2-9


 ――その恋心は、純粋で無垢。


 ――ただ、互いの『時』が今は、合わなかっただけ。



 騒がしくも楽しい時間というものは、どうして進みが早いのだろう。未だ外の気温は張り詰めるほどに冷たく、山間のこの場所に吹く風は、肌を刺す。平野部よりは少し積もった雪に、足を取られないよう注意しながら歩いて駅への道を進む。隣で有紀が「きゃ! ちょっと康太待って!」と喚くたびに足を止め、睨むように見上げた空は、今にも落ちてきそうな程、どんよりと重そうに暗い雲が覆っていた。


「何でスノーブーツにしなかったんだよ」

のよ」

「……ファ?! こ、今年のって?」

「ん? ……あぁ、康太にはわかんないか」


 有紀の言葉に意味がわからず、変な声で聞き返すとそう返って来た。彼女が言うにはスノーブーツ=雪用防寒靴では無いという。じゃあ何なんだと思っていると、彼女は俺の履いた長靴をじっと見つめ「……そんなに使うタイプじゃなくて、今はちゃんとオシャレになってるんだよ」と言った。


「違う! これは農作業用じゃなくて……ホームセンターで買った……作業用防寒ブーツ……」


 言いながら、確かに作業用品売り場で購入したのを思い出し、言葉が尻すぼみになっていく。……だが! 機能としては充分だし、何より長靴タイプのコイツは急な雨、雪にも全く問題ない。そう思い、言い返そうと有紀を見つめると、彼女はいつの間にか俺を素通りして、商店街筋へと入って行った。


「……おい!」

「遅刻するわよ」


 俺の呼びかけに素気ない返事を寄越し、完全無視して除雪された場所をスイスイ歩き始めた彼女を追って、少し大きめな長靴で、小走りに駆け寄って行った。




 ~*~*~*~*~*~*~*~




 白い息を吐きながら空を見上げると、グレーの雲が一面を覆い、偶に覗かせる薄雲の向こうに、太陽が顔を見せているのがわかる。ただ、その熱を私のいるこの場所にまで届かせることは出来ないのか、陽射しを伸ばすことは出来ずに、今しがた、厚い雲の向こうに隠れてしまった。途端、体の芯から凍える気がして、つい、首に巻いたマフラーに亀のように頭をすぼめながら歩き始めると、先の交差点に見知った顔を見つける。


「めぐ~! あけおめことよろ~!」

「りおちゃん、あけおめ!」


 中学に入って出来た友人、麻田莉央あさだりおと今年に入って初めて顔を合わせ、年始のテキトーな挨拶に応えると、彼女と一緒に登校していた他の女子と一緒になって、話をしながら学校までの道を行く。降り積もった雪を、プラ製のスコップで側溝に落としているおばさんやお爺さんに、朝の挨拶を返したりしながら住宅街を抜けると、区画整理された先に学校の正門が見えた。


「……そう言えばさ!」


 視界を合わせることもなく、皆思い思いの話をしながら進んでいると、不意に莉央が思い出したかのように、ワントーン声を上げて、皆の視線を集めて話し始めた。


「聞いたんだけど! ……大橋、とうとう、由美ちゃんに告ったんだって!」

「「うそ!? マジで?」」


 正門を目の前にし、生徒たちもかなり密集している場では、流石に不味かった。


「何だぁ?! 朝っぱらから元気な声が聞こえるなぁ!」

「……ヤバっ! 学年主任の木村じゃん!」


 小声でヤバいと言った莉央が、私の影に隠れようと縮こまって隣に来るが、彼女は私より一回り、縦にも横にも大きい。


「麻田ぁ~、佐藤の後ろに入ったところで無駄だぁ! それから、そっちの横田もなぁ!」


 結局全員見つかった。……流石に正門前で、生徒たちが増え始めたのと、三学期初日の始業式で、授業云々があるわけでもない。「休みボケをさっさと直せよ」とお小言だけで釈放されたので、階段を上がる頃には告白の結果を聞きたくて、皆は仕方なくなっていた。



「焦ったぁ……まさか木村が立ってるなんてさぁ」

「ってか、何私の後ろに隠れてんの!」

「あはは! ごめん、とっさに、なんとなく?」

「なんで疑問系……まぁいいけど」


 教室に入り、私の席に集まって話の続きが始まる。嬉々として話し出す彼女の顔を見ていると、不意に(なぜそんなに楽しいのだろう?)という感情が浮かんできた。



 ――の男はどこまで行ってもケダモノなのに……。


 ダレの声かは分からない。男でも女でもなく、ただただ私の耳というか脳裏にハッキリと。そんな言葉が響き渡る。途端背に奔るゾワゾワとした気持ち悪さに振り返ってみるが、そこには唯、楽しそうに話す別のクラスメイトが居るだけ。視線を感じたわけではない、……ただ怖いという、どこか焦燥感にも似た感覚。



 ――なんで? なんで、ただの恋バナを聞いているだけなのに、私はの?!


