2-5



 ――どんなに悩みが尽きぬとも、時は止まってくれなくて。




 未だぼんやりとした微睡まどろみの中、潜ったベッドから出るのが億劫で、締め切ったカーテンの隙間から覗く初日の出にもっと熱を出せよと思考の中で愚痴っていると、部屋の外が騒がしくなる。スマホを見ると時間は七時過ぎ、昨夜自宅に帰ってきたのが午前2時すぎだった。部屋で布団に潜ったのがその後だから……。と考えながら二度寝をしようと目を閉じた途端、部屋のドアがノックもなしに開けられた。


「康太! いつまで寝てる! さっさと準備して降りてこい!」

「このくそオヤジ! 酒クセェまま部屋に入ってくるな!」



 ――正月早々、我が家はやはり、騒がしくなりそうだ。


 結局と言うか当然というか、俺は竜太にうまく話をしてやれなかった。それにどこから何を話せばよかったのかと言うのもある。恵のトラウマについては佐知のことが絡むし、健二がその事を竜太に話していない事。二人に黙ってその話を俺がする訳にもいかない。……色んな事情がこんがらがって、結局有耶無耶なまま年を越してしまった。何度か竜太と話はしたが、彼も俺の葛藤に気がついているのか、それとも自分からは聞けないのか、その話題については触れてこなかった。




「あけおめ~! ことよろ~」


 グダグダとした気持ちのまま、階下に降りて洗顔を済ませてリビングに向かうと、死屍累々と父親連中がぶっ倒れている中、ケタケタと笑う母軍団と、呆れ顔をした見知った顔が目につく。




◆  ◇  ◆



 ――二十九日までに大掃除や買い物を済ませた母親連中が、我が家に来たのが三十日。途中、買い忘れの追加やら、なんやらと駆り出された俺たちを駅に迎えに行かせると、そこには我が父と健二が大荷物を抱えて待っていた。健二はそのまま一緒に迎えに来ていた彼の父と一旦実家に戻っていったのだが、数時間後には何やらビールのケースを抱えてオジサンと訪問し、久方ぶりの親友の再会の挨拶もそこそこにまた、家の用事に駆り出され、結局ドタバタとしたまま大晦日を迎えた。昼を過ぎる頃には親父連中は飲み始め、母親連中は食事や晩酌へと突入し、夕方になる頃には四家族全員が集合して我家のリビングとダイニングは大宴会場と化す。


 そんな形で階下は親達が騒ぎ始めたので、俺たち子供連中はさっさと二階へ避難。お菓子や飲み物をいくつも持参し、俺の部屋で十時頃まで駄弁っていると、頃合いになったのか母が迎えに来た。


「女子連中はこっちに来て着替えるわよ~」


 その言葉に恵や有紀、佐知の三人は「はぁ~い!」と少し嬉しそうな声で部屋から出ていく。初詣の準備のために着物へと着替えるためだ。


「……皆の晴れ着、見られるんだな」

「……あぁ、そうだな」


 二人きりになった部屋で、俺と健二はそんな言葉をかわして何となく感慨に耽っていると、ガチャリとドアが開けられて、健二のお母さんが「健二、あんたもから着替えなさい」と手提げ袋を渡してきた。健二はそれを「今更子供じゃないってのに……」と口では面倒そうに応えていたが、視線はしっかりとその真新しい服へと注がれている。


「……ブランド物は入って……るわけねぇか」

「あはは! こないだ、オバサンと一緒にショッピングモールに行って『福箱』をゲットしてきてやったぜ!」


 それは年末に恒例となったショッピングモールの衣料品売り場で行われている「福箱」セールだ。所謂トップブランド物の名は並ぶのだが、殆どが中学生までのブランドで、スポーツブランドが目立つ。サイズ分けされ、二千円、五千円、一万円と三種類あるが、入っているものは総じて同じ。値段に合わせてシャツが増えたり、アウターが入ったりと、まぁ。一層処分の類だろう。


「……ゲッ! 何だよこれ! バックプリントデカすぎるだろ!」


 中身を漁りだした健二が、早速出てきたアウターのダウンジャケットを広げて文句を言っているのを、横で爆笑しながらスナック菓子を頬張っていると、お前は着替えないのかと聞いてくる。


