第9話 三校の名門
「もう動けねえ……」
「夕食はいらないな……」
机にもたれるのもお腹が圧迫されて苦しい表裏たちは、椅子の背もたれにだらしなく体重を預けていた。
「み、みず……うぷっ」
水を飲もうとコップを持った表裏だったが、飲もうとしても中々飲み込めなかった。そのため、そっとコップを机の上に置き直して天井を見上げた。
「よく食べ切ったよな、俺たち」
「ああ、俺も心からそう思う。あれはサービスなんて生易しいものじゃなかった……」
「昼休みが終わったらどうする?」
「幸いにも今日は校内見学だ。見て回る時間が減るがもう少し休もう」
「ああそーだな。それどころじゃねえもんな」
今の表裏たちはさながら空気をパンパンまで入れて膨らませた風船である。ゴムを限界まで酷使してほんの少しの刺激で割れてしまう。
だから、表裏たちは息抜きをすることに決めた。
「あー」
「はあー」
気の抜けた声だけが漏れる。表裏たちを食後特有の眠気が襲ってきたのだ。
そんな誘いに負けないように表裏は気を保とうとする。しかし、周囲の喧騒すら今の表裏には遠い場所のように感じられた。
ふと、見てみるとコクリコクリと掬央が船を漕いでいた。
それに引っ張られたのか表裏も気が抜けたように瞼が降りてくる。
抗おうとした表裏だったが、結局心地よいまどろみに身を委ねるのだった。
◆
無機質で規則的な音で表裏は目を覚ました。チャイムの音だ。
口の周りを拭いながら慌てて起きる。食堂はすでに静謐さを取り戻しており、外からざわざわとした喧騒が耳に届いた。
残されたのは表裏たち三人のみであり、他は全て午後の授業へと向かったことがわかった。
「おい、起きろ。他のやつらも行っちまったぞ」
隣の先で溶けたように背もたれに体重を預けた掬央に声をかけた。
だが、目を覚まさない。掬央はただ眉をひそめて口をもごもごと動かすのみだった。彼はまだ食事をしている気であるようだった。
「おい、起きろって!」
今度は頬を叩く。まず弱く。しかし、動きを見せない。そして、徐々に力を入れていく。そのうちに全力と遜色ないものになると思えた時に、ようやく掬央は目を覚ました。
「何をやっている。無防備な相手を殴るとは流石卑怯で外道なお前だな」
「違えよ。もう昼休みが終わったから起こしてたんだよ」
「ほう、そうか。お前もまだ寝ぼけていると見た!」
表裏は咄嗟に身体を屈める。すると、頭の上を振り抜かれた掬央の手が通過した。
「てめえ!寝ぼけてんのはそっちだろ!」
「ならば、寝相が悪いということだ!」
「何が、『ならば』だ!殴りてえだけだろ!」
「俺がお前を寝かしつけて叩き起こす。そうすれば、俺は起こす権利を得るわけだ」
「そんなわけねぇだろ!ただの暴力だろ!」
「その通りだ!」
「開き直りやがったな!」
掬央が飛びかかる。それに対して表裏は足を軽く開き受けて立つ。
表裏が迎え撃つ寸前にまで肉薄する。しかし、宙に浮いた掬央が突然失速してうずくまった。
「うっ、腹が……苦しい」
「当たり前だろ」
表裏は呆れた顔を隠そうともせず吐き捨てる。そもそも、この程度の時間であれほどの量が消化されるはずなどないのだ。
「ほれほれ、寝てるんだったら起こさないとなあ〜」
足を掬央の腹の上まで持っていく。そして、軽く押した。
「こ、このクソ野郎!腐れ外道!どう見たって起きているだろう!」
手を耳に当てて首を傾げる。キョロキョロと辺りを見渡し頭を掻く。
「聞こえねえなあ。よいしょっ」
「うおおおお!!良いのか!?本当に危ないぞ!どうなっても知らないからな!」
「ちっ、そうだったか。……なんだ掬央!起きてんなら早く言えよ!」
「お前、覚えとけよ……」
仕方なく表裏は足を上げる。流石に彼も被害を受けたくはなかった。
腹を押さえ、睨みつけてくる掬央を視界から排除して未だに伸びたままうなされている想太を起こす。
「おーい、起きろ。敵は倒した。もう安全だそー」
「う、うーん。僕に……ポン酢を……かけても……美味しくないよぉ」
「見ろ食われる直前だ」
「相当、ダメージが大きいみたいだ」
