13ページ 逃げ出さない
To ちょこ;
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だいじょーぶ。
今度はちゃんとお話してくる!
-- END --
席替えで、広重の席は誰かが代わりにくじを引くこともなく、問答無用で廊下側の一番後ろになった。
雪奈は真ん中あたりの席から、端の端になった寂しい空席を確認してしょんぼりと机の端の落書きに目を落とす。ちよが描いていった可愛い猫が慰めるようにこちらに笑いかけていた。
大の仲良しであるちよとも従兄の風太とも席が離れた席替えの後、雪奈は風太と共にひと月前に通った道を再び歩いていた。
広重と母親が暮らすアパートまでの道。
当然、コンビニエンスストアも小さなスーパーも変わらない。しかし、ひと月が経って、季節はすっかり変わっていた。肌寒い日はなくなったどころか暑い日も混ざってきて、来る夏に向けてせっせと準備運動をしている。
「まじで今日は大丈夫なんだろーな」
「一週間もあったんだよ! 心の準備してきたもん!」
今日はちよが不参加だ。家の用があると言われれば雪奈も強引に誘えない。
前回は広重の姿を見るなり逃亡した雪奈だが、今回は絶対に会話をするという強い決意のもとにコンビニエンスストアの白いビニール袋を握りしめている。中身はお喋りの相棒になってくれるはずの菓子類だ。チョコレート菓子にスナック菓子など、広重が何が好きかも分からない雪奈は自身が好きなものを選んでいる。
どれかひとつでも好きなお菓子があればいいなあ、と考えるだけで心臓はざわつく。僕もこれ好きだよ、なんて言われたら一生その菓子を推す自信があったし、そもそも好きなんて言葉を彼の口から聞けてしまったらどうなるか分からない。
そもそもそんな気楽な調子で会話が出来るのか、という前提条件を無視して雪奈がひとりで顔を桜色にしているのを風太はじとりとした目で見ていた。
雪奈は本当に心の準備を済ませてきたのか、前回は緊張の始まりとなった郵便ポストの角を曲がってもとりあえず普通に歩けている。前回同様に到着と同時にその準備がきれいさっぱり吹き飛んでしまうのかは、雪奈自身もよく分かっていなかった。
緊張はしている。
ただ、絶対に逃げ出すもんかという決意も持ってきた。
広重にちゃんと会いたいという気持ちだけは積もり積もって倍増している、はずだ。
「……なんの話をすればいいと思う!?」
「えー。菅原と話すのとおんなじでいいじゃーん」
アパートが近づくにつれ、雪奈は挙動不審とまではいかないが落ち着かない様相になっていく。
「わたし、ちょことなんの話してたっけ!?」
「知るかよ! どーせ会ったら頭真っ白になるんだから考えても無駄だってえ」
「そ、そうだとしても準備って大事じゃあん!」
風太から、本当に大丈夫なのか、という不信の目を向けられる雪奈は、寒くもないのに指先をこすり合わせる。
どれだけ部屋のベッドで転げ回りながらイメージトレーニングをしてきたって、大好きな片思い相手に会う前に緊張しないはずがない。髪型は変じゃないだろうか、スカートは汚れていないだろうか、どうしようローファーを脱いだら靴下に穴があいていたら、一昨日出来た小さなにきびは目立つだろうか――エトセトラ。
雪奈は髪を触り、スカートはたき、ぴかぴかにしたローファーを見下ろし、頬に触れ、と一人でわたわたばたばた忙しそうにしているが、特に何かが変わるわけではない。緊張もほぐれない。
「風太、ちょっと鈴木くん役になって」
「はあ?」
「いいから! ――こんにちは」
「こんちはあー」
「鈴木くん、そんなにだらしなくない!」
「うるせー! 付き合ってやったんだから文句言うなよお!」
くだらない上にあまり意味のなさそうな予行練習をしているうちにアパートの前にたどり着く。
雪奈は鈴木くんはもっとお喋りも大人しくてスマートなんだと力説していた口を止め、ごくりと唾を飲み込んだ。スクールバッグの肩紐をぎゅっと握りしめ、深呼吸を一つ二つ。それても指の力は抜けない。
「……まじで、大丈夫なわけ?」
呆れよりは心配を表に出してくれた風太に、力強く頷く。
