16ページ あかり

To ナギー;

Sub おわったよ

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これから帰りまーす

ちゃんとプリント渡したからね!

-- END --



「――その、あのっ、ご、ごちそうさまでしたっ!」

 そう言って飛び出した雪奈は廊下を二歩進んだところで足のしびれを思い出した。悲鳴をあげるのは堪え、しゃがみ込んで呻く。今無理に立ち上がれば転がりそうな気がして、動けない。

 そんな痺れた痛みのおかげで、自分がまたことに気付いた。あれほど大丈夫だと心の準備をしたと思っていたのに、結果はこれである。また耐えきれずに逃げ出してしまった。

「絶望」

 思わず口からも溢れる不甲斐なさ。

「……あの、桜さん? 大丈夫? もしかして広重が何かした……?」

 大人の声が降ってきて、雪奈は気持ちだけは飛び跳ね――足は動かなかった――大きな目で広重の母を見上げた。

「ちが、あの……すみません。足が、しびれちゃって……」

 恥ずかしさで真っ赤になった雪奈がしおしおと呟くと、広重の母は隣にしゃがみ込んできた。自分の母よりずっと若く見える、綺麗な母だと思った。

「そっか。……治るまで、少しお話してもいいかしら」

「あ、はい」

「広重のお友達なのよね。仲良くしてくれてありがとう」

 友達というにはまだ距離感が、とは言い出せず雪奈は「い、いえ……」とごにょごにょと俯いた。片思いをしている男子の母親と話していることを実感して、頬が熱を持つ。

「――あの子、もしかしてクラスで何かあったのかしら。私には話してくれなくて……桜さんなら教えてくれる?」

「えっと……ごめんなさい。わたしも分からなくて、分からないからナギー――じゃないや、草薙先生に頼んでプリントを届けさせてもらったんです」

 精一杯の丁寧さを心がけながら答える。

「そう、ありがとう。また何かやったんじゃないかって心配で」

 広重の母の言葉に、雪奈がぴくりと反応する。

「また?」

「ううん。違うならいいの。心配してくれてありがとうね」

 ほっとしたような息が隣で吐かれたが、彼女の表情は薄曇りだ。

 雪奈はごくんと唾を飲み込み、膝にあるスカートをきゅっと掴んだ。

「――鈴木くんは優しくて困っていたらすぐに助けてくれて、手を貸してくれて、……たくさんの友達と騒ぐようなタイプじゃないけど、友達がいないってわけじゃなくて」

 一年の頃の広重とたくさん関わったわけではない。それでも、たくさん見てきた。一方的にでも知っている姿がある。

「一年の時に同じクラスだった子たちは、みんな、鈴木くんが何かしたって思ってるわけじゃなくて、待ってると思います」

 ぼそぼそと一気に喋った雪奈は急に減速して「……その、わたしも鈴木くんのこと、待ってます」と膝の上に言葉を落とした。

 広重の母が少しだけ間を開けて礼を言って立ち上がった。雪奈の視線がそれを追いかけるように持ち上げる。

「そんなふうに言ってくれる友達がいるなんて、広重ったら全然言わないの。本当に、ありがとう。ありがとうね、桜さん。――私も広重にもっと話してもらえるようにならないとね」



 雪奈と広重の母が話し終わって沈黙が出来て、ちょうど風太が部屋から出てきた。

 それから二人で「お邪魔しました」と頭を下げ、渡し忘れたプリント類がないか階段下で確認をし、だらだらと帰路につくことにした。

「わたし、また逃げちゃった」

 目印のポストを曲がったあたりで、雪奈がぽつりと呟いた。

 先ほどまで普通に会話していたのに突然灯りが消えたような小さな声だった。

「今日は頑張ったんじゃねえの。前なんて会話すら出来てなかったじゃーん」

 つられて、風太の声も小さくなる。

 夕日はすっかり落ちて、街灯がちらちらと付き始めていた。帰る連絡はすでに両親と草薙にしてあるし、話をするために寄り道をするような時間はない。

「……わたしの話、した?」

「あ、してない。しとけばよかったあ。また逃げたの超ウケるって」

「もー! やめてよお!」

 風太がけらけらと笑うと、雪奈も少し元気が出てきたようだった。頬を膨らませて彼の腕を手のひらで押す。

 灯りが弱くも戻ってきたようで、雪奈はスクールバッグを抱え込むように前へ持ってきて歩幅を大きくした。空を見上げれば太陽と月のグラデーションが出来上がっている。

「鈴木くん、体育祭には来ないよねえ」

 言葉が空へ吸い込まれていく。

「来そうにないよなあ」

 風太の声はまっすぐに前を向いていた。

 雪奈も上を向いた顔を正面に戻す。大きな歩幅でずんずんと進む。

「じゃあ、次は文化祭だね」

「――うーわ。すっげえ先じゃあん」

「うん。でも、文化祭は一緒に出来るといいなあって。一緒の班になれないかなあ」

 しっかりとアスファルトを踏み、蹴って、進んでいく。

「まだ何をするかも決まってないのにい? 気が早すぎでしょ」

 隣の風太が笑って、雪奈も笑った。

 体育祭に広重はこないだろう。それがはっきりとして、雪奈はそれまでの間は彼の不在を諦めることにした。

「鈴木くん、去年の模擬店でわたしがジュースこぼしたこと覚えてるかなあ」

「メロンソーダでクラスティーシャツ染めたやつ!」

「……覚えてないといいなあ」

 胸のスクールバッグをぎゅうっと抱きしめた雪奈はぷくと頬をふくらませる。覚えていてくれたらきっと嬉しくなる、だけど、恥ずかしいから覚えていてもほしくない。

「覚えてるんじゃねえ? だって、リレーで走ったこと覚えてくれてたじゃん」

「リレーだけでいいの!」

 ぱっとスクールバッグを解放した雪奈が走り出した。

「ちょ、雪奈!」

「――体育祭、楽しもうね!」

 すぐ先にあった信号の前できゅっと止まった雪奈が遅れた風太を振り返った。

「それで、楽しかったよって鈴木くんにたくさんお話しよう!」

 信号にくっついた街灯の灯りが彼女を照らしている。

 風太は追いついて、歩行者信号を見上げた。立ち止まっていた信号が歩き出す。

「えええ、また逃げるんじゃねえのー!」

「逃げませーん! 大丈夫だもーん!」

 今度は風太が走り出して横断歩道を渡り、雪奈はあっという間にそれを追い抜く。

 短いかけっこに二人が声をあげて笑って、よく似たの顔を見合わせた。

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