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 「キッチン加藤」は駅前通り商店街の中程に所在している。その一階を店舗として活用し、二階以上は自宅としても利用している、所謂兼用住宅だ。今でこそこの通りには専用店舗として大きなものも存在しているが、元を辿ればこう言った、兼用住居が何件も並んだ小さな商店街だった。山の中腹を切り開いたベッドタウン。計画的に整備された街並みで、当然商業地区も纏められて造られている。その為、この通りは生活道路として計画された細い道だったのだ。しかし、都市計画の思いとは裏腹に、駅までの抜け道として車のあまり通らないこの道は、住民にとっては抜け道に使う道路として、あっという間に人通りの多い道になった。そこに目をつけた通り沿いの住人は、1階を店舗に改装し、商売を始める。それはあっという間に通り一体に波及し、小さなアーケード街へと変貌した。「キッチン加藤」前身の「加藤惣菜店」も元は祖母の漬物販売が始まりだ。


 そんな店舗兼住居になった3階部分の4.5畳の洋室に、加藤竜太の部屋がある。部屋には狭い空間を目一杯使うため、ロフトベッドが設置され、下部分には机が押し込まれている。机の上にはモニターが3枚並び、隣のスチールラックには、フルタワー型の大型自作パソコンが静かに鎮座していた。部屋の壁にはぐるりと棚やボックスが積まれ、棚には漫画やライトノベルが。ボックスには様々なロボットなどのプラモデルやフィギュアが並べられている。テレビの置かれた場所には壁一面にポスターが張られ、その前に置いたテーブルで竜太は一人突っ伏していた。


「ぐわー、康にぃ、怒ってるんじゃないかなぁ」


 テーブルに置いたスマホを見つめ、そんな言葉を零しながら、抱えた頭をぐしぐし掻いていると、部屋のドアがノックされ、ドアが開いて母が顔を覗かせた。


「りゅう~、って、なにしてんの?」

「うわ! 急に開けないでって何時も言ってるじゃんか!」

「ちゃんとノックしたわよ」

「その瞬間に開けてるじゃん! ノックの意味!」

「はいはい、気をつけるわよ。……それよりすぐご飯出来るから、下でお婆ちゃん手伝って」


 竜太の言葉を適当に流し、言いたいことを言いつけると、母はそのまま扉を閉めずにその向こうにある自室へ向かう。「もう!」と大きく一声上げ、それでも祖母の元へ向かおうと彼はスマホを手に立ち上がった。



*************************



「……おかえり」


 玄関が開いた途端、俺はすぐさまダイニングから顔を出す。その声に驚いたのか、母がキョトンとした顔で俺をじっと見つめ返してきた。


「……な、なに?」

「何じゃないわよ。アンタこそ、急に出迎えなんてどうしたの?」

「い、いや、そりゃ流石に学校で妹が倒れたなんて聞かされたら、心配するに決まってるじゃんか」

「あぁ、はいはい。恵なら大丈夫よ、帰ってくるまでに肉まん二つも食べちゃったんだから」

「お母さん! いきなりそんな事言わなくてもいいじゃん! 康太はあっち行け! ウザい!」



 ――ウハ! 超罵倒! ……心がポッキー極細です!


 さっきまでのシリアスはどこへやら。妹は心配する兄の心をポキポキ折り倒し、母を押しのけるように玄関から階段へと駆け上がる。そのまま自室のドアを閉める際、一言「ただいま!」とだけは聴こえてきたが、ブロークンハートな俺には何も聴こえず、玄関先で一人、ORZ状態で茫然自失となってしまう。


「……もう、ご飯できたら呼ぶから、ちゃんと着替えなさいよ」


 そんな俺を放置したまま、母は階段下から恵に声をかけると、ダイニングへ向かいながら、俺に声を掛けてくる。


「今はそっとしておきなさい。大丈夫だから……。ってかアンタもシャンとしなさい! ほら、ご飯の準備するから邪魔」

「……それで、良いの?」

「アンタは男だもの、コレばっかりは「お兄ちゃん」では難しいわね。……有紀ちゃんに声かけてあるから、「お姉ちゃん」に任せましょう」


 ……いや、それもあるが。俺のフォローはなしですか。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 リビングで半ば放心したままテレビを見るとはなしに眺めていると、キッチンから夕飯の香りがなんとなく漂ってきた。生姜の香りと何かを焼いている音から「生姜焼き」かな等と思っていると、玄関のチャイムが鳴ってすぐにドアを開ける気配がした。すると案の定誰かが家に入ってきたのだろう、すぐに「こんばんわ~」と言う、聞き慣れた声が聞こえて来る。


