第5話 自嘲
「ごめん、ユキ肩貸して」
「ん」
こてり、とオレの肩に頭がおちる。
あれからしばらく経って、オレたちは中学に進級した。
ある程度大きくなると開き直ってくるのか、オレは母親のことがある種どうでも良くなってきた。人が来ていない時間に適当に帰り、適当にシャワーを浴び、適当に寝て、親の財布から金をくすねて食べるようになった。最後のは良くないことは理解しつつも、ある日から100円玉すら与えられなくなったのだ。自分が生きる手段はこれしかなかった。罪悪感はあれども、昔よりはだいぶ健康的な生活をすることができるようになったと思う。もちろん、これは彼と彼の親御さんのおかげだった。
対照的に、ツバサは前より暗くなった。うまく夜寝られないようで、オレを枕代わりにすることが増えた。保健室に行く回数も増えたし、学校を休む頻度も、短期入院の回数も増えた。オレができることなんて辛そうな時に背中をさすってやることくらいしかなくて、無力さに嫌気がさした。
ただ目を閉じているだけなのか、それとも本当に寝てしまったのかわからないけれど、彼が規則的に呼吸をしていることに安堵する。大きく作ってもらった袖の余った制服から覗く手はだいぶ白くて生気がなかった。まるで、小学生の時と真逆だと思う。
「今日も寝れなかった?」
「……」
「最近朝方冷えるし……」
母親が明らかに帰ってこなさそうな日などを狙って、彼の家に泊まるようになったのだが、朝方になると大抵苦しそうな咳の音で目が覚める。夏場以外はほとんど毎日だというけれど、聞いているこっちは不安でたまったもんじゃない。
「発作もそうなんだけど」
「うん」
「……ユキはさ、夜が怖いっていうか、嫌になることある?」
夜が怖い、という感覚はないけれど、夜中に家を追い出されるのは怖かった。外をうろつくにしても、警察に見つかったら母親が注意されて、その怒りの矛先はオレに向く。仕方なく共用廊下にいても、近所の人に色々と言われる。だから、嫌いというほうが近いかもしれない。でも大人になれば別に気にしなくなるだろう。
「怖いというか、苦手というか。意識が引っ張られるような感覚がするっていうか。どんどん脳が真っ暗になっていくっていうか。これは酸欠もあるんだけど。寝て起きるだけの簡単なことすらうまくできない自分が嫌になるというか……」
「……でも、寝られないのは生理現象だし……」
「その生理現象すらうまくできない自分が嫌になっちゃうんだよ。ただ外が暗くなっているだけなのにね。余計に静かだから自分の考えに耽っちゃうし、周りがうるさい方が自分のこと考えなくて済むから……それに、たまに起きることがないんじゃないかって思って」
「それ、は……」
「……死にたいはずなんだ。死にたいはずなのに、次に目が覚めなくなることを考えるのが怖い。おかしいじゃない。それって、自分が生きたいって思ってるみたいじゃない……じゃあ、死にたがってるほうのおれはなに?ただ現状を受け入れられないだけのただのわがまま?……まあ、そんなこと思ってしまう時点でわがままなんだろうけれど、生きたくても生きられなかった人たちからしたら、贅沢な悩みで。自分勝手だなぁって、こういうことを考えて、尚更寝られなくなって、寝ついたと思ったら今度は息苦しくなって起きて、布団をかぶって気持ち悪くなってたらもう朝で……まあ、学校行ってればその間は気が紛れるからいいんだけど」
「……まだ、死にたいって、思ってたの」
「だって、言ったらユキ困るだろ?」
口元だけを歪めて笑う。けれど、瞳はまったくそこを見ていない。
「困りはするけどさ、きつく、ないの……」
「その言葉、そっくりそのままユキに返すけど」
この、こちら側を見透かしたようなその瞳が少しだけ苦手だった。琥珀色がこちらを見ている。オレにそれをおもう資格があるのかと問いかけてくる。きっと、彼も覗いてしまうのだろう。自分の心の底を。どこまでも深くて、着地点がなくて、溺れているのだ。オレも、彼も。
「ユキのそういうところ、嫌い」
「……」
「ムカつくんだよね。正直さ。そうやってお前はひどい目にたくさん遭ってきたから、なんの苦しみもなく損得感情もなく自分の身を差し出せるんだ。おれは親に守ってもらってばっかり。自分が人を傷つけたことだってたくさんあるはずなのに、それを周りに擁護させて生きてきた。自分もおれ自身のことばっかりで、保身にばかり走って。今だってそう、君のことを責めることで自分のことを守ろうとしてる。ユキのせいにしようとしているけれど……実際君にはなんの非もない。勝手におれがお前のことを羨ましがって、勝手にキレてるだけ。最低だろ」
「別に、そんなつもりじゃ……」
ただ、オレは彼を失いたくないのだ。たった1人の友達で……それに、自分にだって損得勘定がないわけじゃない。彼がいなければ今頃オレはもっと痩せっぽちだったかもしれないし、なんなら死んでいたかもしれない。他愛ない話だってする相手がいなくなるし、二人組を作ったときに一緒に組んでくれる相手だっていなくなる。自分だって彼らのことを利用しているじゃないか。
「ほら、そういうところだよ。おれはね、頑張っていい人のふりをしようとして、何かをするときは自分が勝手にやっていることだって思い込むプロセスを組まないといけない。見返りを求めちゃいけないって自省しないといけない。そんなこと考えてる時点で自己中で最低最悪のゲス野郎だ。ねえ、いい加減に目を覚ましてよ。騙されてないでさ」
「騙されてるなんて思ってない。オレはオレの意志で、ツバサに死んでほしくないって思ってるだけだよ」
オレにとっては、本当に大事な人だ。別にこれからもなにか貰えるとかじゃなくても、普通にいっしょにいたいだけ。
「……ほらさ、おれのことなんもわかってないからそんなこと言えるんだって」
「わかってない、けどさ」
「おれ、キミにそんなに大事に思われるようなことしたかなぁ?ちょっと優しくされたくらいでそんなんじゃ先が思いやられるよ?」
「ねえなんでさ、そうやってわざと嫌な言い方するの」
わかるわけないだろう、そうやってすぐ自分の悪さをひけらかす君のことなんか。それが、何をしたくてやっているのかもわからない。
「別に、そもそもオレ……人に死んでほしいって思ってないし。悲しいというか、つらい、というか」
母親だとしても、顔も見たことない父親だとしても、なんの関係もない人たちだとしても人が死ぬのはつらい。仕方のないことだと頭では理解していても考えるだけでなにか空虚が浮かんでしまう。
「そういうところが嫌いなんだよ」
「……」
「勝手に悲しんでろよ。そうやって自分が嫌な目に遭いたくないからって他人のことをコントロールしようとしてさ……それが正当化されるのがこの世界だ。本当に嫌になる」
「だって、そうじゃん……そう、するしか……」
「本当にいい子だね、お前は。憎いくらいだ」
自分が理不尽に当たられていることも察しがついていた。彼も、理不尽に当たっているのだとわかっていた。けれどここで彼のことを責める正当性が自分にあるとも思えなかった。ただただ、辛かった。
次の日、彼は学校を休んだ。またいつものように彼の家にプリントを渡しに行った。
「また熱でも出したんですか?」
「それが……」
入院していると、告げられた。
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