第12話 ニアミス

 しばらく休憩してから、再び水族館を巡った。

 ペンギンやイルカショーを見て、水樹はずいぶん喜んでいたと思う。


「ハルにぃ見て! 可愛い可愛い!」


 手を叩いて喜ぶ水樹の姿は、何だか俺の心を満たしてくれる。

 可愛いな……なんて感じてしまう。

 ただ、その『可愛い』が、幼馴染みの妹分に対してなのか、女の子に対してなのか。

 俺は分からずにいた。


「ねぇ、見てハルにぃ。このキーホルダー可愛くない?」


 お土産コーナーにて。

 水樹がペンギンのキーホルダーを俺に見せてくる。


「あぁ、良いと思うぜ」


「でもなぁー、うーん……三百円かぁ。どうしようかなぁ」


 迷う水樹の手から、俺はパッとキーホルダーを取った。


「買ってやるよ。ペンギンで良いのか?」


「良いの!?」


 パッと水樹の顔が明るくなる。


「ハルにぃ貧乏人なのに無理しちゃって大丈夫?」


「こいつ……。一応小遣い貰ったし、バイト代も入ったから心配すんな」


「バイトしてるの!?」


「日雇いだけどな。部活が休みの時にたまに入るんだ」


「春先の散歩では使わなかったのにぃ」


「バカ。そんないつもパカパカ使ってたらすぐなくなっちまうよ。今日はせっかくのデートだからな。特別だ」


「デート……」


 デートと言う言葉を改めて実感したのか、水樹は恥ずかしそうにうつむいた。

 なんだかその情景が微笑ましくて、自然と笑みが浮かぶ。


 手にしたキーホルダーをレジに持っていこうとしたら「待って」と服を引かれた。


「あの……二つ買いたい」


「二つ? 同じの二つも買うのか。椎名のお土産か?」


 すると水樹は首を振った。


「椎名ちゃんの分はあとで買う。そうじゃなくて……ハルにぃとつけたい」


「お揃いってことか」


「うん……。ダメ?」


 モジモジする水樹は、真っ赤な顔で、妙に艶っぽい瞳をこちらに向ける。


 普段生意気なくせに、不意にそう言う表情を見せるなよ。

 ……ドキドキすんだろが。


「今回だけだぞ。お揃いとかそう言うの……あんま得意じゃねぇんだ」


「本当!?」


「あぁ」


「やったぁ!」


 どうしてだろう。

 どう見ても普通の中学二年の女子だ。

 幼さも残るし、妖艶さもない。

 だけどその太陽のような笑顔が、妙に輝いて見えちまうんだ。


 ◯


 水族館から出て繁華街へと向かう。


「楽しかったな」


「ふーん? ハルにぃ、私と一緒に過ごせてそんなに嬉しかったんだぁ?」


「お前が一番はしゃいでただろ」


 水樹はご機嫌なのか、何度も買ってもらったキーホルダーを眺めていた。


「腹減ったからなんか食うか。奢ってやるよ」


「いいの!?」


「まぁデザートくらいだけどな」


「じゃあ何にしよっかなぁ? ジャンボパフェにぃ、ホールショートケーキにぃ、ハルにぃが破産しそうなくらいの奴頼んじゃおうかなぁ?」


「お前、言っとくけど全部食ってもらうからな」


 水樹はこちらを向きながら後ろ歩きする。

 その先には下りの階段が見えた。


「おい、前見て歩け! 危ねぇぞ!」


「大丈夫だよぉ。ハルにぃはすーぐ怖がるんだからぁ。本当にヨワヨワだね」


 水樹は階段に気づくことなく歩を進めバランスを崩す。


「ふぇ!?」


「おい、水樹!」


 俺は思わず水樹の手を取って、思い切り抱き寄せた。

 引っ張った勢いで、そのまま二人して後方に倒れこむ。


「だから言ったろ、危ないって。大丈夫かよ」


「ありがとハルにぃ……」


 俺が水樹の様子をうかがおうとしたほぼ同時に、水樹が顔を上げる。

 水樹の唇がすぐそこにあった。


 鼻がぶつかりそうだ。

 水樹の吐息が、俺の唇に触れる。

 一秒が、永遠にも感じた。


「ハルにぃ……」


「水樹……」


 水樹が俺の手をキュッと握る。

 俺も無意識に、その手を握り返した。


 妙な空気になったその時。

