小さな恋
2-1
空は鉛色に塗りつぶされ、寒さが日毎増し始める。朝に吐く息は白く、指先を見れば赤くなって少し痛みを感じ始めた。日めくりのカレンダーが数枚に減り、「あぁ、もうすぐ今年も終わるんだなぁ」と思いながら、日にちを確認すると、22日となっていた。
妹が倒れたと聞いてから既に2週間。中学生である彼女は今日が終業式だった。気持ち的にどうなっているのかは分からないが、一見した感じでは普段通りの生活に戻っている。
「……今日は真っ直ぐ帰ってくるの?」
「――う~ん、どうだろ? 何もなければ一旦戻ってくる予定だけど……。制服のままだとアレだし」
「どこか行くの?」
「皆でプレゼント買いに行くって約束してるんだよねぇ」
「あぁ、24日の交換会?」
「そう……。あ、夜は帰ってくるよ」
起きぬけの寝ぼけた頭でリビングのソファにもたれながら、母と妹の会話をぼんやり聞くとはなしに聞いていると、「クリスマスなんだな」と改めて思い出す。俺は未だにパジャマのままで、靴下とスリッパだけを追加して、朝の情報番組をぼうっとした頭のまま眺めている。
「行ってきます」
そんな声とともに恵が玄関ドアを開けると、一気に外の冷気が吹き込んできた。「さっむ~!」と体を抱きしめながらも彼女は元気よく飛び出していくと、母がダイニングからでてきて俺を見つけた。「あんたもいい加減ちゃんと着替えて、ご飯食べなさい」と声をかけ、仕事に行く準備のために自室へ戻っていく。
「へ~い」
気の抜けた返事をしながら食堂に入ると、プレートには野菜サラダと目玉焼きが置かれ、ソーセージは別皿に盛られている。食パンをトースターに放り込み、コーヒーをサーバーからマグに移してテーブルに置いてから、冷蔵庫からマーガリンを取り出した。
「……康太、今日の洗濯物、風がきついから飛ばされないように気をつけてね。後お昼すぎには帰るけど、洗い物は食洗機でお願い。じゃ、行ってきます」
「了解。いってらっしゃい」
コーヒーマグを片手にダイニングから顔を覗かせて、母を玄関から見送ると、ズズとコーヒーを一口啜る。残った食事をモソモソ食べてから、最後のコーヒーで全てを流し込むと、ふぅと息を吐いて天井を見詰めていた。
*************************
家を出てから通学路を歩く。日毎寒くなっていく気温は、既にいつ雪が降ってきてもおかしくないんじゃないかと思うほどだ。何しろここは少し標高が高い地域。平地よりも雪が舞う確率は確実に高い。空は常に曇天で、陽射しもこの2~3日、まともに見ていない。
「おはよう、恵!」
「……おはよう」
マフラーに首を埋めながら恨めしげに空を見上げていると、不意に後方から駆け寄って来る友人の声がした。挨拶を返して彼女が横に並ぶと早速とばかりに今日の買い物についての話を始める。
「今日さ、どうする? やっぱ向こうの駅にあるモールに行く? それとも――」
「う~ん、まだ考え中なんだよねぇ」
二人で店のことを話しながら歩いていると、先を歩く別の友人が目に入る。声を掛けて合流し話をしながら進んでいると、いつの間にやら大きな声になってしまい、気づくと校門がもう見え始めていた。
昇降口で靴を履き替え、ダラダラと話しながら廊下を歩いていく。偶に見かける友人に挨拶をしながら進んでいくと、階段の登り口で加藤竜太を見つけた。
「竜太、おはよ」
別段他意はない。彼とは小さい頃から兄達との関係で友人だ。もっと言えば両親との関係もあるので半ば親戚のような付き合いなのだ。もちろんその事は周知の事実であり、私や彼の周りの人間もその事に関しては重々知っている。……ただ、この間彼との事で私が倒れたことも有り、周囲は当初ピリピリしていたが、アレから2週間経ち、私からの弁明もあってその辺の誤解は解けたのだが。
「――っ! お、おはよう」
どうも彼自身はそうではないらしく、返事は何とか返ってきたが、そのままこちらを見ることもなく、階段を慌てて駆け上がっていった。
「……もう、気にしないでって言ったのに」
◇ ◆ ◇
体育館で校長先生の長い話の後、色々な説明を聞いてゾロゾロ各々の教室へ戻っていく。「なんで校長先生って毎回あんなに話長いの?」と言う言葉がそこかしこから聞こえ、「偶にループしてるよね」等とトンデモ発言も聴こえている中、私は朝の続きと言わんばかりに、どの店に行くかを話してくる友人と歩いていた。何店舗か廻ることは決まっていたが、駅を往復したくはなかったので、順番などを考えていると、誰かの視線を感じる。
「……ん?」
「なに? どうかしたの?」
振り返ってみてもその視線の主は見つからず、横に居た彼女が訝しがって聞いてくるので「ううん、なんでもない」と適当に応え、話を戻して歩きだすと、彼女もあまり気にしていないのか、二人でそのまま教室まで話し込んでいった。
「……はぁ、何やってんだ俺」
ゾロゾロと続く人の波の中、竜太は一人俯きながら、ボソリと呟いて歩いていた。自分から彼女と距離を置いておきながら、気になって仕方がない。結果、遠くから隠れて見つめている。……一体何がしたいんだと自問しても答えは見つからず、ただ悶々としたまま教室のドアを潜っていく。
――いや、本当はわかっているけれど、自覚したくないのが本音だ。
――その気持ちが『恋』だと知ったのはいつからだろう……。
喧騒が続く教室の中、その大きな体を窮屈そうに屈めて一番奥の席に戻った竜太は、前を向けずに隣の締め切った窓の方を向く。見上げた空は重く、濁った雲が一面を埋め尽くしている。視線を少し下げると、自分の住む街が一望できた。奥には線路が見え、たった今駅を離れていく車両。その先にはこんもりと盛り上がるようにして広がる山の稜線。
あぁ、ここは
――あ!
