マイ・ロスト・シティー2
”思いをはせてみる。
あの頃の、活気に溢れた街並みは、僕を魅了した。
人々は、笑顔で国の旗を振る。やっとこの国に、平和が訪れた。
散りばめられた紙吹雪は、何十カラットのダイヤよりも眩しいんじゃないだろうか。
そこには、純粋な生への喜びと、それを分かち合う事の楽しさがあった。
でも、今は、なんとなく違うんだ。
そして 僕たちは、それがなんなのか、よくわからないんだ”
1925, マンハッタン 『ユートピア』パブにて。
チャーリー・ウドソンの『無常と切実』の本を持って、僕は一目散にあの男を追いかける。活気あるマンハッタンでも、人気が少ない路地裏に入った。まるで自分が、よくある、サスペンス小説の主人公にでもなったかのように、”犯人”を追いかけている。
『無常と切実』の本に刻まれていたサインは、明らかにチャーリーのもので間違い無かった。そして、切り刻まれ方からみて、とても良いものとは思えない。ほかにも大きな傷があって、まるで意図的に付けたみたいだった。
僕は、走りながら今一つの仮説を立てている。
それは、サインや傷跡から、あの男が、本当にチャーリーではないか。ということ。ここらでは珍しい帽子をしていて、ここの街のものではないこと。街を転々とするチャーリーなら、していてもおかしくはない。だが、もし違ったら。手に汗を握って、息は切れて。そこまでして、そんな風になるまで、期待したことが違うなら、そこに、何の意味はないのだ。僕は愕然とし、息絶えるだろう。
そんな事を考えていると、路地裏から明かりが漏れているところがあった。暗闇にポッと、誰かが光を投げ入れたような。そんな偶然さを持つ光源に、あの男は、あたりを気にしながら入っていった。僕もすかさず、中に入った。
「坊や、ここはね、あんたの来るところじゃあない」
胸を強調し、露出の多い女性が、その”光景”を見た僕に、そう言い放った。
いわば、そこは、僕のような、女性への口説き文句さえも知らないような子供が来るような場所ではなかった。ふしだらな音、その姿、形。人間の欲を、具現化したような場所だった。僕は男を追っている、と説明すると、女性に持っているあの本を取り上げられた。
「なんだい、これ」
「あ、」
女性は、油まみれの手でページをペラペラとめくるものだから、僕は腹が立って、触るな!と大声をはたき、本を奪い返した。その瞬間に、そこに居た多くの客が、僕を睨んだ。気分を害されたのか、僕は怖くなった。
その時、奥にいた一人のシルクハットを被った男が、パチパチと拍手をした。
あの男だ。
僕は、期待と興奮が入り混じったような目で、”彼”を見つめた。男は、もうあの男ではない。彼だ。
僕はその時、彼が救世主に見えた。
男は、僕に手招きをした。周りの客は、なんだ、と興味を持っているが、次第にまたもとに戻り始めた。
「その本を持って、おいで」
聞き覚えのある声に、心臓は最高潮に達する。生き果ててしまいそうだ。
だがしばし持ちこたえよ、まだだ、まだいってはだめだ。と、抑え込んだ。
そうして、男の個室の部屋に招かれた。
男の部屋は、外界と違って質素であり、いたって豪華なものはない。
机ひとつ、向かいあわせの椅子ふたつ、素朴な絨毯。簡易的なベット。
ロココ様式のシェードランプ。
椅子に座り、シルクハットの彼は、帽子を脱ぐ。
「やあ、僕がわかるかい」
彼は口を開いた。いや、開かずとも、僕は分かっていたはずだ。
彼は、あの、チャーリー・ウドソンだったのだ。
僕には、様々な疑問が浮かんだ。なぜ、チャーリーはこの建物に?なぜ、チャーリーはこの本を?そして最大の謎は、あのチャーリーと僕が、なぜここに居る?ということだ。
「ええ。ええ、わかりますとも。あなたは...あなたは」
何回も、自分の言葉が正しいかどうか確認した。そして、チャーリー、と小さい声で自信なさげに言った。
「うん。僕は、あのチャーリーだ。もしかして、今日の劇も見てくれたのかい」
嬉しくって、たまらなくて、僕は、大きく、自信をもって頷いた。
ずっと本を抱え、気持ちを抑える。
「あなたに...!あなたにあこがれていた」
次第に、これは夢なんじゃないかと思って、醒めないうちに気持ちを伝えようと必死こいた。
「あなたのような人に出会いたかった!ぼく...私は、あなたを理解できる」
言いたいことはたくさんある。でも、これがすべてだ。
