無限再生ポイント

尾八原ジュージ

無限再生ポイント

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 新見さんの唇が小さくそう動き、ノートをパタンと閉じた。

「なるほどね。そして眠りそこねた私たちは、実は異星人だったというわけ」

 彼女のリアクションに若干の不安を覚えながら、僕は「そう、そういうわけ」と応える。

「で、あの霧の向こうでは、全人類が眠っているってわけ」

「そう。霧に包まれると眠ってしまうってわけ」

 新見さんはあまり面白くなさそうな顔で「ていうわけね」と呟いた。保健室のベッドの上にあぐらを書き、閉じたノートで顔を扇ぐ。制服のスカートから白い太腿が覗いている。

「無限再生ポイント行きですね」

 無情な判決を下して、新見さんは僕に笑いかけた。

「そっかー」

 内心やっぱりなぁ、と思いながら、僕はもう一方のベッドの上に倒れた。新見さんの講評が始まる。

「だって、我々は実は人間ではなかった説、これで三回目だもん。ちょっとネタかぶりすぎかな。それにさ、正体不明の異星人自体はいいんだけど、そいつらが苦労してまで地球人を眠らせようとする理由が弱いかなぁって。地球にある資源が欲しいんだったら、地球人を普通に排除した方が簡単じゃない? そうしない理由が設定されてたらよかったな」

 新見さんはわりと厳しい。僕としても、彼女のそういうところは嫌いじゃないし、むしろそっちの方がゲームとしては楽しい。

「あー。そうかぁ。次はそうしよう」

「佐治くんはツメが甘いね」

 新見さんは僕にニッと笑いかけた。「じゃ、行こうか」

 僕たちはノートを持って、根城にしている保健室を出た。

 相変わらず校内は静まり返っている。以前、この沈黙が嫌で放送室から音楽をかけっぱなしにしたことがあったけれど、一周回ってそれも嫌になり、結局やめてしまった。だから今はひどく静かだ。長い廊下に、僕たちふたりの上履きが立てる、やる気のない足音だけが響く。

 階段を上り、二階の廊下を数歩歩くと、そこが生物室だ。しょっちゅう出入りするから、鍵は開けっ放しにしてある。

 生物室の後ろの黒板の前すぐの床、およそ二メートルかける一メートルの見えない楕円形。その中に新見さんはノートを投げ込んだ。

 それから僕たちは待った。新見さんは机の上で胡座をかき、猫背になって脚の上に頬杖をついている。お行儀のいいポーズではないけれど、そんな姿勢をとっていても誰にも注意されることはない。

 窓の外には霧が立ち込めている。もうずっと外はこんな調子だ。校舎を包むように広がる霧は、僕たちが外に出ることを拒み続けている。

 しばらく経ってから、新見さんがノートを拾いあげた。彼女のリクエストに従って、さっき僕が適当に書いた「僕たちふたりだけがこの校舎にとり残された理由」。それはノートの半ばから、およそ一ページ半に渡って続いていたはずだ。

 だが、新見さんがぱらぱらとめくったページに、その文章はなかった。ノートはおよそ六時間前の状態に戻ったのだ。


 もしもこの「無限再生ポイント」がなければ、僕たちはとっくに飢え死にしていただろう。何の前触れも説明もなくこの校舎に閉じ込められてから、どれくらいの月日が経ったのかよくわからないけれど、ともかくその決して短くはない期間、この校舎から脱出できそうな兆しも、助けが来る様子も一切なかったのだから。

 無限再生ポイントが最初に発見されたとき――そのときはまだ、僕たちはふたりぼっちではなかった。僕は普通に自宅で目覚めて普通に登校し、普通に下校して塾に行って帰宅するという生活を、さしたる不満もなく続けていた。この高校にも街にも人間がたくさんいて、毎日が賑やかな音に満ちていた。新見さんとは同じクラスだったけれど特に接点はなく、ろくに話すらしたことがなかった。

 僕が聞いた話では、発見のきっかけは焼きそばパンだったという。誰かがここに落としていった食べかけの焼きそばパンだ。どうしてそんなものを落としていったのかはさておき、しばらく後に回収に来たその誰かは、半分食べたはずの焼きそばパンが元の欠けたところのない焼きそばパンになり、パッケージすら開封前の状態に戻っているのを発見したのだ。

