2-8



 その出来事自体は知っている。恵が悔しげな顔を見せながら、晩ご飯時に母に憤懣やる方ないと話していたし、その後、竜太から「足が速くなりたい」と健二と二人相談されたから。只、当時の俺はそれをどう聞き取ったのかは覚えていないが、恐らくは文面通りに受け取ったんだろう。遊びの中に追いかけっこや、影踏みなど、体を動かす遊びを増やした。


「……でも」

「その頃から、竜太は恵ちゃんに想いを寄せていたんだろうと思うよ」


 健二の言葉に俺は二の句を失った。……何しろ当時の彼らはまだ小学一年生、恋愛がどうのだなんて分かってはいない。健二もそれはそうだよと言う、ただ、それでも竜太は俺の妹に家族に対するそれとは別の、特別な何かを感じたんだろうと断言してくる。


「……そういうの、康太はわかってる?」

「あ、当たり前だろ! 俺だってもういい歳なんだから――」

「康太……。まぁ、今そっちの話しは止めておこう。……で、竜太のことだけどさ」

「……あ、あぁ」

「俺が佐知の件を話してないのと同様に、竜太が今告白しても構わないと思ってる」

「は?! いや、俺の話聞いてた? 恵の今の状態じゃ――」

「関係ないよ。……あのさ康太、康太は分かってるって言ったよね」

「な何を」

「恋愛感情」

「あ、……勿論」

「じゃあ、何を置いても、頭で理解しても、それら全部を飛び越えて、好きな人のことを想えるってのが、一番大切だって事も分かってるんじゃないの?! 理屈云々じゃなくて! 本能で相手に伝えたいって思うのが、ホントの感情じゃないの? 俺等、まだガキなんだぜ?」



 ……言われた瞬間、自身でも呆れるくらい、馬鹿な顔を見せていたと思う。勿論呆れたわけじゃない、本当に、本当に今更ながら、衝撃的な言葉を聞いたからだ。


 好きな人に「好き」と伝える……。まぁ、経験の少ない俺にとってそれは、とても難しい一言だと思う。でもだからこそ、それはとても純粋で、真っすぐで、嘘偽りない想い。なのに、俺はそんな竜太の想いを前にして、今は恵の気持ちがどうだとか、このままじゃ成就できないとか、色んな理由を考えて、複雑にしてしまっていた。いちばん大事な竜太の『思い』を無視していた。……だけど、健二はその事にとうに気づいていて、敢えて何も言わなかったんだ。竜太に余計な気持ちを持たせたくなくて……。


「……だから、健二はんだ」

「竜太の想いはだからね」

「そうか」


 俺がそう言って言葉を止めると「何しろ、俺なんか何度佐知に振られたか忘れたの?」と言って、場の雰囲気を変えようと高いテンションで話し始める健二。「それもそうか」と答えると「……誰のせいだと、って、この鈍感野郎には言っても無駄か」と言われ、結局、竜太には「好きにさせてやろう」と言う半ば投げやりな結果に落ち着いた。




◇  ◆  ◇  ◆



 キツかった帯を外し、やっとの思いで普段着に着替えると、母達に晴れ着を渡し、恵ちゃんの部屋に再度戻る。先に戻っていた佐知と恵ちゃんは、早速テーブルに広げたチョコスティックやポテチを片手に、部屋のドアを開けた私に視線を向け、ニヨニヨと嫌な笑顔を見せてくる。


「……な、何?」

「手、繋いだんだって?」

「有紀ねぇ、嬉しかった?」


 ……唐突にその事を言われ、一瞬何のことだと思ったが、すぐにその時の状況を思い出す。何故か頬に熱を感じてしまい「恵ちゃん!」と声を張るしか出来ず、ふいと横を向いたまま、乱暴にクッションに腰掛け、テーブルに広げたお菓子を一つ掴んで、口に放り込んだ。


「アハハ、そんなに怒らないでよ、有紀」

「有紀ねぇ、ごめんって」


 言葉の上では謝ってくるが、二人共、モノすんごい嫌な笑顔のままなんですが?!