呼びかけてみても想太は起きる気配を見せない。その後も何度か揺すってみても唸るだけで効果がなかった。そのため、表裏たちは次の手段に出ることにした。
「よし、掬央。やるか」
「心痛むが起きないのならば仕方ない」
「よしっ、せーのっ!」
◆
その後想太は無事に目を覚ました。だが、相当焦っていたのだろう。起き抜けに「せめてごまポンでっ!」と叫び声を上げた。
これには、表裏も冷や汗を流して息を吐いた。
「ご、ごめんね!残りを食べてもらっちゃって」
「タダで食べられたんだ。文句ねえよ。むしろ、俺が礼を言った方が良いぐらいだ」
「それに味が染みた肉は美味かったからな。気にしなくていい」
「ありがとう!僕、もう一生ここにいるんじゃないかと……!」
「どんだけ、トラウマだったんだ……」
「弱肉だったからな」
頭を何度も下げてお礼を言う想太。それは、表裏たちの言葉によってようやく収まったのだった。
一段落ついた後、想太も休むことに賛同したため、再び席に着いた三人。
座ってから想太はしきりに自身の頬を撫でていた。そして、しばらくした後に首を傾げて表裏たちに問いかけた。
「あのさ、二人とも。僕なんか顔がヒリヒリするんだけど、何か知らない?」
表裏は目を逸らし、水を飲んでいた掬央はむせた。
寝ていたから仕方がなかった。手っ取り早い方法だったから。などと心の中で弁護を重ねる表裏だったが、ただでさえダメージがあるためにはっきり言うのは
「ほ、ほら!あれじゃねえか?あんだけ口に詰め込んだんだ。だから、皮膚が伸びたんだ。きっとそうだ!な、掬央!」
「その通りだ!それは限界を超えた戦いの勲章だ!」
「そ、そうかな。じゃあ特に問題はないのかな?赤くなったりしていない?」
「あ、あーちょっとだけ赤くなっているけど、大丈夫だ!」
「そうだ、そんなものすぐに治る!」
「わかった。気にしないことにするよ」
そう言った想太の頬には二つの手形があった。
額の汗を拭った表裏は、気を逸らすために頭の中で会話の内容を思い浮かべる。その中で折良く見つかったものがあった。
時間がちょうど空いたから、この機会にいくつか聞いておきたいことがあると前置きをして、表裏はそれを尋ねてみた。
「なあ、薄々思っていたんだけど、この学校ってもしかして有名?」
「それは俺も気になっていた」
「ええっ!二人とも知ってて入ったんじゃないの!?」
表裏の問いに椅子を蹴飛ばす勢いで想太は立ち上がる。
そんな大げさなまでの反応に表裏は掬央と目を合わせて首を傾げた。
「いやー俺は特に。制服が可愛かったからで」
「俺は第一志望に落ちてな。所謂滑り止めだ」
そんな気の抜けた二人の答えに想太は乾いた笑みを浮かべた。
倒してしまった椅子を戻して腰を落ち着ける。そして、机にバンっと手をついて続けた。
「二人とも、全国で三本の指に入る学校はわかる?」
「し、知ってるよ。あれだろ、あれ」
「ああ、それだ、それ」
「やっぱり知らないんだ……」
想太は二人の反応を予想していたようで、鞄から取り出したスマホの画面を二人に見せつける。
「まず一つ目はこれ!」
「
「そう!ここはヤンチャな生徒が多く、実力主義が校風で揉め事が絶えない。所謂不良校みたいなものだね。でも、その分腕っ節はピカイチで、凶悪な犯罪者を相手にする特殊警察をたくさん輩出しているんだ」
「不良校って昨日のやつみたいなのがゴロゴロいんのか」
「それは確かに腕が磨かれるだろうな」
「僕もできれば近寄りたくないな……」
昨日の不良たちを思い出したため、顔をしかめる表裏だったが顔を振って頭から追い出す。
そうやって気を取り直した表裏は想太に先を促した。
「次はこれ!」
「なるほど、
「掬央、お前知ってんのか?」
「まあな。
「お嬢様学校ってやつか」
「うん、大体合ってるというか、僕より詳しそうなくらいだよ」
「何でそんなに知ってんだよ?」
「言っただろ。第一志望に落ちたと」
「何言ってんだ。関係あんのかそれ?……いや、待てよ。おいおいおい。お前、まさか違うよな!」
「あの時は惜しかった」
