバサはさ、いま何してるの?それこそ大学……だよね」
「ヤリサーで適当な女とセックスして、タバコ吸って、たまに薬やって、深夜まで騒いで?そんな感じかなぁ」
「……そう」
「とっとと誰か孕ませたいんだけどさぁ、誰も生でやってくれないんだよね。ヤリサーのくせに変に真面目なの、半端で腹が立つ。どうせ休学したところで何も言われない金持ちだらけなのにね」
さっきから彼の言葉が妙に遠い。その言葉の意味はうっすらと知っているけれど、それは自分には全く無縁のことで、聞いているはずなのにどこか頭をすり抜けていく。
「なんか、今時の人たちっていうか、うん」
「素直にキモいって言えば?」
「……わかんないや。オレ、そういうの知らないし」
「またいい子ぶって、もしくは感情がないのかなぁ?」
「……いい子ぶっては、ないんだけど」
またこれだ。また、こう思われてる。
「ほんと、ユキってさぁ。昔から死んでるみたいだよね」
「……え」
「そこにいるだけだろ。生きて、食べて、寝て。いつもそれだけだ」
「そう、だね」
否定できる要素がない。毎朝講義前に起きて、講義を受けて、学食で食べて、夜はバイトして、帰ってコンビニ飯を食べて、寝て。変わらないだろ、水槽の中の命と。食べて、泳いで、泳いで、寝て。死を待つだけ。
「見ててイライラするんだよ。もったいないっていうかさ。努力する素養も、地頭の良さも持っていて、顔もよくて健康体で……それなのにどうしてそんなに」
「もったいないって言われるような人間じゃないよ」
誤解されている。別に、自分の頭がいいと思ったことはない。ただ、人より遊んだりしないから時間がそっちに割かれただけだ。顔は……よくわからない、むしろ邪魔かもしれない。変に期待されるか、育ちがいいと勘違いされるから、邪魔だった。
「……そういうところがさ、腹立つんだよ」
どうしたら、オレは彼に受け入れてもらえるのだろう。
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