2-10




「めぐみ、やっぱ保健室で休んで行こう」


 教室で立ち上がろうとして、目眩を起こした私に莉央がそう伝えてくる。さっさと家に帰って横になりたいが、あれから思うように体が言うことを聞いてくれない。俯いて「ごめん、お願いしても良い?」と頼むと彼女がすぐに肩を寄せてきて「掴まって」と鞄を持ってくれる。ゆっくりとした歩調で保健室のベッドに横たわると「ご家族に連絡入れるから」と保健室の先生が言ってくるが「今は皆家には居ないです」と伝えると「じゃぁお母さんの会社に」と保健室を出ていった。付き添ってくれた二人に「ごめんね。後は大丈夫だから」と居残ると言った彼女たちにも、帰ってもらう。


 ――ごめんね、だから……。


 半ば強引に独りになった保健室のベッドで、ぼんやりと天井を眺めている。偶に廊下を誰かが通る音が聞こえ、窓の方からは遠く喧騒のような音が聴こえてくる。それは運動部のものなのだろうか、掛け声なのか、何なのか。意味のない事に思考を傾けているとポケットに入れたスマホが振動した。



 大丈夫なの?


                ちょっと疲れただけ


 今から戻るけど少し時間がかかるの


          横になったからだいぶ楽になった

     

          一人で帰れるから大丈夫(`・∀・´)ノ


 本当に?


                   ∑d(゚∀゚d)ォゥィェ!!



 一応康太には連絡したから


                    (`・д・´)ヤメタマエ!!


 有紀ちゃんにも

                      (´・д・`)ゞ



 お母さんもなるべく早く帰るからε=ε=ε=ε=(ノ;゚Д゚)ノ


                無理しないでね(。>д<。)ゞ



 母からのラインで少し気分が良くなってきて、沈んでいた心が若干楽になる。そうして頬を緩めた瞬間、視線を感じてそちらを見ると、少し心配そうな先生の顔がカーテンの隙間にあって、思わず私は叫んでしまう。


「きゃあ! ……って、せんせぇ~、そんな顔だけ隙間から見せないでよぉ」

「あはは、ごめんね。お母さんに連絡したら、すぐに佐藤さんと連絡するって聞いたから、話そうと思ったんだけど……」

「はい、今メッセでやり取りしました」

「そう……じゃぁ先生はここに居るからなにかあれば言ってね」


 私の顔色を観察していたのだろう。その声音と色に安堵した先生が、ニコニコと言いながら、カーテンを閉じて自分の机に戻っていく。何かの作業をしているのか、ノートを捲る音とものを書く音が妙に耳心地が良い。そして微かな薬品の匂いとベッドの暖かさに包まれていると、知らぬうちに瞼を閉じてしまっていた。


「……お腹すいたぁ」


 最悪な寝起きの言葉とともに目を開けると「あはは! たしかにもうお昼回ってるからねぇ」との声がカーテンの向こうから聞こえてきた。そこで自分の現状に気づき、慌てて飛び起き、カーテンを捲ると、カップ麺を『ズゾゾ』と啜る彼女と目が合う。


「……普通、先に起こしません?」


 恥ずかしさを誤魔化すために、じとっとした視線を送りながら、制服の裾を払って直していると「いや、あまりにも気持ちよさそうに寝てたからね…・・ズズ」と変わらずマイペースに汁を啜る。その態度に(だからいまだに独身なんだな)と心の中で呟いて小さく嘆息すると「……あ、なんか変な事考えてる?」と目ざとく聞いてくる先生に「いえ、気分も治ったので帰宅しようと思い、息をついただけです」と堂々と答えてやった。


「……そう? 一人で大丈夫? 見た所、顔色も良くなっているみたいだけど――」

「はい。……お腹も空いているので問題ないです」

「ふふ、そうね。わかったわ……。担任の先生には私から伝えておくから、気をつけて帰りなさい」



 放課後、クラブ活動の喧騒が、遠くに聞こえる廊下を歩いていると、窓にちらつく白いものが見えた。


「……また降り始めた」


 首に巻いたマフラーをキュッと締め直してから、意を決して下足箱に向かう。お昼過ぎなのに静まり返ったその場所は、何故か寒々しくて、どこか寂しげに見えた。


「……何感傷的になってるんだよ私」


 その光景を一人で眺めていると、何か変なポエムでも浮かびそうになった気がして、自嘲の思いでそう呟き、靴を履き替えて、雪の舞始めた門へと歩を進める。


「……め、恵ちゃん」


 正門の鉄扉をくぐり抜け、自宅へ向かって歩き始めて少し。切羽詰まったようなその声が私の後ろから聴こえ、驚いて振り返ると、肩と頭に薄っすらと雪を乗せた彼が居た。


「竜太?」



 ◇  ◆  ◇



 彼女の不調を聞いた教師がホームルームを早く終え、皆が一斉に帰宅し始めたのだが、やはり辛かったのか、彼女は周りの女子たちに掴まって、保健室へと向かっていく。教室の後ろの席でそれを見ていた竜太は、気にはなるが声を掛けてその輪に加わるまでの勇気はない。……が、心配の気持ちと心の奥に積もったモヤの所為なのか、結局校門を出た辺りで動けなくなってしまった。