「わたしね、鈴木くんが学校に戻ってきてくれたら嬉しいなって思ってる」
「ふうん」
「でも、鈴木くんがそう思っていなかったら、……わたし、すごく嫌な子になっちゃわない? 嫌われない?」
雪奈の視線はまっすぐアパートの二階に向いている。足は動いていないが、気持ちは確実に前進している。
「……でも、雪奈が心配しててさあ、戻ってきてくれたら嬉しいっていうのは嘘じゃねーじゃん」
「うん」
風太も同じようにアパートを見上げたが、すぐに視線を階段へ向けた。
「鈴木がどう思ってるかなんて知らねーけど、雪奈が変な気を使って嘘つくのもおかしいじゃん。嫌われるのが嫌だからって戻ってこなくてもいいよーなんて言う方がおかしいじゃん」
ほら行くぞ、と風太が親指を立てて階段を指し示す。
雪奈はようやく上げていた顎を戻し、視線を正面に戻せた。
「押し付けなきゃいいんじゃねーの。っていうか、こっちが心配してるってだけで嫌いだって言う奴なんてやめとけばあ」
「鈴木くんはそんな子じゃないもん」
「じゃあ、気にする意味ねーよ」
雪奈はぷくっと膨らませた頬をしぼませ、もう一度頷いた。風太が指し示す階段へ道が伸びていく気がしてくる。
「うん。……ありがと!」
「一応は片思い同好会だし、背中を押すときゃ押してやらねーとなあ」
けらけらと気楽に笑う風太の勇気づけられ、雪奈は自らで一歩を踏み出した。
呼び鈴を鳴らしたのも、名乗って用件を伝えたのも風太だった。
風太はじとりと雪奈を見ると、彼女は頬を桜というよりその実ほど真っ赤にしていて、逃げ出さないようその場にしっかりと根を張ることに注力しているようだった。
中からの返答の後、ぱたぱたと玄関へ駆け寄ってくる気配。広重の母であろう、女性の声がして――ノブが回った。
「こんにちは。今日は来てくれてありがとう」
「こんにちは、桜です」
「わ、わたしも桜ですっ」
二度目の自己紹介だが、広重の母は初めて気づいたようにきょとんと首を傾げた。
「もしかして二人は兄妹? あ、でも同じクラスなのよね」
「従兄なんです。すげえ似てるって良く言われまーす」
「そうなのね。てっきり双子さんかと。――こんなところで立ち話もなんだから、どうぞ中へ入って」
「おじゃましまーす」
「おざ、おじゃまします」
雪奈はかろうじて風太の挨拶を復唱しながら、かちこちの体をどうにか動かしてローファーを脱いだ。新品の靴下に穴は開いていなくて小さな安堵。そのまま母親にいつも注意される靴の向きに気づけたのは、偶然か、口酸っぱく言ってくれた母親のおかげか、あまりの緊張で普段とは違うところに意識があるからか。震える指でローファーと、ついでに風太の靴の向きを揃えておく。
「こうやって来てくれる友達がいるなんて、本当に嬉しい。ちょっと気難しい子だけど、ゆっくりお喋りしていってね」
前回は仕事だからとすぐに出ていってしまった広重の母だったが、今日は事前に計画されたおかげかゆったりとした様子だ。
「広重、どうするの。リビングでお喋りするなら、お母さん、ちょっと外に出てようか。お部屋じゃ狭いでしょ」
短い廊下の先、リビングのテーブルが見えている。テーブルの上には空のコップがすでに用意されているのが見えた。
「――やっほー。お菓子買ってきたから食おうぜ」
反応の薄い部屋に、風太が迷わず声をかけた。雪奈が手にぶら下げるコンビニエンスストアの袋を奪い取り、揺らしてカシャカシャとお菓子の存在をアピールしている。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと、風太!」
そんな急に声かけないでこっちの気持ちが、と雪奈が目をぐるぐるさせていると扉がゆっくりと内側に開いた。三分の一ほどの隙間から広重が顔を出す。
「……部屋にどうぞ。なんにもないから、面白くないけど……」
顔色は良かった。
寝込んでいたという服装でもなかった。
元気そうだった。
――だからこそ、雪奈はぎゅっと制服の端を握りしめた。
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