6ページ目 足踏み
To 雪奈;
Sub Re:(non-title)
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はーい。あんまり遅くならないようにね。
晩ごはんはゆきの好きなハンバーグだよー。
ふうくんに晩ごはん食べていくよう言っておいてね。
ふうくんところのお母さん、今日は遅くなるんだってー。
-- END --
草薙特製の地図どおりの場所にアパートがあった。壁面に張り付いたアパート名は手元の地図にあるものと一致する。
ポストを通り過ぎた地点から雪奈の挙動不審は始まっていたが、アパートを目の前にした彼女のそれはまさにピークに達していた。
「ま、まままま待って! ちょっと待って!」
「またあ?」
風太が呆れて顔をしかめるのも仕方がない。彼女が短い直線の間にこうやって足を止めたのは何度目か。
「ゆっきー、もう着いたんだし……」
親友で気の長いちよでも、流石に笑顔がかなり薄っぺらくなってきている。アパートの敷地に入るか入らないかの場所で立ち止まっている雪奈の手をとって軽く引っ張る。
「渡して帰るだけなんだし、ほらほら、そのために来たんでしょ」
雪奈は「ふええ」と情けない声を弱々しくあげながらずるずると引っ張られていく。
「な、なんて言えばいいの? お元気ですか?」
「元気じゃないから休んでるんじゃねーの」
「ああっそうだった!」
雪奈は早起きをして磨いたローファーをちまちまと、普段の軽快な歩幅の三分の一で動かしながらアパートの階段前までどうにかやってきた。わたわたと手を動かしてちよの手を振りほどいてしまう。
「どうしよう! 鈴木くんが出てきたら、なんて言えばいい? 練習しておいたほうがいいんじゃない? ねえ、ちょこ……!」
「普通に、久しぶりだねー、とかでいいんじゃないかな。ゆっくり休んで元気になってね、とか……」
「そ、それだー!」 私にその言葉を譲って!」
「いいよいいよ。それと、チャイム鳴らしてからの挨拶もゆっきーに任せるね」
ちよの辛うじて抑揚のある棒読みな指導に、雪奈は真剣な面持ちで頷いている。
「こんにちは!」
「そうそう。それから、学校と名前と、用件も言わなくちゃ」
「八ノ重高校二年C組の桜雪奈です、鈴木くんにプリントを持ってきました!」
「その調子その調子」
雪奈の意識が練習に持っていかれている間に、ちよは彼女の腕を持って階段の方へ進んでいる。
風太は雪奈の扱いに慣れているちよに、女友達と幼馴染という立場の違いを感じながら後ろをついていく。自分だったらあのままうだうだと文句を言いながら待つか、煽ってやる気を出させるか、である。
「菅原ってえ、たまに雪奈の姉ちゃんかよって思うわー……。実際、姉ちゃんなんだっけ」
ちよは「お姉ちゃんかあ」と照れくさそうにはにかんでから、ゆっくりと階段を上がっていく。
「妹と弟がいるけど、ゆっきーみたいに素直じゃないから大変だよ」
くすくすと笑ったちよに妹扱いをされている雪奈は「久しぶりだね。早く元気になってね。ゆっくり休んでね」とロボットのようにぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。
「――そういえば、私たちが行くって草薙先生が鈴木くんの家に連絡してくれてるんだよね?」
「雪奈がそう言ってたけど」
二階に到達した三人が立ち止まった。顔を見合わせる。
「……私がついてきていること、伝わってないんじゃない? ゆっきーに誘われたの、先生のところから戻ってきてからだし……」
「待てよ。じゃあさあ、オレもじゃない? オレは来ないと思ってたって雪奈……」
風太とちよが揃って雪奈を見た。雪奈は視線に気がついて目をぱちくりさせ――ふたりの言う意味が分かって両手を胸の前でばたばたさせる。
「わ、わたしだけで行くのは無理だからね!?」
「こういう時って……勝手に人数が増えても大丈夫、なのかな」
「ええ……分かんないけどお……、プリント渡すだけだし、大丈夫じゃねえの……?」
