7ページ目 喋る喋る喋る
To 雪奈;
Sub Re:ごめん!
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まじで。
ウケないんだけど。
-- END --
自室から顔をだした広重と、玄関に残された風太とちよがそれぞれの場所に硬直したまま視線を絡ませた。
気まずい沈黙。
雪奈がものすごい勢いで階段を降りていく音だけが、虚しく響いている。
「……ええと。いらっしゃい」
広重がおずおずと沈黙を崩すと、風太とちよがはっとした。雪奈がかっさらっていった時間がようやく動き出す。
「お、あ、よーう。久しぶり」
「急にお邪魔してごめんね。今日は草薙先生からプリントを――あっ! ゆっきーが持ってるのに!」
ちよがとりあえず用件を、というところで重大なことに気がついた。
「私、ゆっきー連れてくる。ちょっと待っててね」
本題であるプリントの束は逃亡者が持ったままだ。ちよが風太と広重に謝ってから、大慌てで階段に向かった。雪奈よりもゆっくりとした、しかし精一杯急ぎの足音がタンタンタンと響く。
再び、沈黙。
昨年も同じクラスだったが、ほとんど話したことはない二人だ。居心地が悪い。
風太は気持ちを切り替えるために、肺にたっぷりの空気を詰め込んだ。呆れたように肩を揺らして息を吐く。
「ごめん。全部雪奈に任せててたからさあ、オレも持ってなあい」
「ううん……。その、わざわざありがとう。草薙先生の代わりに、来てくれたんだよね」
広重が自室から姿を見せた。青いスリッパのまま、履き替えることはない。靴の並んだ狭い玄関がふたりの間に空気の壁を作っているようだ。
風太は首の後ろをぽりぽりと掻いて、重くないスクールバッグを揺らして肩にかけ直した。雪奈が戻ってくるまでの間くらいは埋めないと、玄関先で親しくもないクラスメイトと黙って見つめ合うだけになってしまう。
「オレ、桜だけどお。覚えてる?」
「去年も同じクラスだったよね。覚えてるよ」
丁寧に、大人しく、優等生の笑みを浮かべた広重は寝間着ではなく部屋着に着替えており、寝込んでいたわけではなさそうだ。
「よかったあ。知らねえやつが家に来たって思われてたら凹むし」
風太はけらけらと笑いながら、両手を頭の後ろで組んだ。
「ナギーからプリントとか預かってるくせに、雪奈の逃げ去り方ってすっげえやばくない? 言い出しっぺのくせにさあ」
「……桜さんが?」
「オレも桜だけど、まあ、そうそう。サクラサン。菅原もサクラサンに巻き込まれたっていうかあ――」
持ち上げたばかりの腕をおろし、両手の人差し指を立てて耳の下でくるくると回してみせる。
「菅原、分かる? 三編みのほうね」
三編みのおさげを表すジェスチャーとして指を回し続けると、広重がくすりと笑った。ぎこちない、どことなく警戒したような空気だったのが、少し柔らかくなった気がした。
「桜さんも菅原さんも分かるよ。大丈夫」
「一年の時と同じやつってえ、あとは……ああそうだ、グリーンとか一緒だよ。あ、栗井のことな」
「グ、グリーン?」
「そう。グリーン。まじであいつやばいから」
「……前からそんなふうに呼ばれていたっけ」
「んーや。今年からあ。自らグリーンって名乗りだして、まじで超面白いことになってる」
風太は一年の頃からお笑い担当だったクラスメイトが二年になっても健在であることを話のねたにして時間を潰そうとしたが、階段を上がってくる足音が割り込んできた。そちらに顔を向ける。
プリント担当の逃亡兵が駆け上がってくる――風太はそう思った、が、二人分にしては足音が静かだし、お喋り雪奈の声が響いてこない。
「ごめんね。持ってきたよ」
小走りで姿を見せたのはちよだけだった。
風太は目をぱちくりさせて「雪奈は?」と首を傾げた。広重もてっきり二人で上がってくると思ったのだろう、玄関に突っ立ったまま不思議そうにしている。
「ええと、ゆっきはー、ちょっと……今日は元気を使い果たしちゃったというか……。とりあえず、プリントだけは預かってきたから」