 そいつは最初、誰かがたまたま焼きそばパンを落としていったのだろう、と思った。普通は「焼きそばパンが再生したんだ」なんて思わない。誰かが食べかけのパンを拾い、未開封のものを落としていったのだ。それがなぜかはわからないけれど、そうやって自分の中で折り合いをつけた。

 そして後日、その話を聞いた誰かが面白がって、ふたたび食べかけの焼きそばパンを生物室の床に放置した。それもやはり元に戻った。別の誰かが、わざと折った鉛筆を置いてみた。戻っていた。また別の誰かが、たぶん面白半分に、解剖に使ったカエルの死体を置いてみた。見守っているそいつの目の前で、カエルの腹はみるみるうちにふさがり、やがって生き返って逃げ出したという。

 それから大騒ぎになった。

 生物室の床は「無限再生ポイント」と呼ばれるようになり、面白半分に、あるいは真剣な願いを込めて、いろんなものが持ち込まれた。泥まみれになったシャツは元の真っ白な状態に戻った。使い切ったボールペンはほんの少しインクが回復し、折れた消しゴムは元通りになった。亡くなった飼い犬の遺体を自宅から持ち込んだ生徒もいたが、それは生き返らなかった。

 その辺りで生物室は立ち入り禁止になり、明らかに学校関係者ではない物々しい雰囲気の人たちが立ち入るようになった。そしてある日突然、学校は白い霧に包まれ、校内にいたはずの人たちはどこかに消えてしまった。

 どういうわけか、たまたま体調を崩して保健室で寝ていた僕と新見さんだけを残して。


「人類全員眠ってしまった説」を抹消した後、僕たちはノートを持って保健室に戻った。水道もベッドもあり、トイレも近い保健室は、根城にするのにもってこいだった。どういうわけか電気もガスも水道も普通に使うことができたが、電波は通じていないらしかった。電話もつながらず、外にコンタクトをとることはできない。僕たち同士もスマートフォンで連絡を取り合うことができない。

 どちらから何か言うわけでもなく、一つのベッドに並んで寝転がった。ひっくり返ったままノートをめくり始めた新見さんの横顔を見ていると、ここに閉じ込められたばかりの頃を思い出した。

 あのとき、新見さんに「はぐれたら怖いから、なるべく一緒にいようよ」と提案されて、正直嬉しかったことを覚えている。あまり絡んだことがなかったけれど、よく見ると新見さんはかわいかった。目立つ方ではないけれど、きれいな顔立ちをしていた。

 最初のうち、僕はウキウキしていた。非日常感に浮かれていたし、かわいい女の子とふたりきりの状況にも舞い上がっていた。なんとかしてこの霧の外に抜け出そうという希望を持っていた。この時は、まだ。


 閉じ込められた当初、僕と新見さんはまず学校中を探索した。簡単には外に出られないことが早々にわかったため、生活に必要な物資を確保しなければならなかったのだ。生徒や先生たちの荷物は残されていたため、悪いと思いつつ要るものを勝手に拝借した。消耗品を使い切ってしまっても、無限再生ポイントに置けば元に戻る。食料も購買のものを延々食べ続けることができる。飲み物も飲み放題だ。

 無限再生ポイントを使って生活しながら、僕たちはほかに人間がいないか探した。放送室からSOSを送ってみた。中に手紙を書いて霧の向こうに飛ばした紙飛行機は、霧を抜けて僕たちの横にスポッと現れた。

 もちろん自分自身で霧を抜けてみることも試みたが、失敗に終わった。先の見えない霧の中に勇気を振り絞って突入し、なんとか手探りで前進して、ようやく抜けたと思ったその先は、さっきまで僕たちが立っていた昇降口の前だったのだ。僕と新見さんは気の抜けた顔を見合わせて笑った。笑うしかなかった。