「私を...?理解する?」
「ええ、私は、あなたを、ずっと。あなたを読んできた。あなたが初めて描いた作品を読んだ。素晴らしかった。僕は、僕は!」
「呆れたよ」
興奮は、その一言で、ぶつぎりにされた。
張りつめていた感情が、体から抜けていったのが分かった。
「え、あ、」
「君も、大衆の中にすぎない。私を理解できるなんて、たまったもんじゃない」
そこにいたのは、「チャーリー」ではない。チャーリーだ。
僕は、少したってから、自分の言葉に気づいた。そうして、いう言葉がなくて、本を見つめていた。このような自分が、偉大な彼を理解するなんて、ありえない。
しかしそれは、僕自身を気づかせるものだった。
「...あ」
チャーリーは、いきなり立ち上がって、その本を僕から静かに取り上げた。
「君はとても謙虚な人間なんだね」
そして、その言葉を吐き捨てた。僕は困惑していた。
「私がこの本で、一番初めに書いた言葉さ。ほら、ここの」
チャーリーは、僕に顔を近づけて、指で場所を教えてくれた。
「私を理解できるのは、この本だけだ。つまり、君に、私は少し救われたことになる」
「すくう?」
「そう、救われた。まずは感謝を言いたかったんだ。」
引いてしまった興奮は、じわじわと体の中心に集まってきた。それは、心という無法地帯に、侵入し、浸食されるような、寄生さを帯びている。
あの、チャーリーに感謝されている。その感覚が。
「君、名前は」
「マイケルです」
「守護神、ミカエルじゃないか。いい名前だ」
さて、と右手を挙げたチャーリーは、椅子に深く座りなおした。
「本を救ってくれたお礼さ。聞きたいことはなんでも答えよう。スキャンダラスな噂話は野暮なものさ」
僕は落ち着いて、チャーリーを見つめなおした。きっとこれは夢じゃない。そう確信したからだ。
「たくさん聞きたいことがある。でもいくつか...あなたは、人の究極な幸せを描かない。永久的な愛や希望を、描こうとしない」
一度目線をそらして、もう一度見つめた。
チャーリーは、少し微笑んで、うなずいた。
「どうして?」
素朴な疑問、ではなかった。ずっと心に抱いていたものだ。
するとチャーリーは、目線を本に落として、刻まれたサインを指でなぞりはじめた。
「...人間は、不合理な生き物なんだ」
僕も、その傷だらけの本を見つめた。
「不合理という、人間の合理性は私たちを人間たらしめるものだよ。つまり、人間には明らかな欠陥がある。たとえば、それは愛だ。私たちは、子供を作ろうとする。それは、原始社会のような、生命繁殖のためではないんだ...人間の本能に、人間の感情が入り乱れる。それが、エゴイズムを生み出すんだ」
「ただ生きるだけではなくて....」
「うん。ある母親が子供を手放さないのは、子供に母親が必要なんじゃない。母親に子供が必要だからだ。愛というのは、究極の自己愛が生み出した幻想にすぎない。それはまた、男女の仲にも言えるんだ...だって、だってそうなのさ。偶然に出会った男女が、幻想の愛にふけるのは、必然だとしたら。それは、とてもつらいことだ」
僕は、そう語るチャーリーの目に、ランプの光さえともっていないことを悟った。
「愛は、幻想なのですか。一体何が、あなたを取り囲んだのですか」
チャーリーは、そういわれると立ち上がって、机の上にある、一枚の写真を見せてきた。
写真は、どこかの村のような場所で、その村に似合わないくらい大きな豪邸が映っている。そして中央に、若かりし頃のチャーリーが居て、周りには7人の美女が並んでいる。チャーリーにキスをしようとしたり、抱きついている。
「君にだけ教えてあげよう。私の、この、失われた街の話を」
僕は、静けさに包まれた目で、チャーリーを見つめた。
”あの頃、というともう数十年も前になる。
優秀な家系の息子達は、大勢で豪邸に招かれたものだ。
大金の波に溺れ、毎晩のようにパーティーを開く。
それが当たり前の生活だった。
どこかの著名な執筆家もぼやいていた気がする。
彼はタクシーに乗っていて、栗色とバラ色に染まった夕焼けの下、ビルの谷間を進んでいた時だ。
”これ以上、何も望むものがないんだ。幸せにはなれないのだ。
ずっと其のことを、私は知っていたのに。” と。
1967, マンハッタン『ものがたりは続く』より
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