マイ・ロスト・シティー 最終話 後半
僕は今、パブを一目散に抜け出して、駆け抜けている。
家を失った人や、涙を流す人の群れをかき分けて、
”ある場所”に向かっている。
息が切れそうだ。しかし、切れてもかまわない。
一刻でも早く、つかなければならない。
その経緯は、約3分前にさかのぼる。
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扉を開けた。
相変わらず、部屋は何も変わっていなかった。
ロココ様式のランプ。
埃をかぶったルーベンスの絵画。
そして、古びた椅子と机。
5年前、ここでチャーリーと僕は語り合ったんだ。
それは、世界、幸福、街、思い出、そして、人間について。
そのすべてが、脳裏に焼き付いて離れない。
まるで昨日のことのよう。
でも、チャーリーが自殺してしまったという事実だけが、それは違うんだ、と
僕に現実を思い起こさせる。
失われたこの街も、消えていった沢山の人々の思い出も。
すべて、すべて。
思い出をかみしめながら、部屋に踏み入るとギシッ、と床が鳴った。
随分と老朽化しているようで、おそらく、何も手がつけられていない。
まるで、5年間、だれもこの領域に入ることを許さなかったかのように。
しかしこの部屋は、僕という人間を、静かに受け入れたようだ。
机の上に、一通の白い封筒があった。
埃ひとつないそれは、この部屋でランプに代わる唯一の光のように見える。
封筒を拾い上げ、ゆっくりと糊をはがしていく。
その時、脳裏にチャーリーの声がぼんやりと聞こえてきた。ふりはらっても消えないそれに、糊をはがす手がピタリと止まる。
『守護神、ミカエルじゃないか。いい名前だ』
「.....」
『この街も、マンハッタンも同じだ。私そのものなんだ。誰がアメリカを、世界一住みやすい国にしたと思う...?』
「.....」
『いずれ崩れ、破滅し、失うものを、なぜ描く必要があるんだい。我々は知っているんだよ。知っていたのに...』
「...」
『もうとっくに私は気づいていたんだ。いいや、もう一度気づかせてほしかった...。失われた街と心を。この、紙吹雪舞う凱旋パレードに参加し、どこまでも伸びていく摩天楼に希望を抱いていた頃を...』
「.........」
『君が私の、”ひとつの劇”を終わらせる。それが今の私の、希望だ』
「.......ッ、どうして!」
僕はその言葉を思い出し、丁寧にはがしていた手紙を引き裂いた。
「どうして!どうして.....、どうして。あなたは、僕を希望だと言ってくれた。なのに、それを見届けずに終わるなんて....ひどいじゃないか!無責任だ!自分だけ.....希望をもって.....」
息を切らした。
頭を抱え、冷静になれと自答する。
深呼吸をして、引き裂いた封筒の中身をそっ、と見る。
「.....」
一文字一文字を見て、僕は息をのんだ。
文字と単語、単語と文章、文章と文章、そのすべてがかみ合う。
頭の中で、いくつものワードが行き来する。
そして、自分がなさなければならないことを、とっさに感じ取った。
そうして、今に至る。
僕は、人込みをかき分け、駆け抜けている。
待ちゆく人にぶつかるが、もう誰かに謝る余裕などない。
「あっ、」
赤い帽子の、三つ編みの女の子とぶつかってしまった。
「すまない」
僕はそういって、ふりきってしまった。
「お前!!おい、待つんだ!」
行かなければならないんだ。
チャーリーの部屋から出たとたんに、昼間だったそこは、もう夜になっていた。
そして極寒の寒さとなり、空からちらほらと雪が舞っていた。
後戻りはできない。
”そこ”へ行かなければならない。
指定された日に、指定された場所、指定した人に会わなければならない。
そして、今向かう。
チャーリーの”墓”へと。
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Dear michael
If you're reading this, then it's been three days since you came to that pub.
I wonder what you were thinking for the three days. And what do you want to know?
You don't have to be trapped by hope.
"Everything is here."
16 Prepaid Street
Grave of Charlie Uodson
愛しいマイケル
君がこれを読んでいるということは、君があのパブに来てから3日経ったわけだ。
ねえ、君はその3日間何を考えていたの?そして、何を知りたがっているんだい?
もう希望に囚われなくてもいいんだよ。
すべては、ここにあるんだ。
プリペイド通り16番地
チャーリー・ウドソンの墓
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「はぁ.....はぁ、あ」
思い切り走って、自分の体力や、そういう制御するものをふりきって、ここまで来てしまった。体は悲鳴を上げ、思わず白くなりつつある地面に、ひざを落とす。誰かの家の壁に背中をつけて、あたたかな笑い声に耳をすます。裕福な家庭なのだろう。なんだか、笑ってしまう。
「あは...は...あ」
プリペイド通りまではかなりの距離があった。もうどのくらい走ったか分からない。すべて感情に任せてきたのだから。
染み渡る冷たさが、まだ血色づく僕の頬をつたう。ああどうしよう。寒い。もう戻れない。母さんは心配してる。でも、これは僕が決めたことだ。チャーリーが、僕に伝えたかった事を、知るために。でも、無理かもしれない。でも、でも、でも
「行かなきゃ」
自分にそう言い聞かせて、ふるいたたせることしかできない。
ねえ、チャーリー。
チャーリーの手紙の文章を、思い起こす。
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Even if you know me from now on, will you still love me?
