第3話 崩潰

「……顔色悪いよ」

「え」

「うん。やっぱり、あんまり今日元気じゃないでしょ」

「そういうユキくんは、ちょっと元気そうじゃん」


 気持ち程度だけれど、いつもより彼の声が明るかった。単調で無機質な機械音ではもちろんないのだ。彼だって人間だからそりゃ、声色が明るいときもあるだろう。そもそも、彼の方から話しかけてくるって事が珍しい。


「昨日、なんだかんだで色々、食べさせてもらったから」

「それならよかった。うちの親迷惑じゃなかった?世話焼きでしょ」


 あれから宿題を終えて、そのあとはテレビを見ながらだらだらとおやつをつまんで食べて、暗くなってきたころに解散した。うちの親もユキくんのことを心配していたらしく、また大人が見るとやっぱり”おかしい”ことが分かるらしく、あれやこれやと彼に食事やら、ひざ掛けやらを押し付けてしまうような形になってしまった。帰宅する前のこんなにもらってどうしようと少し焦った顔のユキくんの姿はちょっと面白かった。


「お母さんにばれてない?」

「オレに興味ないから。一応お菓子の残りは鞄に隠してきた。ひざ掛けも。あれすごいふわふわだね」


 あれこれ手を焼いたことがバレてしまったら、彼の母親がうちに攻めに来たり、もしくはユキくんが酷い目に合うんじゃないかと心配していたけれど、どうやら杞憂だったらしい。できればこのまま上手くいって欲しいのだが。


「ならよかったけど。ごめんね、迷惑だったら言って?」

「……言っても押し付けてくるじゃん。親子そろって、そっくりだった」

「……」

「オレ、父親の顔知らないし。母さんとは、うん。母さんのことあんまりわかんないから。似てるの良いなって思っちゃった」


 一瞬嫌味でも言われるのかと身構えたけれど、彼の口から続いたのはそんな言葉じゃなく、どうしようもないほどきれいな羨望だった。そんなこと言われるくらいなら、嫌味を聞いたほうがマシだ。


「……そんなお母さんと、似てないほうがいいと思うけど」


 少なくともおれはそう思ってしまう。彼の口から聞いている限りだと、ユキくんと彼の母親が似ていたら、きっと仲良くなることはできなかったと思うから。


「ねえ、やっぱりあんまり調子良くないでしょ」

「ただの寝不足」


 あんな夢を見てしまったからか、また寝付けなかった。3時以降の記憶が曖昧で、気がついたら起きなきゃいけない時間になっていて。ずっと不機嫌なまま朝を迎えてしまった。切り替えないといけないと思いつつも、こびりついてしまった感情はなかなか消えて剥がれてくれない。それにいつもより息が切れやすいし、胃だって痛い。


「大丈夫?」


 そう聞かれてしまうと、おれは大丈夫じゃなくても大丈夫と答えてしまうような人間だった。別に遠慮してるとかじゃない、自分のプライドが許せなくてそう答えてしまう。そうやって、また人の善意を踏みにじって。ふつふつと全方向へ向けた嫌気が湧いてくる。


「……」

「オレ、何もできないけど。なんかこうしたら楽になるとかあったらさ、手伝えることは手伝わせてよ」


 その、純粋な優しさが、ものすごく腹が立つ。甘ったるい猛毒のような、カフェインの多い飲料のような。その味で喉と胃が焼き切れそうになる。


「じゃあさ、ここ、絞めてよ」


 彼の手を握って、おれの頸動脈に当てる。どくん、どくんと血が流れる音がする。心臓が弱いし、発作もあるから、人より血圧が高くなりやすくて早く血管がボロボロになるんだって。だから、多分そんなに長くは生きられない。人より電池容量が少ないまま生まれてきたから。


「……な、に」

「これが止まったら、死ねるんだって」

「やっぱり機嫌悪い?」

「……」


 機嫌が悪いのは図星だけれど、だからこう言っているわけじゃない。これは別に体調が良くても、ぐっすり寝られてても、変わるわけじゃない。まあ、人にこんなことを求めている、という点ではやっぱり調子はよくないのかもしれないけれど。


「それは、オレもやりたくない、から……」

「そうだよね」


 それはそうだ。こんなこと頼まれて誰が引き受けてくれると言うのだ。引き受けてくれるのは……彼女くらいしかいなかっただろうが。おれはチャンスをとっくの昔に逃してしまったのだ。


「どうしてそんなこと、させようとしたの」

「どうしてだろうね。わかんないや」


 理由がわかり切っているなら、その理由をつぶせばいいだけだろう。けれどおれにあるのは、この世からいなくなりたいという願望だけで、その願望がどこからきているのかいまいちわからないのだ。あれこれと考えて、心当たりをあたってみても、結局たどり着くのは彼女の存在だけだ。じゃあ二度と解決することはない。


「……オレは、死んで欲しくない」

「なんで?」

「……ともだちだと、思ってるから」


 ああどうしようか。彼はなにか大きな思い違いをしてしまったようだ。おれはなんとなくユキくんのことが気になって、一方的に仲良くなろうとしただけなのに、どうして彼がおれのことをそう評しているんだい?それは勘違いだよ。おれにそんな価値もなければ、君が思っているような人間でもない。


「……ユキくん、おれに騙されてるよ」

「?」

「ごめんね。最低な人間で」


 ただでさえこんなに自分勝手で、こんなに人に感情を押し付けて、挙げ句の果てにそんな情までもたれてしまうなんて。やっぱり自分は最低だ。下手におれがいないとダメな人間になんてならないでくれよ。おれは踏み台で構わないんだ。それ以上になろうとしたら、彼がおれに囚われてしまう。面倒を見なきゃいけないと、母さんみたいにおかしくなるか、姉さんみたいにおかしくなるか。


「…………」


 こんなこと言われたら彼だって困るだろう。そのくらいでいい。おれは好き勝手やっているだけで、きみに見返りを求めたくないんだ。自分のことを友人だと思ってほしいなんて願っちゃいけないんだ。それじゃ、おれがやっていたことが全部下心ありきの悪いことみたいになっちゃうだろ?いいよ、返さないで、要らないから。


「……騙されてても、別にいいや」

「え……」

「オレにとっては、オレのこと心配してくれて、ご飯くれたり、気遣ってくれてるって事実の方が、よっぽど大事」


 ねえ、そんなんじゃないんだよ。本当に心配してるだけだと思ってるの?違うんだよ、おれは、結局君のことを対等に扱えてないんだから。


「もしかして、そうやって餌付けして、お前のこと利用しようとしてるだけかもしれないだろ!」


 そんなこと絶対にしたくない。そんなひどい大人になんてなりたくない。……いいや、もう手遅れかもしれないのだけれど、病気が治らない限り、おれは結局ずっと誰かを利用して世話をさせる最低な人間だ。


「……だって、ツバサくんはさ……オレが本当に困るようなことは、しないし」

「……」

「それに、自分が勝手にやってることだって言いながらオレに優しくしてくれるから……いい人だと、思ってる」


 そう言うところが、騙されてるんだよ。お前。

 ………………それならずっと、騙されていてくれるかい?


「いいの、おれなんかが友達で」

「それは、オレが言うことだよ」


 ━━━━━━━━いいや、きっとおれが、耐えられない。

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