「本当に受けたのか……!……で、何で受けたんだよ」
「附属幼稚園があると聞いたからだ」
表裏は椅子を倒すことも気にもせずに距離を取る。震える手で掬央を指差して叫ぶ。
「誰かああああ!こいつをつかまえモゴッ!」
掬央の手によって塞がれた口を開こうともがく。だが、掬央の方も相当力を込めて抑えに来ているので中々逃れられなかった。
「いいか、前にも言ったが俺の思いは不純なものではない!」
疲れたのか力が緩んだ隙をついて表裏は抜け出した。そして、無茶がある言い訳を行う掬央を白い目で見た。
「なんだ、その目は!信じられないというのか!」
「だって、なあ?想太」
「あ、あはは擁護できないかなぁ」
肩を上下させている掬央だったが、二人の反応に口をつぐんだ。それでも、深呼吸をして落ち着かせて弁明の続きを行った。
「変態どもと一緒にするな。俺は別に付き合いたいとかそんな風に思っていない。ただ近所のお兄さんポジションとして仲良くなって、いつか結婚式に呼ばれて晴れ姿を見て号泣したいだけだ!」
「それはそれでろくでもないように思えるんだが……」
「それは純粋かな……?」
「これでわかったはずだ!続きだ、続き!」
ひとまず、追求は先送りにするとして再び表裏たちは席に着く。
当然、掬央を見る表裏と想太の目は厳しいもののままであったが。
「そもそもお前、受験資格なかっただろ」
「そうだよ。どうやって受けたの?」
表裏たちが気になったことは当然のことであった。女子校に男が申し込んだとしても願書の時点で弾かれて終わりなはずだ。
しかし、どういうわけか掬央は落ちたと言った。つまり、試験を受けていたということだ。
「校風にヒントを得てな。淑女とはどういうものか学んだということだ」
「で、なれたのかよ?」
「ああ、ありとあらゆる少女マンガを読破した俺は、誰がどう見ても淑女と呼ばれる出来だったと思う」
「マンガなんだ……」
「マンガだからと舐めない方が良いぞ。おかげで俺は女心をマスターしたのだ!」
「それだけで受けられたのかよ?」
「当然それだけじゃない。髪も肩ぐらいまで伸ばし、食パンを咥えて走れるようにもした」
「おい、最後の」
「そうして、受験当日まで漕ぎ着けた。だが……」
「なんだ、問題が難しかったとかか?」
「あの頃の俺はモチベーションが高かったからな。それじゃない。あれがなかったら今頃俺は……」
よほど、悔しかったのか、ぶるぶると震えるほど拳を握ってみせる掬央。ついには、机に額を打ち付けて俯いてしまった。
話を聞いているともうほぼ全ての障害を乗り越えているはずだ。それなのに、どんな重大なミスがあるのか。
しかし、最初から足を踏み外していることはわかりきっていたので、表裏は考える気にもなれなかった。
「あれは、試験の間にある短い休憩時間のことだった。休憩時間と言っても当然まだまだ試験は続くわけで、次に備えて準備をしなければならなかった。文房具の確認、最後の復習、そして、トイレ。
試験中に行きたくなってしまえば、試験に集中できない。そのため、俺は済ましておこうとしたんだ。
だが、
男子トイレはどこですか、と」
「一から十までバカなだけじゃねえか!」
「常識的に考えろ!女子トイレに入っていいわけないだろ!」
「お前が常識を語るんじゃねえよ!」
「それで、バレちゃったんだ」
「ああ、あっという間に摘み出された。それで、鏡凛の学園長に経緯を話したら盛大に笑われた。そこで聞いた話だが、願書が通ったのもそもそも見落としがあったからだそうだ。
そうして、俺はこの学校に来たというわけだ」
「特別な事情があるわけでもなく、ただの欲望で女子校を目指すやつだもんな。そりゃあ、学校側だってこんな頭がおかしいのを想定しているわけがないだろうしな」
「俺の淑女力が足りなかったのだろうな……」
語りながら、窓の先に広がる空を眺める掬央の目は潤んでいるように見えた。
表裏はまた少し、椅子を離した。
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