 そして今、僕たちは思いつく限りのことをやりきって、時間を潰すのに必死になっている。

 図書室の本を粗方読んでしまった新見さんは、僕に物語を書いてほしいと言った。どうしてこんなことになってしまったのか、その理由を考えて書いてみてほしいと。

 僕は了承した。暇だったのだ。

 新見さんは僕が書いた話を読み、面白いと判断するとノートをそのまま保健室の机の引き出しにしまい込んだ。反対につまらないと思ったときは、それを無限再生ポイントに持っていった。ノートは物語が書かれる前の状態に戻った。新見さんの採点はなかなか辛口で、一冊まるごとが埋まる日は遠いと思われた。それくらいの難易度が、今の僕にはちょうどよかった。

「これがいっぱいになる頃には、何かわかってるかな。原因とか」

 僕が平坦な声で言うと、新見さんは「それか、助けがきてるかもね」と似た口調で返して、大きな溜息をついた。


 学校に閉じ込められてから、僕たちは一日に何度も無限再生ポイントを利用している。何度もここを使ううちに、僕たちはここのあるルールを見つけていた。

 最初に言いだしたのは新見さんだった。

「あそこって、ものをどこまで元の状態に戻してくれるのかな? たとえば焼きそばパンは未開封の状態になってたけど、そもそも『元の状態』って何なのかな?」

 僕には新見さんの言わんとすることがすぐにわかった。もうその頃には、僕たちは相当親密になっていた。

「なるほど、焼きそばパンの『元の状態』は未開封の焼きそばパンじゃなくて、小麦粉と麺と調味料とショウガかもしれない――みたいな?」

「そういうこと」

 僕たちは数日をかけて、無限再生ポイントがどの程度までさかのぼって再生をしてくれるのかを検証した。その結果、無限再生ポイントに置かれたものは、約六時間前の状態に戻るということがわかった。

 だからと言って僕たちの生活に変わりはなかった。六時間のタイムリミットを無視するには、僕たちは暇を持て余しすぎていたのだ。

 男子のロッカーから見つけたコンドームは僕たちの救いだった。僕たちは保健室のベッドでセックスをし、使用済みのコンドームや丸めたティッシュ、汚れたシーツを生物室に持ち込んだ。肌を合わせて折り重なっている間、僕たちは暇や寂しさや不安を紛らわすことができた。


 僕は新見さんとそこそこうまくやっていた、と思う。新見さんはいい子だったし、僕も彼女に気を遣った。僕たちはこの世界にふたりぼっちなのだから、互いを尊重し、大切に扱わなければならない。

「新見さん、最近変じゃない? 大丈夫?」

 あるとき、ふたりでベッドに並んで横たわりながら、僕はそう尋ねた。

「変って?」

「最近体調悪そうかなと思って。ここ、医者とかいないし。保健室にある薬しか使えないし。心配だなって」

 実際、新見さんはあまり元気そうではなかった。食欲が落ち、顔色も冴えないように見える。でも、「大丈夫だよ」と新見さんは答えた。

「普段通りだよ」

「それならいいけど――僕、新見さんが元気じゃなかったら困るよ」

 新見さんは少し黙ってから、「……なんで?」と僕に訊いた。

「新見さんが病気になって死んじゃったりしたら、ひとりになっちゃうでしょ」

「……」

 新見さんが黙っているので、僕は天井に向けていた視線を彼女の方へと移した。新見さんはさっきまでの僕と同じように天井を見つめていた。なんの変哲もない、もう見慣れてしまった白い天井。何か言おうと口を開きかけたとき、彼女が言った。

「ずっとふたりでいたいね」

 僕は、彼女もまたひとりぼっちになりたくないのだろうと解釈した。「そうだね」と答えて、新見さんの華奢な手を握った。

「前にさぁ、佐治くんが書いたやつ。やっぱりあれが当たりじゃないかな」

 新見さんがぽつりと言った。

「何? 人類が永遠の眠りにつくやつ?」

「ううん、それよりもっと前。この霧は私たちじゃなくて、あの無限再生ポイントを隔離するために誰かが作ったものだっていうの、あったじゃない。私たちはそれにたまたま巻き込まれてしまって出られないんだって」

