『マイ・ロスト・シティー』

水野スイ

マイ・ロスト・シティー1

1924年 世界恐慌前のアメリカ―マンハッタン。


人の笑い声で溢れるマンハッタンの劇場に、とある少年がコーラ売りとして雇われていた。少年が欲しかったのは、コーラ売りで得る金ではない。ある人気俳優が、一日限りのショーを開くというので、少年はその劇をついでに、観るためなのだ。


劇が上演される前、少年は客席へ売るための準備をしていた。

少年は、その人物について、少し回想をした。


当時、一世を風靡した、チャーリー・ウドソンという人物が居た。

彼が出演する劇は、たちまち完売。チケットが高額で転売されていったほどだ。

彼の劇『マイ・ロスト・シティ』は、中世貴族の、男女の恋愛物語を描いた作品だ。一から台本を作り上げ、卓越した彼の脚本能力に、誰しもが、目を輝かせたものだった。

そして、彼の劇に出たものは、すぐさま売れるというジンクスさえあった。例えば、ブロンドの髪の毛をした彼女、エウレカ―。彼女は農家出身で、女優志望では無かったが、現場を視察していたチャーリーの目に留まり、劇に出ることに。たちまち、人気はうなぎのぼり。彼女目当てに、遠くから来る客もいたほどだ。

チャーリーに見初められて、エウレカと同じ道をたどった女優は居る。しかし、彼女が特異的なのは―彼女が、チャーリーの恋人候補だということだ。

実際、チャーリーの恋人候補はたくさんいる。女、男もだ。

彼らがうらやましくてしょうがない。だが、自分のような、ちっぽけなやつに、目もくれないだろう。ましてや、少年の自分に。

自分が恋人候補になりたいとか、そういうのじゃなくて。ああいう、本当に才能があって尊敬できる人が、身近にいたらよかったな、と少し思うだけだった。


上演5分前のベルが鳴った。

「マイケル?マイケル!何をぼーっとしてるんだ。早く、売りさばけ!」

年上のボーイにせかされ、急いで準備を再開する。

「この間抜けが!!」

ついでに、少し蹴られた。

体罰なんて、当たり前なのさ。



チャーリーの劇は、何が違うのか。

それは、ラストシーンにあると思う。

登場人物が全員、不幸になる。

恋人が自殺したり、誰かに奪われたり、殺されたり。

それはまるで、幸福なんて、幻想の塊でしかないんだよ、と叫ぶように。

この作品では、特にそれが顕著だ。


"この世界じゃ、僕は満足できない。女..金...名声。そういうものは、俗悪なんだよ"

”わたくしじゃ、だめですの。"

"この世界が、だめなんだ。僕は、幸せを感じない。でも、世界はそれを幸せと呼ぶから。僕はそう呼ぶしか、できないんだけれどね”


この後、男の方は、自殺すると言い出す。

"いやよ、わたくし、あなたが居ない世界なんて”

”きっとこの後、みんなが孤独になる世界がやってくる。恐ろしく、凍えるくらい恐ろしいものが。でも、僕はその世界の方が、好きなんだ。"

"なら、共に生きましょう。希望を持って”

”希望...そんなもの、はじめからないのさ”


この言葉を最期に、男は焼身自殺をする。

女は、悲しみに暮れ、彼の葬儀にも出れない。

しかし、数日後、彼の召使がやってきて、彼女に思わぬプレゼントをする。

ある指定された日に、指定した場所、指定した人に会ってほしいといったものだった。

彼女は言われた通りに、その人物の元へ、時間通りに向かった―——

彼女を待ち受けていたのは、大量の金だった。

受取人から金をもらった。

そして、今宵も彼女は、人々の笑い声が絶えぬ、酒場へと夜な夜な繰り出すのだ。

マイ・ロスト・シティー。男と女が、共に過ごした、きらびやかな街はもうない。

そこにあるのは、欲望の渦に飲み込まれた人々で溢れる街だけだ。

まさにタイトルが、最高の皮肉と言えるだろう。


悲しい話だ、と思った。

しかしよくもまあ、こんな話が大衆受けしたものだと思った。

ただ大衆が好きなのは、男の気難しい話ではなく、最後の、女が自分たちと同じように欲にまみれていることじゃないか。結局は、金に溺れ、自分の気持ちよさをたよりに、人生のコマを進めていく。そういうものだ。

