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 12月に入り、期末考査も終わって後は冬休みを待つばかりとなった、教室は少し浮足立っている。――佐藤康太の妹である佐藤恵は、県立中学に通う2年生。そんな彼女はもう康太達の通う高校受験を見据え、受験勉強の練習のようなものを始めているが、そんな殊勝な生徒はこの県立中学では少数派だ。流石に3年生ともなれば考えるだろうが、それでも夏休みを超える直前辺りからが普通と皆考えていた。その為、今年の冬はどうする? だとか、休みはどこへ行こうなどと、放課後になった途端、彼女の席の周りでは嬉しそうな声が聞こえてきていた。



「恵ちゃん、あ、あのこれ、お母さんが『先輩』に渡してくれって」


 そんな周りの声に少しの苛立ちと、いや、これが普通だと考えて葛藤している恵の前に、クラスメイトであり、母の後輩でも有る「キッチン加藤」の息子、加藤竜太かとうりゅうたがなにやら封筒を持って現れた。


「――なにこれ?」

「さぁ? クリスマスまでに返事が欲しいとかどうとか言ってたけど」


 渡された封筒には何も書かれておらず、持った感じもそこまでの重量を感じない。恐らくは何かの割引券の詰め合わせだろうと当たりをつけ、すぐ前に居る彼に言及することもなく、バッグにそれを放り込む。そうしてそのまま席を立とうと考えていると、目の前の彼が未だ動いてないのに気がついた。


「……なに?」


 彼女の机を挟むようにして立つ彼は恵の母、静香の後輩であり親友の加藤季実の息子であり、幼馴染でも有る。幼少期から兄である康太達とよく遊んでいた記憶はあるが、運動が苦手で少しおっとりした性格の為か、気の弱い部分が少しあって、恵たちのような気の強い女子たちに、小さい頃はよくからかわれて泣かされていた。しかし性格に反して、身体の方は縦にも横にも大きくなり、中学2年生にして現在、その身長は180を超え、体重もそれに合わせてかなりのものになっている。それは間違いなく彼の父親の遺伝だと思われ、現在もまだ成長痛が偶にあると聞いて、内心「2メートル超えんじゃね?」と、思わなくもないほどだ。


 そんな彼では有るが、先述の通り、性格はおっとりしてかなり優しい。言い方を変えれば「小心者」だ。小学生の高学年になった頃から、恵は勿論、佐知や有紀等の女子と会話するのがおどおどし始め、言いたいことがあっても、こちらから切り出さないといつまでも話せなくなるという、何とも面倒くさい男になったものだと思っている。まぁ、他のことに関しては彼は別に弱いわけでも、虐められるわけでもない。男子連中とは普通に話せるし、逆にいじめを止める側にすらなっているのだから。


「え、あ、あぁ。……あのさ、健兄ぃが急に学校辞めて恵ちゃんのオジサン所で働いてるって聞いて……」

「……あぁ、その事……」


 ソレはもう2ヶ月以上も前の話だ……。佐知の件に絡んだ中で、健二は学校を退学し、信介の会社へ入社した。その話を思い出すと、苦しかったあの感情が今でも鮮明に蘇る。聞いているだけだった……。でも、あの時の佐知の声、仕草、そして嗚咽……。一気に血の気が引き、立ち上がろうとしていた椅子に、腰が抜けたようにまた座ってしまう。……心臓が締め付けられる様に痛み、目をぎゅっと瞑って、動悸を抑えると、流石の竜太も恵の様子がおかしいと気がついたのか、慌てて彼女に声を掛ける。


「ちょ、恵ちゃん! 大丈夫?」


 その声は思ったより大きかったのか、すぐに周りの人間にも聴こえ、近くに居た女子が恵を覗き込むと、すぐに何人かで保健室へと連れて行った。




◇  ◆  ◇




「……佐藤さんの家には連絡しておいたから、皆は安心して帰りなさい。……加藤くんは詳細を聞きたいので少し待ってて」


 保健室に運び、担任教師が保健室の先生と話をしたあとで、ベッドに寝かした恵を置いて部屋の外に居た、女子たちと竜太にそう言うと、「恵ちゃんの容態は?」「顔真っ青だったけど」など、口々に話す女子たちに「もう大丈夫、今は寝ているから静かにして、部活のない人は帰宅しなさい」と絡む女子たちをあしらう。女子たちは一通りゴネた後、彼女の親がちゃんと迎えに来るからと聞いて、保健室を離れていった。


「……それで、一体何があったの?」


 何があった……。そう聞かれて竜太は何を答えていいか分からない。彼自身分かっていないのだ。いや、話をした事は理解している。だがその話の内容で彼女の気分を害する様な言葉を使った覚えはない。であるにも関わらず、彼女は過呼吸を起こして机に昏倒してしまった。それをどう説明すれば良いのか返答に困っていると、担任が訝しそうな顔をしてこちらを見詰めてくる。


