2-7
「……ん、もう朝か。……うぅ、起きて準備しねぇと、美咲おばさんにまた突撃される……」
有紀に向かって話しながら泣いてしまうという、超絶やらかしをした日から、既に十日が過ぎていた。健二には、佐知との事が伝えられると、やはり結構ヘコんでいたが、暫くすると何かを考え込むようになっていた。有紀の方は、俺の言葉に考えることが出来たようで、あれからは大人しくなり、佐知にちょくちょく会いに行っている様子だ。
――そして佐知は、堕胎手術を受けた。……現在経過入院中では有るが、母体は大丈夫そうらしい。らしいと言うのは、俺達男連中とはまだ、会えないと彼女が言うので、有紀からの報告でしか知らないから。まぁ、確かにすぐには色々メンタル的なことや、身体のことも有るのだろう。ただ無事で本当に良かった。
母からは毎日のラインがちょっとウザい。……どうやら、美咲おばさんが俺ん家の冷蔵庫を管理していたらしく、速攻で外食三昧がバレた。現在、食事は有紀ん家でお世話になっている。恵の方は大分落ち着いたらしい。母からのラインには「少しだけど、笑うようにもなった」と書いてあった。……当の本人からは梨の礫だが。
ベッドから起き出し、カーテンを引く。既に日は昇っており、少し冷えた部屋の中に、暖かいとまでは言えないが、真っ暗だった部屋を照らし出す光量が差し込んでくる。しょぼついた目を数瞬閉じ、ゆっくり開いて目を慣らすと、大きな欠伸が意図せず漏れた。ついでにそのまま大きく息を吸い込むと、「ふぅぅ~」と長い息を吐く。
……色々な事が起きたと思う。夏休み前にこんな事、一体誰が想像できたろう。
――ただ彼女が欲しいと願っていた、ごくごく一般的なモブ高校生だった。……なのにバイトでは耳が聞こえないと言う女性に出会い、心に幾分かのもやもやが生まれた。未だ初恋とも言えないような中途半端な状態のままだけど、それでも俺の世界は広がった。
佐知の事が有って……俺達家族や、皆の家族ごと一度に何かが動いたような気がする。佐知はまだ色々辛いし、これからもまた、しんどいだろう。その部分に関してはフォローしていくつもりだ。……犯人の事は絶対忘れないし、許さない。この事はもう皆の家族や両親にも伝えてある。
――どうやら、佐知のおじさんが登録している柔道の連盟に、警察関係の人が居るらしく、親たちはそこに内密に相談していると言う話も聞いた。……なら俺達は今、自分の出来ることをしないといけない。……これからの進路。そうだな、もうグダグダしてる場合じゃねぇし、残りの試験休みも、もう少ない。
――学校はきちんと卒業……しないとな。
そう頭の中で整理をして、腕を持ち上げ一気に伸びをする。脱力して、洗顔しに行こうと自室のドアを開けた時、俺の目の前には、美咲おばさんが居た。
――試験休みも今日で終わり、明日からはまた日常が戻ってくる……そう考えながら、ベッドの中で惰眠を貪ろうと寝返りを打った時、スマホにラインの通知が届いた。
「……は? それ、マジで言ってんの?」
「……うん。マジ」
いつものファミレスで、ホットコーヒーをマグ一杯に入れ、席に戻って話し始めると、俺はついそう言って頭を抱えた。……はぁ、何でコイツはこう、次から次へと。
「俺、自主退学するよ。そして就職する。……で、佐知にちゃんと告りなおすよ」
「なぁ、健二。百歩譲って告るのは良いよ。でもそれが何で、退学に繋がるんだよ」
「だって、佐知は休学するじゃん。そうしたらまた、その間会えない。それに……それにさ、休学なんてしたら、どんなに成績良くても出席日数とかで、ダブるかもじゃん。そんなの、俺我慢できないんだよ」
……コイツ、佐知の事を考えて言ってるのか。……でも、それを佐知が知ったら、どうなると思ってんだ? また後先考えてないな。
「その事、俺以外は?」
「まだ言ってない」
「そうか。……なぁ健二、お前の気持ちはわかるけどさ。それを佐知は喜ぶと思うか? 学歴だって中卒になっちゃうんだぜ」
「――でも! もうこれ以上は――」
正直、見切り発車の行き当たりばったりだと思っていた。だからその場で何度も注意し、一応は健二を納得させた。……が、その夜案の定、家の電話が鳴った。
健二はやはり、両親に退学宣言したそうだ。結果、浩二おじさんブチギレ二回目。……結局、次の休みに俺の親父はとんぼ返りして来た。
「健二君の言いたい事は分かった。……だが今時、高校中退となると正直、正社員の就職なんて、かなり難しいと思うぞ。」
「……でも、もう嫌なんです。サッちゃんを、佐知を独りにするの」
その切実な訴えに、思わず黙ってしまう。そんな事は皆も思っている。でも、それじゃ健二の人生の負担になってしまう。……たとえ本人がそう思わなくても、そうなってしまう。すると浩二おじさんが、健二を正視して口を開いた。
「健二、お前の気持ちは十分理解できる。だが、せめて高校は卒業して欲しいんだ。これは世間体とかの問題じゃない。……お前の、いや。お前やサッちゃん、皆の未来の為なんだ」
「……そんな事、解かってるよ。……でも二年だよ。二年も佐知を放っとけないよ。就職さえできれば、佐知を養うこと――」