「……ぐ? ……ぐみ?! めぐみ!?」

「――な?! 何?」


 気が逸れたのは一瞬だったはず……。にも関わらず、私の傍で話していた二人が心配そうな顔でこちらを覗いている。莉央に至っては私の肩を掴んでいて、今にも抱き止めようとしている感じだ。思わず彼女を押し留め「何?」と聞き返すと二人同時に「顔、真っ青だよ」とハモってくる。


「保健室、行く?」

「……ううん、大丈夫」

「でも――」

「大丈夫、担任の話聞いて後は帰るだけだから。……ちょっと寒気がしただけだよ」


 何故か二人にはそう言って誤魔化し、私のそんな態度で告白イベントの話は有耶無耶になったところで担任教師の声が聞こえた。




 ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 竜太はその大きな体を、着込んだ服でもう一回り大きくさせて、教室の窓の方を眺めていた。康太は結局「……色々考えたんだけど、竜太の思い通りにすれば良い」と何とも肩透かしな返事が返って来ただけ。健二兄ぃから当たり障りのないあけおめメッセが届いただけだったし、こと恋愛話については、三人共にダメダメなことが解っただけだった。


「……はぁ~」


 頬杖をつきながら、視線を窓に向けて溜息を付くと、教室の喧騒が、やけに耳に纏わりついて、一瞬きつく目を閉じる。暗転した視界の中、無意識に誰かの声を探していると「めぐみ! めぐみ!」と些か荒げた声が届いた。ふっと目を開いてそちらを見ると、麻田莉央が彼女の肩を揺らしている。どうしたんだと見つめていると「保健室行く?」「大丈夫」と言い合っているのが雑音混じりに聞き取れた。


(体調……悪いの?)


 彼と彼女の席はかなり離れている。その上、間には沢山のクラスメイトが居て、皆思い思いに好きなことを話し合っている。中には大声で笑う者もいて、普通ならば聞き取れるはずもない。にも関わらず、彼の耳には彼女たちの声がはっきりと聞き取れた。……特に佐藤恵の声が。


「……ちょっと寒気がしただけだよ」


 ……風邪……でもひいてるのかな?


 勿論詳しい事までは分からない。ただ気になるワードだけがピンポイントに、聞こえてきた。気になり、ソワソワとした気持ちが身体を動かそうとし始めた時、担任教師の声が聞こえてきた。




「はい皆席についてぇ~。話聞かないといつまでも帰れないからねぇ」


 ある意味呑気な声で、剣呑な事を言う担任教師に、クラスメイトが文句を言いながらも、指示に従って席についていく。その様子を満足げな表情を見せながら担任は、居並ぶ生徒たちの顔を見回していく。……冬休みは期間的に言えば短いが、それでもなにかが変わる生徒もいるのだ。……中学生時代。小学生の『子供』世代とはまた違う、性的、性格的、身体的成長が一度に起きる世代。だからこそ、短い期間と言えど、大きなイベントが続けざまに起きる冬休みは、夏休みとはまた違う表情を見せる子供達も居る。そんな複雑な心境は心の中にだけ留め置き、昨日まで深酒をした二日酔いの妙なテンションの頭で目線を巡らせながら、新学期の挨拶と心構えを適度におちゃらけながら話していると、少し体調の悪そうな顔色をした生徒に目が留まる。


「……佐藤さん、どこか気分でも悪いの?」


 私の声がけにビクリと反応した彼女は「い、いえ。ちょっと風邪気味で」と応えて大丈夫ですと苦笑いをする。……彼女のことは去年の事もあって気にしてはいる。が、今ここで深く追求しても不味いと思った私は「そう……。もし辛ければ保健室に行きなさいね」と周りの女子生徒に「見ててあげてね」とだけ伝え、代わりに話を早々にまとめる事にした。



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