別に意識していたわけじゃない。と言うよりもさっきの妄想で逆に忘れてしまっていた。竜太の右列前3席先に、佐藤恵の席はあった。そして彼女は今、すぐ後ろにいる友人とこの後の行動について盛り上がっていたのである。
そこへ、突然ガラガラと戸を開けて教室に入ってきた、担任の教師。慌てて振り返ろうとした彼女と、不意に前を向いた竜太の視線は綺麗に重なった。
――まぁ、偶然そうなっただけで、別に胸キュンなどと言う、少女漫画の下りのような出来事は起きようもなかったが。因みに、花が咲くなどといった効果も起こるわけもなく……。
(くぁwせdrftgyふじこ!!!)
思わずガバっと下を向いたのは竜太だけ。恵の方はと言うと哀しいかな、気づいてすら居なかった。
「はぁ~い、注目! 今から皆さんお待ちかねの通知表を――」
担任がその言葉を発した途端、まるで爆弾でも落ちたかのように皆が一斉に「いらね~」「待ってないよ~」と口々に好きな言葉で騒ぎ出す。そんな言葉を気にせず、担任は「うるさい奴は今から評価点下げるからねぇ~」などと、嫌な笑みで攻撃し、場を和ませながら生徒の名を呼び、手渡していく。それを受け取った生徒たちは口々に色々な言葉を零す。やがて全員にそれを手渡すと、担任は定番の休みの諸注意や行事の話を少しした後「来年も元気にこの教室で会いましょう。良いお年を」と言って、学級委員に目線を移した。
「きりーつ、礼――」
◇ ◆ ◇
一人で校舎を出て、通学路をゆっくりと歩いていく。ワイヤレスイヤホンを左耳にだけ嵌め、ボリュームも大きくせずに周りの音が十分に聞こえるように。偶に見知ったクラスメイトや別のクラスの友人を見つけると二言三言、言葉を交わすが、基本的には手を振る程度で通りすがる。住宅街を抜け大通りを渡って商店街筋が見える頃、急に吹いてきた北風に一瞬身を震わせるが、首に巻いたマフラーをもう一度締め直して学生服のポケットに手を突っ込むと、また歩き始めた。
――はぁ、結局うまく話せないまま2学期終了しちゃったなぁ。どうしてこんな風になっちゃったんだろう? ……いや、分かってはいるし、もうぶっちゃけ自覚だってしてる。恵ちゃんの事が好きだってのは。でもだからと言って、こんな別れ方は不味いだろう。なんで急に意識してそっけない態度なんて取っちゃったんだ?
教室を出てからずっと、今の今まで悶々とそんな事を考えて歩き続けていた。だから、途中で友人に会っても適当な応対になってしまっていた。そうしてぼんやり歩き続けていたからなのか、商店街に入ってすぐ、前方から来る自転車を押す人間に気づけなかった。
「……おい竜太!」
突然右耳の傍で自分の名を呼ばれ、腰が砕けそうになる。思わず「フワァ!」と叫んでしまい、倒れ込みそうになったのを大声で俺を呼んだ当人に掴まれた。誰だと思って睨もうとしたが、相手の嗜虐的な顔を見た途端、自分の気持ちが空気の抜けた風船のようにみるみる萎んでいくのが分かった。
「――っ! 康にぃ……」
そこには自転車の前かごに荷物を入れた康太がニヤニヤとした顔で立っていた。
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