「それ? なんか、あんまりじゃない? 誰も助けに来ないし。大体僕らが閉じ込められた理由だって、何も思いつかなくて『たまたま』って書いただけだし」

「そうだったの? でもさ、そういうことあるじゃん。生きてると。普通に生活してたはずなのに、ちょっとした見落としとか偶然とかがすごい大事件になって、取り返しがつかなくなったりしてさ」

 新見さんのその言葉には、妙な実感があった。


 新見さんにはお姉さんがいたらしい。校舎に閉じ込められてしばらく経ち、僕たちの間に話題が尽きた頃、彼女がそっと打ち明けたのだ。

 普通の明るい女の子だった、と新見さんは言う。少なくとも彼女はそう思っていた。ところがある日新見さんのお姉さんは、自室のドアノブにロープをかけて首を吊ったらしい。

 新見さんのスマホに「なんかつかれちゃった」というメッセージが送信されていた。遺書らしきものはそれだけ。あまりにも突然のことだった。

 なんかつかれちゃった――本当にそれがすべてだろうか。新見さんは悩んだ。もしかしたら自分が知らないだけで、姉は他に深刻な理由を抱えていたのかもしれない。あるいは反対に、本当にちょっとしたことがきっかけだったのかもしれない。なんとなく疲れちゃって、そんなときにちょっとした悪いことが重なって、なんだか何もかもが嫌になって、それで死んでしまったのかもしれない。

 問いかけても問いかけても答えは出ず、新見さんは時々酷い無力感に襲われるようになったという。

 僕には、親しい人をそんなふうに失った経験はない。だけど、そんなことがあったら辛いだろうとは思った。だからいざ新見さんが、二階のベランダから飛び降りて首を吊ったときも、さほど意外とは思わなかったのだ。

 僕は首を吊っていたロープを切って、新見さんの死体を下に落とした。一人で引っ張り上げるのは難しいと判断してのことだった。死体と一緒にエレベーターに乗り、二階の生物室まで引きずっていった。

 無限再生ポイントに置かれた新見さんは、しばらくして怪我ひとつない状態で目を覚ました。ぼんやりと僕の顔を見つめた後、「ごめん」と呟いた。

「何でこんなことしたの?」

「怖くて」

「ぼくだってひとりになったら怖いよ」

「ごめんね」

 ごめん、ごめんと何度も謝りながら、新見さんは僕にしがみついた。

「私、ずっとふたりがいい」

「僕だってその方がいいよ」

「ごめんね」

 急に胸が潰れそうなほど悲しくなって、涙が溢れて止まらなくなった。新見さんも泣いていた。僕たちは生物室で、しばらくの間抱き合って泣いた。


 やがて新見さんが再び姿を消したとき、僕はまず初めに、彼女が一度自殺を図ったことを思い出した。

 その日、食事を終えると妙に眠たくなった僕は、新見さんに断ってベッドに寝転んだ。すぐ泥のように眠ってしまい、起きると時計は三時間ほど後を指していた。頭の中に何かが詰まっているような気怠い頭痛が僕を襲った。

 僕の枕元には手紙が置かれていた。

『ごめん。やっぱり無理になった。死なせてください。どうしても死にたいから離れたところで死にます』

「新見さん!?」

 辺りを見渡したが、彼女の姿はなかった。僕は慌てて保健室を出ようとしたが、鍵がかかっていた。

 椅子に上って、鍵のかからない天井近くの小窓から外を見ると、廊下の途中に鍵が放り出してあった。保健室の鍵は部屋の内外から開け閉めできるが、どちらにせよ鍵がないと無理だ。小窓から外に出るのは、僕の体格ではおそらく無理だろう。

 迷った末、僕は椅子でドアのガラスをたたき割った。ガラスで掌に傷がついたが、幸い軽いけがで済んだ。治療と掃除は後でやろう。それよりも新見さんを見つけなければ。

 僕は新見さんの自殺自体を恐れてはいなかった。彼女が死んでしまっていたとしても、以前やったように無限再生ポイントに持っていきさえすれば生き返るのだ。

 だからもし新見さんがすでに死んでいたとしたら、早くその死体を見つけなければならない。死後六時間が経過してしまえば、僕は彼女を生き返らせることができない。

 きっと新見さんも同じことを考え、心配したのだろう。遺体発見が少しでも遅れるように、僕を保健室に閉じ込めたのだ。もしかすると、やけに眠かったのも新見さんのしわざかもしれない。職員室で教師の私物らしい睡眠薬を見つけた新見さんは、時々それを使っていた。妙な頭痛も薬のせいかもしれない。

