2-6



 

 住宅街から表通りに出て、アプリで呼んだタクシーに分乗して三十分程度。目的地の近くで降車するとその通りにはもう人の波が出来ていた。


 ベッドタウンの外れに所在する神社――。


 いや、厳密に言えばそれは逆か、この山の中腹にその神社は存在していた。その山を切り開いて建設されたのがこの住宅地なのだから。……元を辿ればその神社の歴史は古く、江戸初期にまで遡れると聞く。が、人が去り、参道も細かったこの場所はどんどん寂れる一方だった。そんな事もあり、一時この神社は神主が存在しないときもあったらしい。そんな神社仏閣が今この日本のそこらじゅうで起こっていて、かなり困っているとテレビで言っていたのを何時しか聞いた。だからという訳では無いが、再開発がかかったこの地域にあったこの神社は幸いだったのだろう。現に住宅が建ち始めたことにより人口が爆発的に増え、それに伴い、こういった慶事には山を降りることなく通えるこの場所には参拝客が押し寄せることになった。神社までの参道は新しいアスファルトが敷かれ、近くには土産物屋や神主もきちんと置かれることになった。


タクシーで人波を見ながらそんな事を考えていると、幾人かの見知った顔が見える。降車してからその人垣に目を凝らしていると、健二が気づいたのか声を掛けてきた。


「……康太、どしたの?」

「あぁ、向こうにクラスメイトが何人か――」

「おおい! 坊主共! 晴れ着のお嬢さんたちをお待たせするんじゃねぇぞ」


 丁度、お目当ての連中を見つけて手を振ろうとした矢先、親父様がタクシーから降車し、人の多さに動けなくなっている女子たちの、先導をしろと大きな声で話しかけてくる。それを見た健二が「はぁ~い! 康太、行こうぜ」と言い、わかったと応えてそちらに向かった。



 ◆  ◇  ◆



 未だ神社の鳥居すら見えない場所で、人だかりの団子状態のまま牛の歩みで進んでいると、ふと隣を見ると有紀が恵の手を引きながら少し呼吸を荒らげているのに気がついた。……毎年の事ではあるが、着慣れない和装に草履履き……帯の締め込みや歩き難さもあるだろう。そう思った瞬間、自分の頭の悪さに辟易とした。


(馬鹿か俺は……)


 心の中で一言自分を罵倒し、有紀に小声で「気が付かなくて悪い」と恵の手を引き取った。


「……え?!」

「ヒャ!? ……何すんの康太?!」


 俺が急に声を掛けたことにびっくりした有紀は分かる。しかも「え」で済ませてくれた。……だが、我が妹よ、兄はバッチクもなければ、冷たい氷でもないのだ。確かにいきなり手を掴んだが、そこまで露骨に驚き、手を引っ込めることはないだろう……オニィちゃんは哀しいぞ。


「……有紀が疲れるから、俺が引っ張るよ」

「え?! ……有紀ねぇ……ゴメンね気付かなくて」


 俺の言い訳を聞いた恵が、有紀を見て謝ってからおずおずと俺の手を握る。有紀は「……あはは、ゴメンね。久しぶりだと帯がちょっときつくてさ」と、フォローしてくれる。


「……にしても、全然進まねぇな」


 彼女の言葉に心の中で申し訳無さがこみ上げたが、それを言えるほどの度量が今の俺にあるわけもなく、思わず前に進まない人だかりに文句を言っていると、後ろに居た健二と佐知が何故か言い合いを始めてしまった。


「良いじゃないの! せっかくオバサンが買ってくれたんだから!」

「……いや、でも今どきこんな服、中学生――」

「別に気にしなきゃ良いじゃん。……大体、健二はそんな小さい事気にし過ぎ!」



「……なんだよ、何二人で喧嘩してんだ?」


 進まない行列で、前後の間隔が詰まっているのもあったのだろう、二人の声はそこまで大きなものではない。だが、その小さな声のやり取りが何時しか体の動きも加わって、佐知が健二を小突いた所で、さすがの俺も我慢できなくなってしまった。……せっかくの初詣、所謂新年最初のお出かけイベントだと言うのに。


「だって、健二がいつまでもグチグチとボヤいてさ。ちょっとみみっちくない?!」

「……み、みみっちぃって何だよ?! そりゃ、佐知は晴れ着とか着て可愛いからいいけ――」

「――っ! ばっか! なにクソ恥ずい事普通に言ってんのよ!」


 ――はぁ~。


「はいはい、そこでいつまでも夫婦喧嘩しててください。……ったく、怒るか惚気けるかどっちかにしろってんだ」

「……フフフ、可笑しい」


 俺の言葉を聞いた二人は、何やらギャアスカ言い訳じみた文句を喚き始めるが、それこそ二人仲良く妙な話し方をし始める。バカバカしいと思って前を向こうと思った瞬間、恵のそんな言葉が雑音をかき消すように俺の耳に届いた。