 不意に水樹と目が合い、二人してハッと我に返った。


「け、怪我無くてよかったな」


「うん……」


 同時に距離を取る。


 危ねぇ。

 もう少しでキスしそうだった。

 あの時、目が合わなければ勢いで行ってたな。


 心臓が早鐘のように脈打っている。

 真っ赤な顔でこちらをチラ見する水樹に、妙に心惹かれた。


 ◯


 結局あの後も、何事もなかったかのように一日中街を散策し。

 電車に乗るころには、もうすっかり日が暮れていた。


 電車を降りると、自然と水樹が手を伸ばしてくる。

 俺はその手を握った。


 俺たちの足取りには、少しだけ気まずさと、むずがゆさだけが残る。

 だけど、お互いに離れたくないと思っているのは、何となくわかった。


 最初は意地の張り合いのような感じで握っていたのに。

 既にそんな意地や探り合いのようなものはなく、俺たちはただそうしていたいから手を繋いでいた。


「ほら、水樹。ジュースだ」


「ありがと」


 コンビニでジュースを買って、自宅近くの公園のベンチで飲む。

 すぐ帰らないのは、なんとなく名残惜しさを感じていたからだ。


「もうすっかり暗くなっちゃったね」


「そうだな」


 あれだけ明るかった空には夜の色が混ざり始めている。

 夕方から夜になる狭間の時間。

 それは、一日の終わりを俺たちに想起させる。


「この公園懐かしいね。まだ残ってたんだ」


「昔はよくここで、お前と、尚弥と、三人で遊んだな」


「初めてハルにぃと遊んだのも、この公園だったんだっけ」


「そうだな。お前らが引っ越してきて、お袋から紹介されて、一緒に遊ぶことになった。つっても、お前まだ小さいから覚えてないだろ?」


「何か……大きくて怖い人が来たって思ったのは覚えてる」


「悪かったな、ゴリラみたいで」


「でも、握ってくれた手が温かくて、優しそうな笑顔だったのも覚えてるよ。あの時からハルにぃはヨワヨワのザコザコで……」


 水樹はしばらく黙った後。


「私の、ヒーローだった」


 と言った。


 水樹の大きな瞳が輝く。

 その煌めいた瞳に、俺の顔が映っているのが分かる。


「俺、今までお前のこと、家族だって思ってた。お前は俺の妹分で、だから兄貴である俺が守ってやんなきゃって」


 俺が口を開くと、水樹が静かにこちらを見るのがわかった。


「でもそのせいでお前をガキ扱いして、傷つけてたかもしれねぇ」


「それは……お互い様だし」


 水樹は俯く。


「今日お前と一緒に居て、ドキドキした」


「へっ?」


「お前にはロリコンだって笑われそうだけどよ。一緒に過ごせて、楽しかった」


 昔は当たり前のように繋いでいた手が。

 もう俺にとっては当たり前じゃなくなっていたから。


「お前は俺の大切な妹分で、家族だ。これからもそれは変わらねぇ。だけど、今まで通りじゃない部分も、あるんだと思う」


「それって、私のこと……女の子として見てるってこと?」


「多分な……」


 本当は、多分じゃない。

 ほぼ確実にそうなんだと思う。

 でも、それを真っ向から肯定するのは照れくさい。


 何となく気まずくて目を逸らす。

 そんな俺の顔を、水樹は食い入るようにジッと見てきた。

 あんまり見つめないでくれ。


「だからその……あんまり、過激なことすんなよ……。引っ付いたりとか、ベッド入ってきたりとか」


 俺が言うと、水樹はニヤニヤと笑みを浮かべる。

 まるで、溢れ出る嬉しさをこらえきれないようにも見えた。


「ハルにぃはスケベだなぁ」


「あぁ!?」


「えへへ。でも仕方ないから、今日のところは許してあげる」


 水樹はそう言うと立ち上がり、俺に手を差し出した。


「帰ろう、ハルにぃ」


「……あぁ」


 俺はただ静かに、その手を取った。

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