 僕は考えるのをやめ、頭を抱えて走り出した。何であれそんなことは、新見さんを生き返らせたら聞けばいい。そのためにはまず、彼女を探し出さなければ。

 僕は校舎内を駆けずり回った。すべての窓とベランダを見たが、新見さんはどこにもぶら下がっていなかった。教室にも職員室にも特別教室にも彼女はいなかった。

 だんだんと焦りが募っていく。僕が眠ったのは何時だっただろう。時計は学校中にあるが、霧のせいで時間の感覚がおぼつかない。すでに六時間が経過しているとすれば、新見さんを生き返らせることができない。

 僕はひとりぼっちになる。

 気が狂いそうになりながら校舎中を駆けずり回った。いない。どこにもいない。走っているうちに、掌の傷がじんじんと痛みだした。

 僕は生物室に赴き、自分の手を無限再生ポイントに差し出した。みるみるうちに傷がふさがっていく。こうやって手当てできるのだから、保健室のバンドエイドや包帯はほとんど減らない――そのとき突然、まだ探していない場所があることに気づいた。

 僕は新見さんが保健室を出て行ったものと決めつけていた。僕から遠ざかるために、まず保健室を離れ、それからどこかに隠れて死んだのだろうと、あの手紙を読んで素直にそう思い込んでいた。

 だから、保健室の中はまだよく探していない。

(佐治くんはつめが甘いね)

 新見さんに耳元で囁かれたような気がした。

 僕は保健室に戻った。割れたガラスと血のついた窓枠は僕が出ていったときのままだ。

「新見さん!」

 駄目元で声をかけてみたが、返事はなかった。僕は保健室の中を探した。ベッドの下、机の影――掃除ロッカーを開けたとき、僕はようやく彼女を見つけた。膝を曲げて両脚を縛り、ホウキを提げるための作り付けのポールからロープを垂らして、新見さんは首を吊っていた。

 もう息をしていない。

 僕は彼女を背負って生物室に急いだ。死体はやけに重かった。死後どれくらい経っているのだろう。さっぱりわからない。とにかく夢中だった。

 無限再生ポイントに彼女の遺体を置き、僕は待った。そのとき、動かないままの彼女のポケットから、畳んだ紙が飛び出しているのに気づいた。

 僕はそれをそっと取り出した。

『佐治くんごめん。本当にごめん。でも生きていられなくなった。取返しのつかないことになってたの。私妊娠してた。もう無限再生ポイントじゃ元に戻せない。こんなところで子供を産むなんて耐えられない。無事に出産できたとして、その子をこんなところでどうやって育てていったらいいのか見当もつかない。その子が大きくなったときどうする? 私たちが年をとったら? こんな世界でどうやって育てていったらいいの? お腹の中で赤ちゃんが大きくなっていくのが、毎日怖くてたまらない。ひとりにしてしまうこと、本当にごめんなさい。でももう無理。今までありがとう。いつか外に出られるといいね』

 言葉が出なかった。

 僕は呆然としながら、仰向けになった新見さんのまだ平らなお腹をそっと撫でた。妊娠か。避妊してたはずだったのにな。いつからだろう。そんなつもりなかったのに、でも僕は新見さんを死なせてしまった。彼女の死の原因を作ってしまった。

 ずっと僕らふたりきりだったらよかったね。心の中で話しかけた。こんな僕たちが、こんな場所で誰かの面倒をみたり、育てたり、守ったりなんかできるわけがないんだから。

 ずっとふたりでいたかった。

「新見さん、起きてよ」

 僕は彼女に呼びかけた。「新見さん。新見さん」と何度も名前を呼んだ。

 新見さんは起きなかった。

 いくら待っても、彼女が永遠の眠りから覚めることはなかった。僕は新見さんを無限再生ポイントに置いたまま、彼女の遺書を繰り返し、何度も何度も読んだ。

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