第5話 入学二日目

 入学初日とは思えないような濃い一日の翌日、表裏ひょうりは寝惚けまなこを擦りながら通学路を歩いていた。昨日のような醜態を見せるわけにはいかないように、少し早めに家を出たので、まだ完全に起きてはいないのだ。

 さらに、学校が始まる前までの不規則な生活もたたって表裏の足取りはよたよたとした頼りないものとなっていた。


 そうして、電柱にぶつかりそうになったり、側溝にはまってしまうなどという危機を乗り越えた表裏は無事に星見学園にたどり着くことができた。

 しかし、表裏は立ち尽くしてしまっていた。また新たな問題が発覚してしまったのである。表裏は自身のクラスも教室の位置も知らなかったのだ。他の生徒の波でごった返す下駄箱を表裏は立ち止まって眺めた。

 どうして自分はクラス分けすら知らないのだろうか。これは学校側の怠慢なのではないか。などと、表裏は昨日の自身の所業を忘れて責任転嫁をし、憤った。


 「何をしているんだ、バカ」


 そんな、近寄りがたい奇妙な生物に声をかけた人物がいた。昨日、表裏と一緒に転落した長井掬央ながいきくおだった。

 声が聞こえた表裏は振り向き、首を傾げてきょろきょろと周囲を見渡した。


 「おい、バカくん。呼ばれてるぞー」


 「お前以外に誰がいる」

  

 表裏には分からなかった。自身のどこにそんな要素があるのか。

 謂れのない罵倒を受けたと勝手に思っている表裏は反論する。


 「んだと、バカはお前だろ諸悪の根源。昨日、お前に巻き込まれたせいで俺はクラス分けすらわからねえ」


 「どう考えてもお前が余計なことをしたからだろうが。お前が足を引っ張らなければ俺は無事に出席できたはずだ」


 「足を引っ張ってたのはそっちだろうが!」


 他の生徒から避けられ、遠巻きにされている中、二人は醜い言い争いを続けていた。

 そんな中、表裏がふと辺りを見渡せば先ほどまでの賑やかさが影も形もなく、随分と時間が経っていたことに気づいた。

 自分の下駄箱を探そうとするが当然分かるわけもなく、焦りを募らせていく。二日連続で遅れるのはあまりにも良くない。ただでさえ、昨日の件で悪目立ちしているおそれがあるのだ。これ以上は致命的なものになってしまう。

 そうして、無駄な努力を表裏が重ねていると朝の始業の五分前を知らせる予鈴のチャイムの音が聞こえてきた。


 「大体何が作戦だ。そもそもお前が俺を殴り飛ばさなかったらああはならなかったはずだ」


 「そんなこと言ってる暇ねえぞ!もう始まっちまう!行くぞ!」


 未だに一人でぶつぶつと表裏への文句を言っている掬央に声をかけて走り出す。

 

 「何だと、もうこんな時間か!また、お前のせいで遅れるところだった!」


 「言い争ってる時間はねぇよ!早く行くぞ!」


 「……とこで行くって、どこにだ?俺たちは自分たちのクラスすら分からないだろ」


 所属するクラスが分からないため、当然、表裏たちが向かう先は教室ではない。


 「結局のところ俺たちがクラスすら知らないのは学校が悪い!だから、行くぞ職員室!」


 掬央などではない本当の意味での諸悪の根源。あの騒ぎの責任を負うべきなのは学校だ、などという頓珍漢な理屈を持って表裏たちは最低な意思で職員室までの道を駆け抜けた。


 「なるほどな。そもそも、あんな風に追い立てられなければ騒ぎ何て起こりもしなかったはずだ!」


 「そういうこった!」


 幸い、職員室の場所は知っている。生徒指導室のすぐ隣だからだ。昨日のあの小さな白い正方形を黒くする塗り絵にも意味があった。なんて表裏は心の中で思い通りとばかりに呟いた。


 職員室までの道のりを順調に辿り、最後の角を曲がってその前まで来た表裏たちがその扉に手をかけようとした時、力を加える前に先に音を立てて開いた。


 その先から現れたのは表裏たちが昨日相対した、教師を名乗る筋肉男だった。

 

 「むっ」


 「げっ!」


 表裏たちはその姿を見た瞬間、距離を取って身構えた。表裏は動けるように半身になり、掬央はどこに隠し持っていたのか、また身の丈ほどもあるスプーンを取り出した。


 「いや、おかしいだろ。教師に会った反応ではないだろ」


 「何が教師だ!俺たちにした仕打ちを忘れたのか!」


 男が何かを言っているが表裏には聞こえていない。表裏の脳裏に浮かぶのは昨日のことであった。人の尊厳を踏み躙るような所業、新雪に足跡を残すことを楽しんでいた子どものように登校してきた学生に対して、追い回した挙句狭苦しい部屋に監禁したのだ。これが言うに事欠いて教師だと、表裏には到底信じられなかった。


 「俺の記憶が確かならお前たちに原因があったと思うんだが……」


 「掬央、どっちが悪いと思う?」


 「学校だ」


 掬央の支持を得た表裏はこれで迷いは無くなった言わんばかりに真っ直ぐに教師を見つめた。その視線を受けた教師は理解ができないといったように困惑し、疲れたように嘆息した。


 「教師となって十数年。俺は十分に教師として成長していたと思っていたのだが……。思い上がっていたのかもしれん。どう指導すれば正しいのか分からん……!」


 そうやって嘆く姿に哀愁を誘われたのか、それとも、屈強な男が縮こまって拗ねたようにしているのを視界に入れたくなかったのか、表裏と掬央は慰めの言葉を頭の中で探した。


 「おいどうする。なんかしょんぼりしちゃったぞ」

 

 「俺が知るか。とりあえず何か褒めれば良いじゃないか?」


 「それもそうだな。まず俺がやってみるから、掬央も後に続けて言ってくれ」


 「わかった」


 相談を終えた二人は言葉を紡ぐ。タンポポの綿毛を掴むように優しく、新品のタオルのような柔らかい言葉を–––––––。


 「十数年なんて凄いじゃないですか!ゴリラだったらとんでもないベテランですよ!」


 「全くだ。きっとチンパンジーやオランウータンにもモテモテでしょう」


 「お前たちバカにしてるだろ」


 「い、いやだなあ。バカにしてるわけないじゃないですか。な、掬央」


 「当然だ。心の底からそう思っています」


 「その方がダメだろうがああああ!」


 「ご乱心だ!俺たち何か怒らせるようなこと言ったか!?」


 「言ってないはずだ!これ以上ないほど褒めちぎっていた!」


 しょぼくれていた雰囲気を変え、怒気を露わにした教師が今にも表裏たちに飛びかかろうと荒い息を吐いた。そして、一歩を踏み出した瞬間、朝礼の開始を告げるチャイムが鳴った。

 その音を聞いて冷静になったのか、大きく息を吸った教師は長い長いため息を吐いた。


 「はあ、お前たち、こんなところで油を売ってないで早く行け。また、昨日みたいに指導を受けたいのか」


 「そうしたいのは山々なんですけど。知らないんですよ、俺たちがどのクラスなのか。不手際があったようで」


 「何が不手際だ!ったく、教えてやるから早く行ってこい!」


 額に手を当て、呆れたような視線を向けてくる教師から自身のクラスを聞き出した表裏たちは、これ以上小言を言われる前に逃げるように駆け出した。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る