第8話 食堂の戦い
グラウンドの後も色々と校内を見て回った三人は昼休憩ということもあり食堂へと来ていた。
食堂には購買もあり、パンなどやお菓子などの軽食も購入できるようであった。
学食も種類が豊富で迷ってしまうほどたくさんあった。
「やっぱ、広いな」
「こんなに一気に来ても食堂は機能できるのかな?」
「とてつもない大きさの鍋でもあるんじゃないのか?人一人丸ごと煮込めるようなやつが」
「
「お前よりはマシだ。お前はどうせ、どろっとしてにちゃってして、とても食べられないもののはずだ」
「お前みたいなクズを煮込んだら
「上等だ!どっちが美味しく煮込まれるか勝負だ!」
「やってやろうじゃねえか!塩、砂糖、俺ってぐらい定番にしてやる!」
「二人とも煮込まれるのは良いんだ……」
などといった会話をしつつ、三人は料理の写真がついたメニューに目を通していく。そして、表裏は特別興味を惹かれたメニューに決めた。
表裏は二人の方に目をやった。掬央はもう決まっている様子で食券を買いに行こうと準備をしていた。だが、想太の方はまだ決まっていないようでうんうんと唸っていた。
「何か苦手なもんでもあるのか?」
「いや、そうじゃなくて……。どれも美味しそうで迷っちゃって……」
「確かにそうなるのも仕方ないのかもしれないな。どれも綺麗に写されていて何がオススメかわからなくなる」
「どうせ三年間通うんだ、全種類食べてやるって気持ちで頼んだらどうだ?」
そうやって表裏が声をかけるも想太は中々決めきれない様子で頭を抱えていた。
どうしようかと表裏が思っているとあるメニューが目に入った。数あるメニューの中で異彩を放っているそれ。他の料理にはある写真もなく、ただ文字だけがあった。
「なあ想太、あれはどうだ?」
「あれ?……ええっと、日替わりメニュー?」
「いいだろ?これなら自分で選ぶ必要もない」
「うん、そうしてみるよ」
こうして、三人はそれぞれ注文するメニューを決めることができ、食券を購入した。その後、少し待ち料理を受け取った。想太はまだもう少しかかるようで、先に食べててと言われた表裏と掬央の二人は既に席に着いて手を合わせた。
表裏は待ちきれないと言わんばかりに箸を持ち早速、食べ始めた。掬央もすぐに食べ出したようで黙々と手を動かしているのが見えた。
そして、二人が学食を堪能し、茶碗に盛られたご飯を半分ほど食べた頃に想太が戻ってきた。
ゆったりと慎重にテーブルの上に料理が乗せられたトレーを置く想太。彼は椅子を引き、席に着くと息を吐いて項垂れた。
「はあ……」
思わず見てしまった表裏は言葉に詰まった。目を擦り再び見る。だが、擦る前と変わらずやけに想太の姿が不自然に小さく見えた。
遠近法というには距離は二人の間にない。原因はその想太が持ってきたトレーの上にあった。
「あーなんだ想太……その量」
「それほど腹が空いていたのか。意外と食べるんだな」
「ちがうよっ!こんなに食べきれないよ……」
「じゃあ、なんでそんな山盛りになってんだ?」
「食堂の人が線が細いからたくさん食べた方が良いってサービスするって言ってくれて、断りきれなくて……」
表裏は想太の前に置かれた料理を見た。そこにあったのは想像よりも一回りも二回りも大きい器であった。想太が頼んだメニューは鍋で器いっぱいに大量の具材が敷き詰められていた。
そんな具材を浸している出汁の香りがふわっと広がる。
「何鍋なんだ?」
「ちゃんこ鍋だって。だから、余計に多くなっちゃって……」
「目指せ力士ということだな」
「いやいや、張り手一発で骨が折れるだろ……」
「……とりあえず、いただきます」
想太は鍋から具材をよそっていそいそと食べ始めた。お玉で掬った時には怯んだいたが、顔を振って口に入れていく。白菜、大根などの定番の野菜が次々に顔を出す。
彼は頬が膨らんでしまうほど口いっぱいに詰め込んでいく。口を動かして飲み込む。よそってかきこむ。それを幾度か繰り返して、彼の動きはみるみるうちに鈍くなっていった。
丸く膨らんだ口がまるで牛が咀嚼しているようにゆっくりと動くようになり、よそうために使っていたお玉がとてつもない重さであるかのように持ち上がらなくなった。
「……味はどうだ、想太」
「おいしかったよ。……今はもうわかんない」
