2-4



「入るよ~」


 既に部屋の中に侵入してからそ彼女はそう言い、片手に持った小さな箱と、炭酸ジュースを机に置く。そのまま机の椅子を引っ張り出して、腰掛けると「ふぅ」と一息吐き出してから、視線を俺に寄越して話し始める。


「……おばさん、マジで怒ってたよ。それから、これ。してきたから、暖かいうちに食べな」


 有紀は机に置いた箱を指さして母のことを引き合いに持ち出すが、彼女が聞きたいのはそれじゃないってのが、ありありと分かる。……まぁ、俺も分かり易い態度だったなとは内心思っていたが。


「……で、何があったのよ?」

「――流石に母親には言えなくてな。……実は――」


 そこから俺はゆっくりと、今日の顛末を話し始める。竜太が最近ずっと悩み続けていた話、幼馴染でありながらも彼だけが俺たちと少し距離を観じている事等……。


「それで、ずっと悩んだ挙げ句、アイツ……もっと肝心な事に気がついたんだ」

「肝心な事?」

「あぁ。……恵の事が好きなんだって」


 この事を言うのには少し躊躇した、何しろ男同士の会話で出た竜太の本音だったから。だけど、悲しいかな俺にはそこまでの経験が無いのも事実。恋愛相談なら有紀の方が、恋愛経験はなくとも話くらいはしているだろうと思い、断腸の思いで心の中で竜太にスマンと思いつつ話したのだが……。


「あぁ、そう言えば竜太はずっと、だったわね」

「……へぁ?」

「――なに? アンタ、気づいてなかったの? 小さい頃からずっと一緒に居たのに。……え? マジ? やば。どれだけ鈍感なの?」


  ……俺の言葉に彼女は当然のような顔をして、竜太の思いを昔から知っていたかのように話し出す。それをキョトンとした表情で見詰める俺に気づいた彼女が、さも残念な顔をして俺に辛辣な言葉を突きつけてくる。流石にその物言いはどうなんだと、抗弁しようと口を開きかけたが、どうせ何倍にもなって返ってくると思い至り、悔しい思いを無理やり飲み込んだ。


「……悪かったよ。でもそんなにきつい言い方しなくてもいいじゃないか。……で、なにか良い考えある?」

「いや、今そんなの無理だって事はアンタでも分かってるんでしょ?」

「あぁ、だから悩んでるんじゃないか」


 そんな事は俺だって分かっている。恵の状態を考えれば、今そんな事を考える余裕なんてありえない。でもその事をそのまま竜太に伝えるのも憚れるから悩んでいるのに……。


「――ふぅ、恵ちゃんはさ、今やっとあの日の怖い思いと、決別しかけてる状態だと思うんだよ。……正直、男に対してある種のトラウマみたいなものが出来てしまっているかも知れない。本当は学校に行くのも辛い時があるって言ってた。そんな状態で、恋愛なんて考えられると思う?」


「――っ。……そんなに深刻なのか」

「……口に出して言わないけれど、彼女の部屋に飾ってたアイドルのポスター、捨ててあった」


 ……そこまで酷い状態になっているなんて思いもしなかった。確かそのアイドルはここ最近彼女が『箱推し』ているグループだったはず。全員が中性的な男の子たちの五人グループで、テレビや動画サイトでこれでもかと俺に説明してくるほど、熱狂していたのに。まさか、そんなモノにさえ……。


「――そう、なんだ」


 正直、それ以上の言葉を見つけることは、今の俺には見つけられなかった。確かに佐知の出来事はショックだ、でもメンタル的にどうかと言えば、俺はそこまで酷くはない。いや、逆にそれを行った連中に対して、こみ上げる怒りの感情のほうが大きい。これが男と女の性差、男は理屈で考え、女性は感情で考えると言う……。


「ねぇ、康太。……アンタはどうなの? 佐知の件、アンタは一体どう思っているの?」

「――え? そりゃ勿論、犯人を絶対見つけ出したいし、出来る事なら抹殺したいと思っているよ」

「……それだけ?」

「は?」

「――それはアンタが考える犯人に対する気持ちでしょ? 私が聞きたいのは、アンタ自身が今回の件でどう思っているかよ」


 ――そう言われて一瞬意味が分からず、有紀を見返すと、彼女はまっすぐ俺を見つめている。……どう思う? 頭でそれを理解しようとしていると、彼女は「はぁ~」とため息を漏らし、見つめていた目を伏せると「やっぱりね」と溢した。