人間は、自分と似たような人種が好きだ。

僕には、この劇が、そんな非合理な現実を突きつけているようにしか見えない。

そこが、まさにそこが!逸材で、惚れてしまったというのは、事実なのだ。


閉幕。

1時間半の劇が終わった。

スタンディングオベーションが鳴りやまない。

幕が再度上がり、チャーリーがおじきをして出てくる。

『紳士淑女の皆様。ようこそ、私の劇へ。お楽しみいただけましたかな。実は、私はぜひ、この劇を、この街——みなさんもお分かりの通り、マンハッタンで!行いたいと思っていたんですよ』

どっ、と大衆が笑い出した。ああ、そうだろうね、と言わんばかりに。

『本当はもう少し語りたいのですが―—次の公演に間に合わないのでね』

チャーリーはウィンクをして、また深々とおじきをした。

陽気な音楽と共に、幕が閉じようとしたとき、一人の若い男が立ちあがった。

『エウレカとの関係は?ズバリ?』

群衆は、若い男の方を向き、くすくすと笑う。大衆も気になってしょうがないのだ。

チャーリーは、ずるいぞ、とにやりと口角を上げた。そして、口元に人差し指をやって、再度ウィンクした。答えないつもりなのだ。

大衆は、ヤジを飛ばし、若い男がステージにあがろうとするので、自分もそいつを止めるのに駆り出された。

声を張り上げた連中が、喉が渇いたと言って、コーラを買ってくれたのはよしとしよう。



報酬をボーイからもらって、かねの数を数える。

辺りは暗くなっていた。だいたい、夜の10時くらいだ。

劇場から出て、少し冷え切った夜の街並みを一望する。女を連れて歩く、小太りの男が沢山居る。みな、シルクハットをかぶり、長い杖を持っている。

自分と同じような階級のボーイが、あちらこちらで物を売る。


この街で静かなところはない―——

ため息をつきながら、ポケットに手を入れて、そんなことを考える。

パブや、ストリートの角にある飲み屋で、まだ人の笑い声が聞こえる。

うるさい連中だ。

世界中の光が、ここに集まっているんじゃないか。そう思うほど、夜のマンハッタンは輝いていた。


今や時代は―——、星の数をかぞえるよりも、金の数をかぞえるほうがお利巧で。

人工的に作られた、高いビルをみながら、自らの鼻の低さを恨む気取りが多い。

自分はそういう時、いつもきまって、チャーリーの『マイ・ロスト・シティー』の男の言動を思い返すんだ。

”この世界が、だめなんだ。僕は、幸せを感じない。でも、世界はそれを幸せと呼ぶから。僕はそう呼ぶしか、できないんだけれどね”

シアワセ、しあわせ、幸せ。

人それぞれ違うものを、統一的に表す、この時代。

僕は幸せを感じない、幸せ?そもそも幸せってなんなんだろう。

人類は、一体何をしでかすつもりなんだろう。

そう考えて、やり場のない怒りをどこかにぶつけている。

そして、そんな言動をさせるチャーリーは、一種、大衆に警鐘をならしているんじゃなかろうか。

そして、自分はこの街で、ゆいいつ、チャーリーを理解しているんじゃないか。

そんなことをふわふわと考えていると、なにやら前から走ってくる、この時代にはめずらしい黒い帽子をかぶってくる男が居た。

「あっ、」

自分がその言葉を発する前に、その男とすれ違ったとき、男は何かを落としていった。普通に歩いていれば分かるが、男は急いでいるようすで、息が切れていた。

自分はそれを拾い、落としたぞ、と言ったが、男は気づかず、随分先まで走っている。

何が何だか、とあきれたため息をつき、男を追いかけた。

途中、ストリートに、虫が集まる街灯があったので、それを見てみるとなにやら、本であった。

ずっしりとした重い本で、タイトルと直筆のサインが書いてある。

「——『無常と切実』?」

それが、本のタイトルのようで、次の直筆サインを見た時、

自分は、反射的に男を追いかけていた。

息が切れるほど。


チャーリー・ウドソン 1924


その文字が書かれていたからだ。





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