ちよが風太の横をすりぬけ、靴の並ぶ玄関に「お邪魔します」と踏み入った。そこにあった空気の壁など全く気にせず、彼女は持っていた封筒を広重に差し出す。
「これ、草薙先生から。行事のお知らせとか、あと委員とかも鈴木くんがいないうちに決まっちゃったから、そういう一覧なんかも入れてあるみたい」
「ありがとう。……三人ともこの辺りじゃないよね? わざわざ、ごめんね」
「ううん、大丈夫。気にしないでね」
ちよがその場でにっこりと笑う。
「早く元気になってね。今日は顔見せてくれてありがとう」
風太はこのままちよがこの場に残るか、これで用事を済ませたからと切り上げるのかと思ったのだが、彼女はするりと玄関から出て、残った男子ふたりに向けて片手をひらひらと揺らした。
「お大事に。――桜くん、私は下でゆっきーと一緒にいるね」
いやいやいやいや、用が終わったならオレが残る意味は――と風太が言うタイミングもなく、ちよは階段へ向かっていく。彼女が階下に向かって「ゆっきー、今行かなきゃいつ行くのー!」と友人を誘う声が響いてくる。
もしかして雪奈が来るまでの時間稼ぎをしろということなのだろうか、と風太は少し考えてからもう一つため息。やるしかない。
「――まあ、なんかさあ、思ったより元気そうじゃん。お大事にって菅原が言うまで忘れてたー。ガッコ、まだ来れない感じ?」
広重が封筒をしっかり抱え込んだ。まるで、防御力を上げるために盾を装備するように。ただ、あんな薄っぺらな封筒ではどんな攻撃も防げないだろう。
「……ええと、まだ少し、風邪っぽくて」
先程笑った時とは異なる、弱く一歩引いた声。
だが、風太は全く気にしないように「ふーん」と同じトーンで頷いた。
「ま、来たいタイミングで来ればいいんじゃね。みんな待ってるって菅原も言ったけど、本当のことだし。雪奈ほどめちゃくちゃ心配してるやつはいないかもしんないけどお」
去年一年間、同じクラスにいて広重にお喋りな印象は全くなかった。だから、風太が間をもたせるためにはこうやって一方的に口を開くしかないのは予想通りだったし、そこに苦労は感じない。
それでも、学校へ来る来ないの話題に触れたときの広重の反応は、持っていた印象よりも更に大人しい――暗いといってもいい――ものだった。風邪で顔色が悪いのか、表情が曇ったせいか。
風太はそんなことに気が付きながらも、触れずにクラスの話を続けた。
委員長は誰になった、英語の担当が一年とは違って面白くない、自称グリーンのやばいクラスメイト、エトセトラ。
――と、制服のポケットが震えた。携帯電話を取り出すと、雪奈がメッセージが来ていた。思わず眉間に皺がよる。
「長話してないで帰るぞーって。ごめんなあ、オレ、超お喋りだからあ。鈴木は文句も言わずに聞いてくれるから、つい。聞き上手ってやつ?」
「ううん……。クラスの話を聞けて、良かった。ありがとう」
少しばかり、いや、しっかりと感じた苛立ちをそのまま返信にし、もう一度ポケットに携帯電話を仕舞う。一体なんのためにひとり喋り続けたのか。苦労が報われない虚しさがあった。
「はーあ。一番来たがってたのが雪奈のくせにさあ。結局戻って来ねえの、超ウケない?」
風太は笑いながら外向きに開きっぱなしの玄関扉に手をかける。
広重が少し悩むように視線を伏せ、首を傾げた。
「……どうして、桜さんがそんなに気にしてくれるの?」
雪奈の思い人を見る。
ここに来ないあいつが悪いのだ、と思いながら風太は静かに、表情を動かさないようにして言ってやった。
「――自分で考えれば?」
雪奈の趣味にも首を傾げたくなるが、風太はさっと空気を明るく戻してもう一方の手をひらりと振った。
「それか、ガッコに来たら分かるんじゃねえの。それじゃあ、お大事にい。またなー」
広重が遠慮がちに「ありがとう、さよなら」と手を振ったのを、しっかりと見ることはなく風太は冷たい扉を閉めた。
そして、彼が内側から鍵をかける音がするよりも早く、風太は階段へ向かった。
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