風太の曖昧で自信の欠片もない意見に、雪奈はすがるように必死に頷いた。
「大丈夫だよ大丈夫大丈夫! ね!? ひとりなんて絶対に無理だからあ!」
「ゆっきー、よく届けに行くって自分から言えたよね……」
「オレもこういうところ、意味分かんねえと思ってる……」
雪奈はどう言われようが気にしないことにして、ちよを逃すまいと手をがっしりと握った。目的地である部屋の方向を指差す。
「なんだったらちょこにチャイムを鳴らしてほしいくらいなのに! 挨拶は頑張るからあ!」
挨拶は頑張る、という言葉が聞けたちよは「仕方ないなあ」と息をついて狭い廊下を進み始める。手にしがみついている雪奈がついてくる。
「渡せないのが一番駄目だしね……」
「それは言えてる」
どうかひとりが三人に増えても問題ありませんように、と三人が心をひとつにして目的の部屋番号の前にたどり着いた。
雪奈がごくりと唾を飲む。
「緊張してきた……」
「ずっと緊張してたじゃん」
角部屋、部屋番号の下にある小さな表札には鈴木というシールが張ってある。
雪奈は恐る恐るとインターホンへ手を伸ばしてみたが、すぐにちよへバトンタッチした。お願いします、と両手を顔の前で合わせると、ちよは苦笑したままなんの躊躇いもなくインターホンを押す。
キンコーン。
中から少し慌てた音。すぐに鍵が開いた。
「はーい。ああ、こんにちは。広重のクラスメイトかな」
パンプスに片足を突っ込んで玄関を開けてくれたのは、広重の母親だった。彼女は扉を押し開けながらもう片足もパンプスにおさめる。
「こ、こんにちは! ええと、その、ええと、えっと」
「こんにちは。ハチ高の二年C組で、俺とこいつが桜でえ、こっちは菅原です。センセーからプリントとかいろいろ預かって来ましたあ」
練習の冒頭しかひねり出せなかった雪奈の隣で、風太がすらすらと全てを言い切った。
ちよは風太の紹介に合わせて「菅原です」と軽く頭を下げ、真っ赤になって硬直している雪奈の腕をちょいちょいとつついた。草薙から配布物を預かっているのは雪奈だ。彼女が石像のように固まっていては用事が終わらない。
「わざわざ遠くまでありがとう。三人もお友達が来てくれるなんて、嬉しいなあ。きちんとお礼をしたいんだけれど、ごめんなさいね、もう仕事の時間だから出なくちゃいけなくて……」
「う。ご、ごめんなさい……遅くなっちゃって……」
到着を遅らせた一番の原因である雪奈が肩を丸めてしょげると、広重の母は「ううん。こっちの都合なだけだから」と細い指を優しく揺らした。そして、その指で玄関先に置いてあった小さなバッグを手にとって肩にかける。
「ちょっと待ってね。――広重、桜くんと桜さんと、それから菅原さんも来てくれたわよー。ちゃんと自分で受け取りなさーい」
広重の母は廊下に向けてそう言い、扉をぐいと押して開ききった。
にこりと笑うと年齢が分からない、可愛らしい表情になる。風太は自身の母よりはるかに若くみえる広重の母に、照れたのかすいと視線をずらした。
「お構いできなくてごめんなさいね。良ければお喋りしていってあげて。そこ、広重の部屋だから――それじゃ、広重。お母さん、もう行ってくるね。後で鍵をちゃんとかけておいてね」
本当に時間がなかったのだろう、広重の母はそのまま「ごめんね、ありがとうね」と繰り返しながら階段の方へ駆けていった。コツコツとヒールが階段を鳴らしている。
「……え?」
ぽっかりと開いたままの玄関先で、三人が顔を合わせた。玄関先であの母へプリントを手渡せば終わりだと思っていた。広重の調子がよければ顔を見せてくれるかもしれないとは想像していたが、置き去りは想定外である。
「じゃあ、まあ……」
「渡して帰ろっか」
風太とちよが言って。
「と、ととと突然お部屋なんて無理無理恥ずかしい心の準備も出来てないし!」
雪奈がぱっと身を翻した。
それとほぼ同時、廊下に面した扉が開いて広重が顔を出した。
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