14ページ 触れるか触れないか

To 桜くん;

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よろしくおねがいします。

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 広々とした部屋ではなかった。

 ベッドの下には衣装ケースがぎゅっと押し込まれ、その隣には使い古した学習机と椅子。扉の近くにある低い本棚には教科書は参考書がみちみちに入っていた。

 雪奈と風太が誘われるがまま座り込むと、部屋はもう定員ぎりぎりといったところだ。

 薄くて平べったい座布団に正座した雪奈の背は伸びてまっすぐになっている。部屋を見渡す余裕がないのか、行儀よく手を膝の上で揃えて固まっていた。

「……飲み物、持ってくるよ。お茶でいい?」

 広重が用意してあったのか足が畳まれた小さな丸テーブルを真ん中に出しながら尋ねる。

「ひゃい、あ、えっと、じゃあえんりょなくっ」

「いただきまあす。あ、鈴木ん家って麦茶? オレん家は烏龍茶あ」

「……麦茶だけど、大丈夫?」

「あ、ごめんごめん。だいじょーぶ。なんかさあ雪奈ん家もだけど周りの麦茶率高いからさあ、烏龍茶派探してるだけえ」

 けらけらと笑った風太が手を揺らすと、広重は彼の距離感に少し戸惑ったような返事をしてから部屋を出ていった。

 扉が閉まって、一呼吸もない沈黙。

「な、ななななんでそんなに仲良くなってるの! 何したの!?」

 雪奈が突然動き出し、風太の肩を掴んでぐらぐらと揺すった。あまりにフランクな態度の風太に、信じられない、と表情で語っている。

 一年の頃に風太と広重は関わりが殆どなかった。話した総量でいえば雪奈の方が多いはずなのだが、それでもあんなふうに話せたことはない。

「えー? あんなもんでしょー」

 風太の他人とのコミュニケーションを全く苦にしない――むしろ突然距離を詰められて戸惑う相手も多い――性格を、雪奈は羨ましいやら尊敬やらの目で見る。

 雪奈も友人は多い方だし誰とでも話せるたちではあるのだが、好きな相手にはそれがどうも上手く出来ず空回りしかしない。

「っていうかあ、何をそんなにかちこちになる必要があんの。同じクラスじゃあん」

「だ、だって鈴木くんのお部屋だよ!?」

「別に場所とか関係ねえし。雪奈も家にお邪魔する覚悟は決めてたわけじゃん?」

「で、でもお部屋あ……」

 ふたりがひそひそこそこそと言い合っていると、背中側にある扉が開いた。

 雪奈が不自然にぴたっと喋るのを止めて背中を伸ばす。

 広重はふたりが何か話していたことは分かっているだろうが特に気にしたようすは見せず、視線を斜めに伏せたままテーブルの向こう側に膝を突いた。

「母さんもお菓子の用意をしてたみたいで」

 彼は話に割って入って申し訳ないと思っていそうな控えめな様子で持っていたトレイをテーブルに置く。

「あと、紅茶もあったから持ってきたけど、どうする?」

 尋ねながら彼はチョコレート菓子とポテトスナックの袋、そしてコップをテーブルの上にことんと置き直した。トレイには紅茶のペットボトルと麦茶のボトルが残っている。

「オレ、麦茶でー。鈴木って紅茶飲めるの」

「え、ああ、うん」

「すげえ。あれってさあ、なんか大人っぽい味じゃねえ?」

「そうかな……。慣れなんじゃないかな」

「まじかあ。じゃあ、珈琲もいける?」

「ええと、ブラックじゃないなら……。桜さんはどうする?」

 広重が遠慮がちに雪奈に顔をやると、ぱちりと目が合った。

 雪奈は心臓がぴょんと飛び跳ねたせいで返事が「ひゃい!」と裏返った。もとより桜に染まっていた頬が更に広がって耳まで満開だ。

「わ、わたしも麦茶で……」

 尻すぼみになっていく雪奈はスカートをきゅっと握りしめる。

 口を開けば心臓が今にも飛び出しそうだった。だが、このまま黙っていては何も変わらない。前回の逃亡から何も変われない。