「だが、相当食べたようにも見える。そろそろ底だって現れるだろう」
想太は項垂れることで答えた。そんな想太の態度を不思議に思い、表裏は鍋を覗き込もうする。掬央もひょっこりと顔を出して左右から二人で鍋を見下ろした。
「こ、これは!肉……だとっ!?」
「野菜は氷山の一角に過ぎないというのか!?」
「……そうみたいだよ。野菜という屋根の下には肉という骨組みがあったんだ……」
満身創痍の想太を襲ったのはこれが肉のカーペットとでも言うかのように鍋底一面に広がった豚肉であった。
それでも、一見目の前に広がる大海原に打ちひしがれているように思えた想太だったが諦めてはいないようだった。薬味としてついてきた大根おろしを器に持った肉に乗せた。想太は胃に優しくさっぱりと食べようとしたのだ。
そして、一枚ゆっくりと噛んだ。
「お、おおっ!想太、いけるか!?」
「いいか?こう思え。肉は、ごちそうだ!」
「……ごちそう……ごちそう、これはごちそう……ごちそう……さまでした……」
とうとう、想太は静かに手を合わせてしまった。彼はわずかに背中を曲げ、顔を俯かせてまま微動だにしなかった。
そのあまりの悲壮さに表裏は見ていられなくなった。
「なあ、掬央。お前は少し、物足りなかったんじゃねぇのか?」
「そうかもしれないな。このままでは午後の授業を耐えられないな。……それで、そういうお前はどうなんだ?」
「聞くまでもないだろ。俺は育ち盛りってやつだ。これじゃあ、痩せ細っちまう」
「なら、決まりだな」
「そうだな」
表裏は固まっている想太の肩を叩いた。想太はぴくりと体を揺らして緩慢な動作で頭を上げた。瞼が半分下がった目で表裏を見つめる想太。そんな彼に表裏は告げる。
「俺たちまだ腹が減ってんだ。だから、よければそれを分けてくれ」
「……あ、あり、がとう。僕もうダメだと思ってたんだ。今だってほら、かつて食べた野菜がそこに武器を持って……」
「早く食べるぞおおお!」
「食物連鎖が入れ替わる前に!」
トレーごと鍋を奪う表裏と掬央。そして、相対する。想太を被捕食者へと引き摺り下ろした強敵と。
表裏は頭を回す。それこそ、昨日追われた二つの出来事よりも必死に。想太があまりにも辛そうであったために見栄を張って育ち盛りなど宣ったが、彼が頼んだものもそれなりの量があったのだ。
そのため、考えなしに目の前のこれを食べられるほどの余裕は彼にはなかった。
彼は掬央の方にちらりと目をやる。掬央もしっかりと完食しているので、彼も同じ状況であるはずだ。
そして、目が合った。掬央も彼と同じ思いであったことは明白だった。
二人ともここで引き下がるという選択肢はなかった。しかし、無策で飛び込むのはあまりにも無謀。そのため、二人は固唾を飲んで出方を伺い合った。
そして、数秒の沈黙の後、二人の考えが一致した。
––––先に手を出すのは悪手……!
先に食べ始める、それはすなわち食いしん坊アピールに等しいものであった。そうなると必然的により多く食べなければいけなくなる。その差が今のこの状況では致命傷に
表裏は掬央の一挙手一投足を見逃さまいと目を見開く。少しでも動きがあったら、それを指摘して腹が空いているのだろうとするためだ。
そして、掬央もまたそんな彼のことを見つめ返していた。両者一向に動きを見せず、ただただ騒がしいはずの食堂の一角に静寂が流れた。
表裏はひそかに息を飲んだ。微かな喉の動きでさえ掬央に指摘されてしまうと考えたからだ。
だが、そうこうしている間も時間は過ぎていく。あくまでも今の時間は昼休みなのだ。じきにチャイムが鳴ってしまう。だからこそ、表裏は意を決して声をかけた。
「おい、どうした掬央。腹が減ってるんだろ?冷めちまうぞ」
「それはこっちのセリフだ。お前の顔に書いてあるぞ。食べたくて仕方がないと」
「おっと、足が滑った」
表裏は机の上にあるトレーを掬央側に寄るように身体を倒してそっと押した。それは鍋の表目に波紋の一つも起こさせないような静かなものだった。表裏が腕を伸ばしきる直前にトレーの動きが止まった。
そこから彼が力を更に加えようともトレーは動かない。訝しんだ彼が身体を起こすと彼が押している方とは反対にも手が伸びていた。
「なんの手だ、それ。そんなに我慢ができねぇか!」