「あぁ、俺はもうこれで行くから良いんだよ。アウターだけ、買ってもらったしな」


 そう言って俺は壁に掛けたオーバーサイズのダウンジャケットを指差す。健二はそれを見た途端「おま……ズルくね?」と言いながら、そのジャケットを羨ましそうに眺めていた。見とれてないでさっさと着替えろよと俺が声をかけると「くそ! 給料もらってるのに不公平だ」とボヤきながらもノソノソと着替え始める。



◆  ◇  ◆



 階下で未だ酒を酌み交わし、大声で喋り続けている親父連中から距離を取って玄関を出ると、いきなり刺すような寒さが顔に当たる。一瞬顔を顰めて目を細めると、チラチラと眼の前を白銀の欠片が舞っていた。



「……傘……までは要らないかな」


 真っ暗な空を見上げて、一人小さく呟いていると、玄関先ににぎやかな声が響いてくる。少し耳を傾けてみれば、健二が親連中に誂われているとすぐにわかった。


「おぉ! 馬子にも衣装ってやつか!」

「ガハハハ! 格好良いぞ健二! デッカイバックプリントがいい味出てる」

「うるせぇよ! これで喜ぶのは中学生までだろ!?」

「あははははは!」


 ……あ~あ、酔っ払いにまじになってやがるよ。適当にあしらっときゃいいのに。

 等と心の中で思っていると、ガチャリとドアが開き、赤ら顔したオヤジたちに囲まれて、鬱陶しそうな顔をした健二が、文句をぶちぶち垂れ流しながら俺のそばにやってくる。


「……くそぅ、人をにしやがって。なぁ康太……って、雪、ちらついてるな」

「あぁ。ってか毎年の事なんだから、適当にしとけ。どうせ返ってくる頃には潰れるだろ」


 二人で親父連中から少し距離をとってコソコソ話していると、親父連中の後ろから綺麗に化粧を終えた母親たちが、これまた賑々しく話しながらドアを潜ってくる。


「あ、皆、雪がちらついてるから、足元気をつけなさい。晴れ着だからゆっくりね」


 一塊になった母親の一番最後に出てきた俺の母さんが、後ろに声を掛けながら出てくると、外にいる男連中の視線が一斉にそちらへ向けられた。


 最初に出てきたのは恵。恥ずかしげにはにかんで、少し上目遣いに「どう、かな」と出てくる。白を基調とした振り袖には赤や黄色、色鮮やかな花柄模様が散りばめられ、ボブカットに合わせたヘアアクセは、髪を引っ詰め大振りな花が左に。薄くさした紅はピンク色で、頬にも同色の淡い色が咲いている。肩に掛けたショールはまるで白銀に見え、キラキラとちらつく雪と玄関先のポーチライトに反射して、顔の白さを一際際立たせている。次いで有紀と佐知が二人同時に手を繋いで「じゃーん!」とジャンプしそうな勢いで飛び出してきた。有紀は朱がベース。佐知は紺碧色の色違いで同じ柄の振り袖。帯は逆に有紀が蒼で佐知が朱。柄は左右反転にしてあるのか、並んで立つとまるで大輪の花が咲いているように見える。有紀はハーフボブを巻き上げ、襟足からトップに向かって花簪はなかんざしを使っている。佐知はいつものポニーを辞め、後ろで巻いてパールの編み込みを被っていた。ショールは二人共少し暗めのグレーで纏め、真っ赤な紅をさしていた。


「「おをををを!」」


 三人を見た親父連中と健二は思わず声を出し、母達は嬉しそうに手を叩いていた。


 ――き、綺麗じゃねぇかよ!!


 皆の反応をよそに、俺はその衝撃に思わず目が点になっていた。やはりと言うか女子というのは、服装一つでこんなにも雰囲気が変わるのかと。当然その服装に合わせた髪型や化粧もそうだが、ふとした仕草や立ち姿だけ見ていると、一瞬別人かと思ってしまうほど……。だから、俺がああ思ってしまってもそれは一種のアレなのだ!


「……佐知……綺麗すぎてやべぇ」


 すぐ隣で、俺と同じ様に語彙をなくした健二が呆けているのに気づいた瞬間、何故か「スンッ」と頭が冷えてしまったが。

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