「――お、お菓子……あの、ええと、鈴木くんの好きなお菓子、あるといいんだけど、どうかなあ。あのね、いっぱい買ってきたんだけどね、わたしはこれがオススメでねっ」

 意を決して出した声は思ったよりも大きくて、早口になって、頭の中は言葉に追いつけずに真っ白だった。

 それでも雪奈はわたわたとお喋りをしながら風太との間にあったビニール袋を持ち、中を一つずつ出してテーブルに並べていく。

「忘れる前にプリントとか渡した方がいいんじゃねえの?」

 その横からぽそっと聞こえた風太の声にはっとした。

 緊張と恥ずかしさで伏せていた目線が持ち上がって、隣を見る。

「なんだよお。雪奈が持ってんだからあ、逃げ出す前に出せってばあ。――前のアレ、超ウケたよなあ」

 笑った風太が広重に同意を求めるように視線を向けた。

 雪奈は顔から火を吹きそうになりながら、その視線を邪魔するために左手をぱたぱたと風太の前で揺らす。

「なんで今言うのお! ――あ、あの時はごめんね。ちょっと、その、緊張しちゃってっ」

 恥ずかしさで爆発しそうになりながら、広重の方をちらりと窺う。

 その広重が僅かだが、自然と笑っていて。

 雪奈は恥ずかしさとは全くの別物が爆発したのを感じた。



 ここは教室ではない。

 制服を着ているのは雪奈と風太だけ。

 雪奈が手渡したプリントも、本来ならその都度で渡される課題。

 どうして同じなのに、同じでいられないのか。

 その僅かで大きな違いのせいか、三人の間にある空気はどことなくぎくしゃくとしていた。学校での出来事を話して、教師の当たり外れの話をして、――それでも互いに距離を取って触れない話題がある。

 手を伸ばせば届く。だが、手を伸ばせない。

 その距離が妙なよそよそしさの原因だ、と風太は分かっていた。

 風太はひとりリラックスした風を装って、自らが選んできたスナック菓子を口に入れた。

 広重本人はこのお喋りタイムに乗り気ではなかったのだろう。気まずそうにしているのも、守りに入っているのも、友人でなくたって感じ取れた。

 ――雪奈はどうだか知らないが、風太にとっては広重を友人だとは思っていなかった。ただのクラスメイトであって、彼と必要以上に関わる気もなかった。一年の時にクラス内のグループが全然違った時点で分かるが、空気感が異なる。

「あ、そうそう。プリント渡した時にも言ったけどお、もうすぐ体育祭じゃん? 鈴木もなんか出る?」

 絶妙な空気の隙間に、風太はねじ込んだ。

 友人ならもう少し気を遣ったかもしれないが、関係ない。触れられたくないのなら、触れてみる。

 案の定、広重は触れられた痛みに「いや、……あ、えっと」と小さな声で肩を丸めた。

 痛み。

 痛くないわけではない。

「オレと雪奈が体育委員だしい、今なら出たいやつに出たい放題。ボール運びとか人気っぽいしい先に予約しとけばあ」

 痛むのなら、もう一度触れてやる。

「ちょっと、風太あ」

 その風太に触れたのは雪奈だった。借りてきた猫のようにおとなしい彼女の手が制服の肘辺りを摘んでいる。

 一番、怖くて触れられないのは、雪奈なのかもしれなかった。誰よりも目の前のクラスメイトを教室へ連れ戻したい彼女が、一番弱気になっているのが可笑しかった。

「……ごめん」

 広重が言って、風太はそれを見た。俯いているせいで、広重の真っ黒の髪がよく見える。

「別に鈴木が謝ることじゃなくねえ?」

 ごめん。

 それは、拒否だろう。

 行く気はない、という。

「それでも急に出たくなったらいつでも言えばいいじゃん。適当にさあ、オレと雪奈が融通きかせるし、オレと代わってくれたらあオレが楽出来てラッキーだしい」

 風太は傷に触れた気軽さで笑って、新しい一袋に手を伸ばす。

「トッキー食べる人――っていうかあ、開けたから食ってえ」

 バサッと袋の口が開いた。

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