「どうしたの? 何か答えにくいことでもあるの?」

「い、いえ! 違って……。あの、話をしていたんです。そうしたら――」


 その咎めるような声に焦った竜太は、つい先程話した言葉をそのまま担任に伝えると、彼女はそこで黙考し始める。


「――。……」

「あ、あの」

「……君は、その先輩のこと、詳しく聞いているの?」

「え? い、いえ。聞いていなかったので聞こうと思って――」

「そう、分かりました。後は先生がご家族と話しますから、君はもう帰ってもらっても大丈夫です」


 竜太の言葉は途中で遮られ、先生は状況を把握した様子で、有無を言わせず帰宅を促してくる。彼は聞き返そうかと思ったが、その瞬間に恵の辛そうな顔を思い出し、頭を下げると、そのまま鞄を抱えて昇降口へと向っていった。


「フラッシュバック……か、辛いわね」


 トボトボと去っていく竜太の背中を見送った後、入り口からベッドの方を眺めると、担任である彼女はそう呟いて、小さく息を吐き出した。





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 ふと目を開けると保健室の天井が見えた。閉じられたカーテンの向こうで、誰かが小声で話している。よくよく聞けば、一方は母で、もう一方は担任の先生だ。その声をぼんやりとした頭で聞いていると、自分が何故こんなところで寝ていたのかを思い出す。



 ……あぁ、また思い出してしまったんだ。佐知姉ェの告白を。怖くて怖くて堪らなかった感覚を――。


 知れず涙が溢れるのを布団を被り、小さく嗚咽する。


 克服したと思っていた……。当人である佐知姉ェは、立ち直って次の道へと進んでいるのに。


 弱い……。私はなんて弱いんだろう……。悔しくて腹が立つ、こんな弱い自分自身に。


 なんで、なんで私は――。




 話し合いは終わったのか、思考の海に沈んでいた恵の耳に、母の優しい声と、背に触れる手が暖かかった。


「……恵、大丈夫?」


 その声に泣いて縋りつきたい衝動に駆られるが、ここが保健室だと思い出し、布団を被ったまま「うん」と、見えている頭頂部だけで答えた。そうして涙が止まるまで布団の中で過ごした後、母と二人で自宅へ戻る。校舎を出ると既に日は暮れていて、見上げた空には、遠く星が幾つか見え隠れしている。母が持ってきてくれたマフラーに首を竦めると、鼻から漏れた息が白く見え、寒さが一層増した気がした。


「……寒いね、お母さん」

「ホント、一気に冷え込むわね。今晩何か食べたい物はある?」

「……肉まん」

「今じゃなくて、晩御飯よ。……もう、あそこのコンビニでいい?」

「……うん」


 散々布団で泣き、本当に空腹でもあった。だがそれ以上に何故だか母に甘えたかった。……自分はまだまだ子供だと自覚すると、余計に恥ずかしさともどかしさのせいで、頬を赤く染めているのに気づく。誤魔化したかった。だけどそんな事、この母には全部筒抜けだろうとも理解した。だから今は、今だけは……。





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 恵の通う中学校から連絡が来たのは、丁度俺が帰宅した時だった。相変わらず母は家の電話を取らず、俺が帰宅したのを幸いに、リビングでなにやらパソコンを弄っていた。溜息と共に受話器を取ると、恵が教室で倒れたとの話。慌てて母にその事を伝えると、母は受話器を横から掠め、すぐに話をつけて受話器を置いた。


「康太、悪いけど留守番お願い。私は恵を迎えに行くから」

「え? あ、あぁ、それは良いけど、恵は怪我でもしたの?」

「そうじゃないらしいわ。……何か、話をしていて気分が悪くなったって。とにかく、向こうで話してくるから、家のことをお願いね!」


 早口でまくし立て、パソコンを閉じてさっさと出掛ける準備を済ませて母は玄関口へと向かう。恵のことは心配だが、怪我ではないということなので、一先ず黙って母の言う通りに自宅で待機することにした。



◇  ◆  ◇



『戻ってきた?』

        『まだ』

『おばさんから連絡は?』

        『ない』



 母が出掛けてから小1時間、未だ、連絡もないままヤキモキしていると、佐知から、「恵と連絡付かないんだけど」とラインが来た。学校で何かあったらしいのと、母が迎えに向ったことを教えると、数分起きに戻った? ラインがうざい。いい加減俺も不安になってきた頃、竜太から久しぶりにラインが来た。そこには恵が倒れた前後が説明されており、心配して確認のラインを送ったと書いてある。



 ……健二のことを聞いて倒れた――っ!


 その事を聞いた途端、脳裏には佐知の告白が鮮明に浮かぶ。あぁ、それで恵は……。


 ――フラッシュバックを起こしたのだろうとすぐに気づく。俺ですらその話を聞いて、情景がすぐに浮かぶ。ましてや彼女はその場で嘔吐し気絶してしまった。それほどショッキングな出来事だったのだ。恐らく、トラウマに親しいものになっているだろう。


 だが、その事を竜太は勿論、周りの人間も知らない。学校の担任には長期休暇を取る際に母たちが説明しているが、それだって詳しい内容までは言っていないはずだ。故に故意でない事は理解できる。出来るが、どうやって防げばと考えると……。答えは容易に出てこない。



『康太さん、俺何か悪いことしちゃったんでしょうか?』


                      『いや、竜太は悪くない』

                      『健二の事はまたちゃんと話すよ』


『わかりました』



 結局その場では誤魔化すように話し、早々に切り上げてしまった。


「……ちょっと相談しないとマズいかもな」



 そんな事を一人呟いて、リビングの壁にかかった時計を見ると、既に6時を廻っていた。







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