「……だよな、っとにおかしな二人だ」



 ――少しずつ……少しずつで良い。その積み重ねでいつか……。


「……康太、進んでるよ。後、変な目つきヤバイよ」


 ……妹よ!!……。



 ◆  ◆  ◆




「……ふぅ、やっとここまで来たぁ」


 あれから更に数十分、ぐだぐだと進む行列に辟易しながらも、スマホでメッセージのやり取りや、五人で駄弁っていると、鳥居を過ぎてやっと境内に入る。そこから本堂の賽銭箱まではまだ少し距離があったが、それでも列の終着点が見えたときは、安堵と変な達成感が訪れた。


「……確かに、なんかやっとって感じだよねぇ。……でもさ、こんな山の上の地域的な神社でこんな人出じゃん。テレビで中継とかが来るような神社とかだったら……」


 全員がやっと着いたと喜びを分かち合っているときに、佐知がそんな言葉を言ったものだから、皆の意識は否が応でもその場面が脳裏に浮かぶ。


「さぁちぃ、アンタ、この状況でそんな事言う? 一気に高揚感が失せたじゃん!」

「佐知ねぇ……今のはダメだよ」

「……引くわぁ」

「――佐知……」


「へ?! あ、ごめんごめん! つい、ついね」


 流石に皆から非難の声を浴びた佐知は思わず苦笑いを見せながら両手を顔の前で合わせて謝る。……まぁ、多分自身もあの光景をすぐに想像し、理解できたのだろう。ただその格好があまりにもおばさんというか、オッサン臭い仕草だったので、皆が一斉に笑ってしまう。


 ――ごぉぉぉぉん。


 その時、大きな鐘の音が境内で響き渡る。思わずその音がした方へと顔を向けると、幾人かの僧服を纏った人達が、蝋燭を持って何か呟きながら一人を囲み、その一人が鐘を突いているのが遠目に見えた。


「……除夜の鐘……」


 除日じょじつ(大晦日)の日に梵鐘ぼんしょうを鳴らし、一年の知らず知らずのうちにつくった罪を悔い改め、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎えるならわし……。だったろうか。その音を聞くことで、煩悩が払われるのが本当かどうかなんて分からないが、確かに今この場で聞くその音は大きく、だけど決して嫌なものではなかった。周りもその音を聞いた途端、それまでのざわめきが嘘のように静まり、皆一様にその大きな梵鐘の奏でる音色に耳を傾けていた。


「なんだか、やっぱりお正月! って感じになってきたぁ!」


 皆が静かにその音を聞いていたのもつかの間、健二がさもワクワクと言った感じで急に声を張り出し、両手を天に突き上げる。その声に思わず俺達はキョトンとした後、周りの人と同時に大きな声で爆笑が起こってしまい、ついでに「おう! これぞ正月だなぁ!」「ハッピーニューイヤー!」「いや、まだ明けてねぇよ!」と、その場はさっき以上にカオス状態となってしまう。


「このバカ健二!」

「はっず! ってか子供か?!」

「アハハ! やっぱその服似合ってんじゃん!」


 荘厳な鐘の音が響く中、健二のおバカ発言に皆が笑い始めた頃、逆にクソ恥ずかしくなった俺達は、恵の爆笑を横に見ながらついツッコミを入れてしまう。言ってから自分のガキ発言に気がついた健二は、思わず顔を真っ赤にし「うわ、やっべ、まじ恥っず!」と顔を抑えて悶えていた。



◆  ◆  ◆



 じゃりじゃりと玉石の感触を足裏に感じながら、お詣りを済ませて列の開放感から人心地付いていると、後ろについていた有紀が急に声を掛けてくる。


「……康太は今年、なんのお願いしたの?」

「言ったら叶わないから言わねぇ。……有紀は受験だろ?」

「……え?! う、うん……あ?! 何しれっとこっちのは聞いてんのよ! 教えなさいよ!」

「有紀ねぇ、時々よねぇ」

「グッ……そう言う恵ちゃんは?」

「お年玉倍増計画! ねっ!」

「ファ??」

「だね、健二はもう社会人だし。じゃないもんね」

「ファ~!」


 語彙がないのか、今気づいたのか、健二が馬鹿な雄叫びを上げるのを聞きながら、歩く先に親達が手招きするのを見つけ「呼んでるぞ」と声を掛けている時に、ポケットに入れたスマホが振動した。


「……?!」


 気になってスマホを取り出してポップ画面を確認すると、優莉さんからのメール着信の報せが一件入っていた。




 



 

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