「あ、有紀ちゃんゴメンね」

「いえ、あ、これ、お母さんが夕飯に一緒にって」

「ありがとう、ちょうどよかったわ。サラダどうしよかと思ってたから」

「じゃあ、ちょうど良かったです。それと――」


 彼女はそのまま母の居るキッチンへ入っていき、彼女が持ってきたタッパの中身を話した後、言葉を続けていたが、作業をしながらだった為によく聞き取れなかった。別に聞き耳を立てるまでもないと思っていたので、ぼんやりテレビを眺めていると、不意にすぐ後ろから声を掛けられた。


「康太、ご飯出来たから準備手伝って」


 ダイニングの扉が開き、有紀が顔だけ覗かせてそう言ってきたので、「わかった」と返事をして向かう。ダイニングテーブルに食器を出そうとした所で、お盆を手にした有紀が「恵ちゃんと私は部屋で食べるから」と言って、その分の食器を持っていく。


「……え? じゃ、こっちは」

「お母さんとアンタの分でいいわ」



 ◇  ◇  ◇



 部屋に飛び込んだ後、机にカバンを放り出して、制服を乱暴に脱ぐ。手洗いするのを忘れて少し気分が苛ついたけれど、今更階下に降りるわけにも行かず、余計に気分がムシャクシャした。


「お母さんのバカ……つまんない事すぐ告げ口みたいに言うんだから」


 脱ぎ散らかした制服をハンガーに掛け直しながら、そんな事を愚痴っていると、心配顔した兄の顔が不意に眼の前に浮かんで来た。……いつもの間の抜けたとぼけ顔とは違う、眉尻を下げ、窺うような上目遣いの申し訳無さそうな顔……。


 ――あんな顔を見るのは……いつぶりだろう――。



 私達がまだ小さかった頃、男女の区別なく佐知ねぇと康太と建ちゃんが一緒に遊んでいた、私が幼稚園児だった頃。


「――痛い!」

「え?!」

「どうした?!」

「メグちゃんが転んだ!」


 それは、児童公園で「影踏み鬼」と言う鬼ごっこで、遊んでいた時の事。鬼役の佐知ねぇに追われ、慌てて振り返った途端、私は躓いて転んでしまった。膝を擦りむき、痛さに思わず声を上げて泣き出した。佐知ねぇがすぐに私を抱えて起こしてくれたが、痛みと怖さに涙が止まらず、わんわん声を上げているとき、康太は何も言わずに私をおんぶしてすぐさま家へと走ってくれた。玄関先で母を呼び、リビングに私を降ろすと、その足で洗面所へ。母が泣きじゃくる私を宥めていると、洗面器に水を入れ、タオルと一緒に持ってきてくれた。


「……もう大丈夫、痛いの痛いのとんでいけ~したからね。お膝もキレイキレイになったから、もう大丈夫だよ」


 母がそう言いながら、手当をしてくれているのを涙を堪えながら見ていると、不意に別の視線を感じて見上げたとき、康太がさっきと同じ目をして私をじっと見つめていた……。



 ――康太? ……違う。 あの頃の私はそんな呼び方していなかった……。



 ――お兄ちゃん。


 

 そうだ、あの頃はまだちゃんとお兄ちゃんと呼んでいた。……何時しかそれが恥ずかしくなり、おにぃに変わって……康太と呼び捨てるようになった。それは……有紀ねぇと佐知ねぇが――っといけないいけない、これは三人の永遠の秘密協定だ。……誰にも話さず、思い出すこともなく。


 はぁ……だと言うのにあの鈍感兄貴ときたら……。


 あ! そうだ、あの時から兄貴のことを「康太」と呼び捨てるようになったんだっけ。


 モヤッとした気持ちが自己完結し、少し気持ちに余裕が出来た時、自室のドアをノックする有紀ねぇの声が聴こえてきた。




◇  ◇  ◇  ◇




「あぁ……そう言えばそんな事あったね。三人で話し合った次の日だっけ? 急に恵ちゃんが「康太」なんて呼ぶもんだから、康太ビックリして固まってさ……アハハ! 思い出した! あの時の康太の顔! ぽかんとして……あははははは!」


 食事をわざわざ二階に運び、二人で食べようと誘ってくれた有紀ねぇに思い出した話をしてみると、彼女も当時のことを振り返って一緒になって笑ってくれる。……やはりこんな時同じ目線で居てくれる同性が居ると安心する。母も同性だが目線が違う。そんな事をしみじみ思っていると、笑っているはずなのに何時しか流れ始めた涙が止まらなくなっていた。


「大丈夫、ちゃんと皆居るからね。……だからもう大丈夫だよ」


 溢れた涙が止められず、縋るようにして有紀ねぇに抱きつくと、彼女は優しく受け止めて、背をさすりながらそう言ってくれる。

 

 ――あぁ、そうだ。私にはこうして心配してくれる姉や……兄がちゃんと居る。


 ――だけど……だから今は、今だけは、少し甘えさせてね、おねぇちゃん――。





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