第38話 試合

 数日後。

 俺は、水樹が出るという水泳の試合会場に来ていた。

 傍には椎名と尚弥も一緒だ。


「でも、本当に良いのかよ。俺まで入って」


 俺の言葉に椎名は頷いた。


「今日の試合は公式試合の会場でやるので、保護者が来ることも許されてるんですよ? でもゴリラさんは不審者に見えますね? 中学生の水着が見れると喜んでいるのでは?」


「んな訳ねぇだろ!」


 中学生のスクール水着を見て喜ぶような趣味はない。

 俺がため息を吐くと、「でも良かったよ」と尚弥が言った。


「ハルにぃ、ここ最近元気なかったから。心配してたんだ」


「尚弥……。すまねぇな。色々と」


「本当よ、柚なんて練習終わりに泣いてたんだからね」


「えっ……」


 不意に声を掛けてきたその人物を見つめる。


「何でお前が居るんだよ、聡実」


 俺が言うと聡実は「別にぃ?」ととぼけた顔をした。


「僕が呼んだんだ。せっかくなのでどうですかって」


「そゆこと」


 ニカニカとピースを浮かべる聡実。

 上手く隠しているようだが、かなり尚弥にデレついている。

 ベタ惚れじゃねぇか。


 どうやら紹介して以来、尚弥と聡実の関係性は順調に育まれているらしい。


「尚弥……お前って、案外手が速いんだな」

「えっ、何それ」

「何でもねぇよ」


 試合の会場に入ると、すでにかなりの数の選手が水着姿で準備していた。

 俺たちの他にも保護者が結構居て一安心する。

 合同練習試合とは聞いていたが、実のところはちょっとした大会のようなものなのだろう。


「水樹居るか?」

「見えないです」

「どこだろ……」


 最前列に座って、皆で水樹を探していると「ハルにぃ! みんな!」と背後から声がした。

 見ると、Tシャツに短パン姿の水樹が後ろに立っている。


「見に来てくれたんだ!」

「お前が来いって言ったんだろ」

「えへへ、そうだった」


 そう言う水樹の表情は、いつもより明るく見える。

 緊張で高揚しているのだろう。

 固くなってないか心配だったから一安心だ。


「そろそろ試合始まるんだろ? 行かなくていいのか?」

「んー、もうちょっとしたら行く。それより、ハルにぃ、約束忘れてないよね?」

「忘れてねぇよ」


 この試合に水樹が勝ったら、俺はバスケを続ける。

 正直、バスケへの未練はあった。

 ウィンターカップだって出たい気持ちはある。


 第一志望の大学は、俺が憧れる先輩がいる大学だった。

 そこでバスケを頑張ろうという意思は、あの日のインターハイ予選で折られてしまっている。

 一般受験までしていく気力が失われたというのが本音だ。


 だから、推薦で大学に行くのなら、バスケ部を続けても良いわけで。

 色々やりようはあると思うが、その気力もなくなっている。

 そう言う経験は、バスケを始めてから初めてだった。

 たぶん、俺が思っている以上に、俺は落ち込んでしまっているのだろう。


 真剣に考え込む俺に、水樹がパンッ! と猫だましをした。

 予期していなかったので「うぉっ!?」と声が出る。

 顔を上げると、水樹がムッとした表情を浮かべていた。


「また難しいこと考えてるぅ」

「すまん……」

「じゃあ、これでどう?」


 不意に水樹がシャツをめくりあげる。

 その姿に思わず「何やってんだお前っ!」と声を上げた。

 しかし次に見た光景に、俺はフッと肩を落とす。


 水樹はシャツの下に水着を着ていた。


「下着かと思った? 残念! 水着でしたぁ」

「お前なぁ……」

「ハルにぃ、ロリコンだから女子中学生の水着見れて嬉しいんだよねぇ?」

「んな訳ねーだろが!」


 するとふと尚弥や聡実の視線を感じる。


「ハル……やっぱりロリコンって噂、本当だったんだ?」

「だから、んな訳……」


 ねーだろ、と言いかけて言葉に詰まる。

 なぜなら俺はもう水樹が好きになってしまっているからだ。

 いや、水樹が好きなのであってこの年代の女子が好きなわけではないからこれはセーフかもしれない。

 色々考える。


 するとニマニマとした顔で水樹はこちらを見ていた。

 何だよ。


「やっと元気出たね?」

「あっ?」

「ハルにぃはそれくらい元気な方が良いよ」


 水樹はそう言うと、そっと俺の両頬に手を伸ばした。


「ちゃんと見ててね、ハルにぃ」


 その瞬間、ずっと年下の妹だと思っていた女の子が、急に大人びて見えた。

 何だか見透かされたみたいな言葉が、少し悔しい。


「任せとけ」


 だから、俺も出来るだけ大人ぶって、笑顔で見送ることにするんだ。


 水樹は俺の返事に満足したのか、手を離すと、一歩二歩と後ずさった。


「じゃあ、私行ってくるね」

「あぁ、頑張れよ」


 水樹が去る姿を見送る。

 と、不意に真横から視線を感じた。

 見ると、聡実や尚弥たちがニヤついた顔でこちらを見ている。


「ふぅん、ハルがねぇ……」

「何だよ」

「別にぃ? 恋だなぁって。あーあ、柚、フラれちゃったかぁ」


 聡実が言うと、尚弥と椎名も静かに頷いた。


「ハルにぃ、優しい顔してたよ」

「恋する人の顔なのです」


 次々に指摘され、次第に顔が熱くなる。


「いいからお前らも座れ! 応援すんぞ!」

「はいはい」


 俺たちが席に着くと、下に選手が集まってくるのが見える。

 その中には、水樹の姿もあった。

 いよいよ練習試合が始まるらしい。


 各学校の顧問の先生らしき人物が、生徒たちに何やら話している。

 水樹はその話に耳を傾けて頷いていた。

 普段の様子からは見られない、彼女の真剣な表情は、何だか新鮮だ。


「負けんなよ、水樹……」


 俺は祈るように、そっと呟いた。

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