君がもし私のことをさらに知ってしまっても、まだ愛していてくれるのかな。
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階段を駆け上がる。目が潤んで目の前が見えなくなっても、その先にある光をたよりにする。
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Waiting beyond that is my sincerity.
それを越えた先にあるのは、私の真実なんだよ。
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行かないで。
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I was scared
私は恐れていた。
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階段を下りて、また駆け出す。
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That I am just a human being. And I'm noticing it.
私が、ただの人間であり、それに気が付いてしまうことに。
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16番地の古びた看板が見え、僕は大きく息を吸った。
胸の高鳴りに押さえつけられて、僕の肺は吐くことを知らない。
そうだ、そうだこれだ。チャーリー。
墓地に入り、白き、空からの産声たちを照らす光をたよりにして、チャーリーの名前を探す。肩に雪が落ちる。ほろほろと落ちて、靴の上で涙している。僕を引き留めたいのかい?もう遅いよ。
さっきまで無かった靄が目の前をさえぎる。時間の経過と、行く先の見えない世界を表すかのごとく。
ついには、墓地の淵まで来てしまったようだった。そしてチャーリーを疑いだしてしまった。本当にこれはチャーリーなんだろうか?誰か別の人物が、僕をからかっているんじゃないだろうか。もう、見つからないんじゃないか。僕はどうしてもう数年前に亡くなった人を、どうもこう....探しているんだろう。
「あ...........あ」
かじかむ手が、僕に終わりを知らせている。これ以上は、きっと。チャーリーは、もう。だれか、だれかだれか..................。だれか。
意識は消えかける。世界は閉じられる。失われた街とともに、忘却の過去へと。
膝を落とし、背中をそって、口を開いて、手を広げる。
雪が舌の上で、永遠の時を刻む。
それが冷たさから、寂しさに変わる。
「あ....」
その時、寂しさが、僕に一つの答えを差し出したように思えた。
これが、あなたが味わった世界。
冷たささえも愛おしく感じる。
寂しさに比べれば、それはマシなのだと。
チャーリーは。
気づきたくなかった......この寂しさを、感じることに。
すなわちそれは、人間であると。
僕が気づかせてしまった。
僕が。
これが真実なの?
これが僕に見せたかった世界?
こんな世界を...
「ああ.....!」
そうか。
「....僕は、あなたに...あなたが希望だった。あなたがどんなにエゴイストを嫌いであろうと!」
涙は、乾ききってしまった。
「しかしあなたが、エゴイストであろうと!」
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I want to die with hope.
私は、希望と共に死にたい。
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僕も、希望の中で....。
「......先にいってしまうなんて」
うずくまる。もう死んでもかまわない。
どうせ死ぬだろう。恐慌は人じゃない。戦争も。物体ではない。
人のエゴイズムが生んだ、怪物そのものだった。
チャーリーはどっちにしろ、死ぬしか無かったんだ。
しかし、あなたの”劇”は続いている。
あなたの、劇を終わらせよう。
そのことが頭から離れない。
まるで、心に小さな花の種を植えられ、それが根を張っているように!
しばらくして、灯は消えかかる。
周りの音はもう聞こえない。
気づけば、若い女の人がこちらに向かってくる。顔ははっきりしない。
「は.........。幻覚が見えてきた」
地面に横たわり、そうつぶやく。
もういい、充分だ。
すべて、すべて。
もう、いいんだ。
『もし、神様がいるなら、いったん世界を作り直した方がいい』
力強くも、優しさをはらむ懐かしいその声。
懐かしい木製のダイニングテーブルに、和やかな音楽。
一凛のローズマリーが、華やかさをまとっている。
ゴシック様式のランプに、ぼんやりと照らされてルーベンスの<受胎告知>の絵画が見える。
死んだはずの父と、あの頃の若い母がテーブルを囲む。
『あら...随分今日は、真面目なことを言うのね』
『ここでしか言えないからね』
『そうね』
僕は思っていることが、口に出せない。水の中にいるみたいだ。
でも息はできる不思議が、ここにはある。
『マイケル。....お父さんだって、こんな世界は間違っていると思う。殺しあうなんて、間違っている。正しい人なんていない。みんな、相手を傷つけ、自分を守るのに必死だ。私もその一人だ。私は、それを自覚している』
父が、僕の頬に手を寄せる。しなやかな手だ。
とても暖かい。
『けど、こうした世界に人間として生まれてしまった以上、私たちはそうやって生きていかなくちゃいけない。...廃れるものは廃れ、新しいものを人は好む。いずれ、過ちに気づくときがくる。もう何十年も先の話だろうが、きっと未来がそれを証明してみせる』
周りがぼやけていく。僕の頬を触るのは、父の手ではないような気がした。
『だが、そう簡単ではない。私たちは、寂しい生き物だから。』
...ああ
『でも、どんなに想い出の街が失われようと、もうあの景色を見れなくなってしまっても、心に傷をおってしまっても、....人にはまた生きていこうとする力がある。そんな...強い力が。』
...
『マイケル。』
...
『私は、希望と共に生きてみたい。』
終劇
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