「な、なんだよ。なんで溜息なんか――」

「アンタ今、理屈を捏ねようと考えたでしょ」

「な!?」

「これだから男ってのは……。良い? 私が聞いたのはそのものの事なんだよ。『感情』って言えばわかる?」


 ……コイツ、オレの心を読んだのか!? それこそ今の直前まで俺が考えていたことだった。そのあまりにもピンポイントな図星の指摘に、思わず俺が「グッ」と溢すと「やっぱりね、康太はすぐに顔に出るから」と言う。……え? 俺ってそんなに判りやすかったっけと思って、自分の顔をグニグニ弄っていると、その仕草が可笑しかったのか、有紀は声を上げて笑い出した。


「ブッ! あはははは! 何してんのよ。……ほんっと、昔っから康太は変わらないね」

「だ、だっていきなり有紀が痛い所を突いてくるから……」

「……やっぱりね」


 そう言った有紀は急に真顔になって、少し小声で話し始める。


「――あのね康太、確かに男と女は考え方が違うってのは有ると思うんだよ。それに今回の事、特に私達女にとっては、一生残る『きず』でもあるからさ。だから余計、その感じ方も、考え方も全く変わってくるんだよ。……力で抗うことは出来ない。しかも男なんて世界の半分も居るんだよ? 嫌な視線に晒されることもしょっちゅうだし、電車に乗れば痴漢なんてざらにある。嫌とかそんなんじゃなくて「怖い」が先に来るんだよ。でもだからと言って、男を駆除するなんて出来ないじゃん。私達女はそう言う気持ちが根っこに常にあるんだよ」


 ……そんな話をしている有紀の手がかすかに震えているのを、俺の視覚は確実に捉えている。だからと言って今の俺に「大丈夫」だなんて言葉はとてもじゃないが言えなかった。……そこまで、そこまでの恐怖をあの時の彼女達は感じていたのか。


 俺はあの時、自分の至らなさと、彼女佐知の独白に圧倒され、打ちのめされただけだった……。そうして只々、そんな事を行った相手に憎しみを覚え、いつか必ず罪を償わせてやると心に誓った。


 ――全て、理屈と心情に従って。……そこに、俺の思いは――あったのか?


「……分からない」

「え? なに?」

「――有紀に言われた『どう思った』か。俺にはどう答えていいか分からないんだ。いや、心情的に犯人に対してとか、佐知や他の女子に対してとかはあるよ。……でも、それは全部、理屈を頭が理解しているからで……率直に自分の思いはと聞かれると……分からないんだよ。……多分、嫌な言い方になるかもだけど、自分がそのから……」


 思わず、正直な本音を彼女にそのまま吐露してしまった。彼女はその言葉を聞いて「……そう」とだけ答え、黙る。……あぁ、やっぱり気まずくなってしまった。だけど、そこに中途半端に取り繕った答えは出せなかったから。彼女……いや、これは女性に対して俺の正直な返答だ。力で勝り、下卑た視線をぶつけている。その視線を俺は否定できないから……。ただ、不躾に何時もそうしているわけじゃないし、自制はきちんとしているつもりだけれど。あくまでそれは男の意見でしか無いから。


「……まぁ、確かに今どうこう言える程、私達も経験しているわけじゃないしね。特に康太は恋愛経験皆無だし」

「……な!? それは今関係ねえだろ!」

「アハハハ! 図星なんだ? ……まぁ、康太の今の気持ちはわかったよ。『わかんない』ってちゃんと答えてくれたから」

「それで良いのか?」

「良いも悪いもないでしょ。それこそ私にだってこれが答えだなんて言えないもの。考えなんて都度変わるし、その答えに正解があるかなんてわからないよ。『道義的』や『倫理観』になら正答はあるかもだけど、人の思う気持ちにそれが当てはまるなんて私、思ってないから」


「……え?」

「はは、何言ってるんだろ私……。ってか、話ズレすぎちゃったね、そろそろ戻さないと意味解んなくなっちゃうよ」


 有紀の話した言葉に少し違和感を感じて、つい言葉を挟むと彼女もそれがわかったのか、取り繕うように無理やり話を軌道修正する。


 確かに今の話に正答なんてすぐには出せないだろう。男女で違いが出るのだ、ならばそれを個にしたらば尚更……。近しい答えは出るかもだけど、全てが合致するとは思えない。どこかで妥協しているから角が立たずに済んでいるだけ。……でも、いつか、それすら解り合える人が現れたのなら……。




 ――その後も二人で話はしたけれど、竜太達の事について、これだという結果は出せなかった。

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