「顔と言葉が一致してないわよ」


 変わらずニコニコといい笑顔の二人に一言突っ込むと「だからごめんって~」「……で、ホントのところはどうだったの?」と聞いてくる佐知を無視し、チョコスティックを一本頬張ると、パキリと小気味いい音をたてた。





 ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「ちゃんと寝られたか?」


 死屍累々とした向こう、井戸端会議に勤しむ母軍団の隣で、テーブルに並んだおせち料理を突いている女子たちに声を掛ける。


「オールに決まってんじゃん」

「……佐知ねぇと有紀ねぇの体力を馬鹿にしちゃだめ」

「恵ちゃんが一番はしゃいでたじゃん!」


 三人はそれぞれの意見を言い合いながら、俺達の方を向くことすらせずに、口の中に料理を運び、点きっぱなしのテレビの中の参拝客をぼうっとした瞳で眺めていた。


「……あれ多分、もうすぐぶっ倒れて寝るんじゃね?」

「……だな。放っとこう」


 俺がなんとも言えない面持ちで、三人の様子に呆れていると、なかなかの寝癖を頭につけたままの健二が、後ろからボソリと呟く。確かに恵はテレビの方を向いては居るが、箸で物を掴むのが難しいのか、煮豆を何度も突いてはこぼし、結局手で拾って皿に入れている。佐知と有紀は伊達巻を咀嚼はしているが、その動きがかなり緩慢で、佐知に至っては目の焦点が怪しくなっている。


 そんな様子を眺めつつ、男連中で唯一元気な父が、母たちの井戸端会議の終了を宣言すると、彼女たちは話を途切れさせることなく、テーブルの上のものを一旦下げ、他の男衆を父が起こす間に、俺と健二は顔を洗いに洗面所に向かった。




~*~*~*~*~*~*~*~*~



 ダイニングには母たちが並び、リビングのソファには父親連中。子供達が皆揃って対面に座ったところで、俺の父真介が皆を見回して一言。


「あけましておめでとうございます」


 その声は大きいとまでは言わない。だけど、張りがあり、また所謂『バリトンボイス』な為、部屋に居る全員に綺麗に響き渡る。それに呼応するように皆もまた声を合わせて「「あけましておめでとうございます!」」と返す。


「今年もよろしくお願いします」

「「よろしくお願いします!」」


 そこまで皆で声を合わせた後、皆がそこらじゅうで好き勝手に放し始める。テーブルに並べられた料理に手を伸ばす親父連中や、女子たちは好き勝手に動き始め、途端にふっと気の抜ける思いになった。


 いつの頃から始めたのか、俺達も知らない。産まれて物心がついた頃には、『年始の挨拶』は当たり前になっていたから。……別にこの事が嫌なわけじゃない。ただ、逆に言えばこんな行事が俺達には幾つかあって……。おかげで、反抗期が酷くならなかったんだと思う。まぁ、現実的に力で父親には勝てないし、母親に口で打ち勝とうなんて思うことすら馬鹿げているというのも有るが。


「……なぁ健二」

「ん? なに?」


 二人並んでテーブル前に腰を下ろし、重箱のおせちを思い思いに取りながら、ふと横に座った彼に声を掛ける。こちらを見ずにお目当ての肉巻きを一つ摘みながら、気のない返事を寄越す彼にポツリと一言聞いてみた。


「お前ってもうだよな。お年玉って、どうなるんだ?」


 ――ふと思った疑問だった。特に他意はない……いやマジで。ただ本当に不意に湧いた疑問だっただけ。が、それに劇的に健二は反応した……いや、してしまったのだ。


「な! 何をキュ、急にそんな事を今きくんだよ!?」


 ……そんな大声で反応するかと思い、びっくりして彼を見返すと、健二意外の視線が彼に集中しているのに気がついた。


「そうだよな! お前はもう『貰う』側じゃないな」


 そんな言葉が聞こえ、そちらを見ると彼の父がしたり顔でニヤニヤしている。「な!? おや――」健二が言い返そうとした途端、次に言葉を発したのは俺の父。


「おう! 貰ってるからな! 恵に『お年玉』やってくれるよな健二くん!」

「マジで!? 「健二お兄ちゃん!」ありがと~!」

「へぁ?! ちょ、ま、は?!」

「そっかぁ! 健二はもう『働いて』いるもんね! 偉い偉い!」


 すかさず返事をした恵に、健二がしどろもどろになっていると、佐知がトドメの一撃を入れる。「……ぽ、ポチ袋もってないし」と言い募る健二に母親連中がニッコリと「幾らでもあるわよ」と差し出されると、ぐりんととんでもないスピードで首をひねり、俺を睨んで「こうたぁ」と恨めしげに呟いた後、がっくりと肩を落としていた。


 ――俺はくれと言わないからと心の片隅で呟いた。

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