「そっちこそどうなんだ。先に手をつけたのはお前だろう!」
「お前が遠慮しているからよそってやろうとしただけだ!」
「遠慮なんかしていない。お前が先に食え!」
「うっせえ!お前が先だ!」
表裏は箸を携えて構えをとった。その箸には肉がつままれていた。
掬央も箸を手に取った。当然、肉もまた挟まれていた。
言葉で動かせないのならば、力で動かさせる。単純なことだ。
表裏が先に仕掛ける。肉を掬央の口の中に突っ込むために箸を突き出した。
「おら、味わえ!あーんだ!」
「誰がお前のあーんなんぞ受けるか!くらえ!」
しかし、彼が放ったあーんは掬央に躱されてしまった。そうして食わせるどころか、体勢を崩してしまい、掬央の箸が彼の寸前にまで迫ってきた。
それでも、表裏は不敵に笑って見せた。
彼は空振った手とは逆の手を上げる。そこにも、先ほどと同じように箸に摘まれた肉があった。
「何だと……!?左手でも箸を……」
「甘いんだよ!そっちは囮だ!」
「だが、その体勢から躱わせはしない!」
「くっ……そ、こうなりゃ共倒れ覚悟だ!」
クロスカウンターのように交差した腕が互いの口に肉を押し込みあった。そして、同時に倒れ込んだ。
表裏は肉を飲み込むためにむしゃむしゃとゆっくりと噛んだ。それから喉を動かした後、呟いた。
「……うめえ」
「……うまい」
出汁がよく染みていて噛めば噛むほど味が出る。満腹に近く味わう余裕がないはずであるのに、表裏はその味をはっきりと感じることができた。
掬央も同じだったようで表裏と同じタイミングで呟いていた。
表裏は身体を起こして掬央に対して頷く。せっかくの料理であるのに、こんな争いをしていては勿体ないと思ったのだ。
さらに、掬央も頷いたのも見て、表裏は大人しく席に着いた。
「悪かったな。こんなに美味しいんだ。しっかり味わねえとな」
そう言って表裏は椅子を引いた掬央に鍋をよそう。
それを見た掬央も笑って力を抜いた様子で座った。
「そうだな。どちらが食べるじゃなくて、どちらも食べるのが良いだろう」
「ああ、パッと食っちまおう。……よしっ、これでちょうど半分か。改めて……いただきます!」
「……おい、ちょっと待て。これのどこが半分だ!?」
表裏はその言葉に返事をせずに食べ始める。大きく口を開けて、よく噛み飲み込む。
そうして、最後の一口を名残惜しむように味わいきって、手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
一息ついてお腹をさする表裏。満面の笑みで食後のお茶を楽しんでいる彼に邪魔が入る。
掬央であった。食べ終わるどころか彼の器にはまだ多くの肉があった。
何をしているのだと表裏は呆れて息を吐く。
彼は非難したくなった。自分だけに食べさせるなと。
「おいおい、何だよ。早く食べろよ。早くしねぇと時間がなくなるぞ」
「何一人だけ普通に満足してやがる!何が半分だ!大量に盛りやがって!」
「うるっせえ!いくらうまくても、もう腹がいっぱいなんだよ!」
「それは俺もだ!こんなに食えるか!」
「器にあるやつを返すのはマナー違反だ!行儀良くしろよ!」
「お前がマナーを語るか……!」
掬央はどうしても手が進まないようで苦い顔をして器を見つめている。そして、それを見て表裏はこれまた意地悪くニヤニヤと笑っていた。
「ううっ……早く……食べないと……」
そんな中、倒れた想太が呻く声が表裏の耳に届いた。想太はどうやら夢にも鍋が出てきているようで、眉間にぎゅっと皺を寄せてうなされていた。
「……早くそれを寄越せ。こいつが起きる前に食べるぞ」
表裏は器を掬央の下へと滑らせた。
掬央も素早く肉を入れて表裏へと返す。
「最初からそうしろ」
「うっせえ。お前が中々食わねぇからこうなってんだろうが」
「色々と言いたいことがあるがまあ、なんでもいい。さっさと食べるぞ!」
そうして、表裏たちは喉に詰まらせたり、水で流し込んだりしながら、さらに肉の絨毯の下から床下収納ばりに現れた鶏肉たちに絶望しながらも、何とか鍋を空にしたのだった。
「ご、ごちそうさまでした」
空になった鍋に置いたお玉がゴングのようにカランと音を立てたのだった。
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