「……いま出て来たのって浅田さん達だよな。……でも」


 校門の少し離れた場所に居座って少し。現れた彼女たちの輪に恵は見当たらない。何より彼女たちも校門前で、少し不安げに校舎を振り返ってた。だとすれば彼女はまだ保健室……。思考だけが高速で巡る中、一歩も動き出せない自分に腹立たしさを覚えながら、学校の塀に寄り掛かり、じっと空を見上げるしか出来なかった。



 ただ何もせずに待つと言う行為は辛い。手持ち無沙汰にスマホを見たりもしてみるが、逆に落ち着けなくなって校門を何度も見てしまう。そんな不毛な時間を過ごしていると、いつの間にか降り始めた雪が、肩に白く目立ち始める。そこまでになってようやく寒いと思い出した時、一人の女生徒が校門をすり抜けてきた。




~*~*~*~*~*~*~*~



 思い返せばいつぶりなのだろう。小学生時代はよく一緒に下校し、そのまま彼女の家で皆で遊んだりしてた。……それが康太兄ぃ達の受験勉強で行けなくなり、次第に自分の思いに気付いた気恥ずかしさも混じってか、いつしか自分から声をかけることすら憚られるようになってしまった。


 ――彼女がどう思っているのかすら考えずに。


「……ってかアンタ、もしかしてずっと外で待ってたの?」

「へぁ? あ、あぁ、うん」

「……うんって。雪積もってんじゃん、大丈夫?」


 二人で歩き始めてすぐ、彼女はそう言って彼の肩に積もる雪をはたいてくる。その行為に慌てて「あ、大丈夫!」とバタバタと体を揺らし雪を払う彼の行動を見た彼女はクスリと声を漏らして彼に言う。


「フフ。変な動き、久しぶりに見た。……にしても、いつぶりだよ一緒に帰るの」

「……へ、変な? え、あ、……康太兄ぃ達の受験前くらいぶり?」

「えぇ! そんな前かよ~」


 ……そう、そんなにも前の事なんだと思い出すのと同時、竜太は彼女の口調が昔の男言葉に戻っているのが、嬉しかった。まだ自分たちの性別をあまり気にせず遊んでいた頃、彼女は康太兄ぃになぜか対抗心剥き出しだった。故に男勝りで活発で、溌剌とした元気な女の子のイメージが竜太の中の「ホントの恵」だ。


 ――あの時、僕を庇ってくれた、元気で……頑張り屋の恵ちゃん。


 一歩前をゆっくりと。とりとめのない話をしながら彼女は歩く。偶に振り返り、竜太を見上げる視線には屈託がなく。真冬の寒さの中のはずなのに、この場だけは陽だまりに居るようで……。僕は――。


「……竜太、身長でっかくなったよね」


 不意に立ち止まり、横に並んだ彼女が見上げながらそんな言葉を言う。


「この一年でかなり伸びたから……百八十になった」

「デカッ! 私なんかまだ百五十代なのに」

「い、いや、お、女の子なら普通じゃない?」

「えぇ~。私はすらっとビシッとが良いなぁ」


 そう言ってモデルポーズをしようとする彼女を見ていると、竜太の心の気持ちだけが奔り始めてしまった。


「あ、あのね恵ちゃん! ぼ、お、俺実は――」



 ――ずっとキミのことが――。

「ごめん、今はそう言うの無理」



 ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 息切れがキツイ。苦しくて今にも倒れそう……。でも今は立ち止まれないし振り返る事も出来ない。そう。今私は……竜太をばかりだから。



 確かに唐突な告白ではあったと思う。けどでもその予兆は解っていたし、そう思われているのに気づいても居た。


 ……それに私は彼のことが嫌いと言うわけでもない。



 ――ケダモノなのに。


 違う!


 ――男はどうせ皆そうなる。


 違う! ……違わないかも知れないけど、竜太はそんな奴じゃない!


 ――どうしてチガウとイイキレル?


 ずっと一緒に育ってきたから! 産まれてから兄弟姉妹のように! 性格だって知ってるし、癖だってなんだって――。


 ――デモ男ダヨ。佐知にあんな事した奴らと同じ……。


 ――『男』だよ。



 気持ちが。心が限界に近づいた所で、自宅の玄関が見えた。震える手で鍵を取り出し、扉を開いた途端、ダイニングから有紀ねぇの「めぐみちゃん?!」と言う声を聞いた気がするけど、私の意識はそこで切れてしまった。

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