「健二君。……その気持は有り難い。でも、だからこそキツイだろうけど、正直に言うよ。――高校中退の君が、すぐに働けると思っているのかい? もしかしてバイトや派遣社員なんかを考えているなら、世間をなめ過ぎだ。……君一人ならそれでも良い。違うよね。佐知と一緒になる為なんだよね。だとするなら、親としてこれだけは言っておくよ。正社員として、キチンとした会社に行けなければ、娘との交際は認められない」
「――っ! そんなっ」
それが現実だよ健二。……先を考えたら、娘の親なら当たり前の事だよ。生活があるんだから。……そしてそれはずっと続くんだから。そんな事、常識だろう。何故晩婚化が進み、結婚できない大人が増えているのか、ニュースでもしょっちゅう言ってることじゃんか。
良治の容赦ない物言いに、健二も言い返す言葉が見つからず、親達に向かっていた目はいつの間にか下を向き、遂にはその頭ごと俯いてしまう。
唯、好きな人を守りたいだけなのに……。大切な時間を作りたいだけなのに……。「好き」だけではどうにもならない現実に……。
――守るとあの時言ったのに! 傍に居ると言ったのに……。
「――クッソ……」
小さく呟き、俯いた健二の足元に一粒の水滴が落ちるのが見える……。
はぁ~。ここまでコイツが本気だったとはな。俯き、悔し涙を流れるままに、それでも何か無いかと懊悩する健二。見ているこっちが辛くなる。そして同時にこいつはそこまで出来るんだと感心していた。
――カッコいいじゃん。
「あのさ、親父」
「何だ?」
「……俺のコネコイツに使ってもらえないかな?」
意を決した俺の発言に、俺と親父以外の皆頭に「?」マークが出る。「何だ? 何の話だ」と周りが聞くが、親父は無視して俺を見つめる。
「おまえ……本気で言っているのか?」
「なんだ? 信介、何の事だ?」
――そう、俺のコネ。親父の会社に就職斡旋。これなら世間的にも、親的にもクリアのはずだ! 何しろ俺の父の直属になるのだから……。親父は真剣な表情で俺の目をじっと見詰めた後、獰猛な顔で俺に笑いかけてきた。
「お前……言うようになったな。……委細承知! 後は吉報を待て!」
ドヤ顔で言い放ち、皆を置き去りにして解散を告げると、その足で親父は会社へと戻って行く。当然俺以外は、ぽかんとしたまま。言うまでもなく、その後は二人の両親からこれでもかと言うくらい、詰め寄られて説明するのに終始した。……最後まで健二はぽかんとしたままだったけれど。
**+**+**+**+**+**+**
駅の改札口で、母達が入場券を購入するのを待ちながら、ふと遠い目をして見上げる。進み始めた季節の移ろいはとても早く、
――すぐ目の前に冬が来ていた。
――次の快速か……。正直まだ、実感が薄いんだが。
……正にこの何週間かは、怒涛の如き日々だった。健二の件で親父は会社を三日で往復。戻ってくるなり、全家族に集合を掛け、集めた全員の前で開口一番「俺、すげぇ~!」と叫んだ。
……当然、全員の目が点になる、俺以外。が、直後に俺も驚天動地する羽目になった。
「ふふふ! 康太、俺の勝ちだ!」
そう言いがら、俺に分厚い封筒を寄越すと、すぐに開けろと言う。
「――っ! これって!」
「ふははははは! そうだ! 健二くんとお前の採用決定書類! ……あ、お前は卒業してからな」
「……は?」
「ん? お前は俺にこう言ったよな「俺のコネ、使えないか?」と」
「いやいやいや! 違うでしょ! 足りてないよ言葉! 俺、言ったよね。俺のコネ、「コイツ」に使えない? って」
健二を指差しながら俺は叫ぶ! が「……んなこまけぇ事ぁ良いんだよ!」と言って、ガハハと笑って誤魔化してくる。……知っててやりやがったなコイツ! マジか!? ありえねぇだろ!
「おい! まだ俺は進学す――」
「すまん! こうでもしないと、説得できなかったんだ」
くそ! 先に謝りやがった。これが大人のやり方か! ちくしょう! ……そんな事を思いながら、ふと周りが静かになっている事に気がついた。……健二が。有紀や佐知が、……皆の顔が辛そうな、申し訳無さそうな顔になっていく。……気勢がどんどん萎えていく。違う、そうじゃない。皆の事は良いんだよ……。言葉に出来ず、つい俯きそうになった時、母が横からあっけらかんと話し始める。
「……気にしないでいいのよ。康太も全然勉強してなかったし、就職することになってたから。ただお父さんに先に決められたのが、ムカついただけだから」
――母よ、まぁ確かにあの場はそれで事なきを得ましたが……。貴方の息子のライフはもうゼロでしたよ。あの後、有紀や美咲おばさんには優しくされるし、妹はワザワザ横に来て小声で「ドンマイ」って……。まぁ、健二や親父さん連中には感謝されたけど、もう少しで枕を濡らしそうだったよ――。
「健二、頑張れよ。今回はバックレる事、出来ないからな」
「――グッ。分かってるよ、こんな時までイジメないでよ。……それに」
「……なによ?」
「い、いや俺、頑張るからさ」
健二は俺の言葉に、精一杯虚勢を張りながら応え、佐知の方を見て話すが、当の佐知は何故かぶっきら棒に返事をする。……と、佐知の横に立った有紀がその様子を見ながらニヤニヤし、佐知の肩にぶつかるようにしてヤジを入れる。
「佐知ぃ、照れてるの?」
「……なっ! ちっがうわよ! なんで照れるのよ私が!」
「佐知ネェ。顔真っ赤だし」
言われて、否定する佐知を、恵も一緒にニヤニヤしながらイジっている。……俺も何か――!
「はいはい、お熱い所ゴメンナサイね。……ねぇ健二。康太君の言う通り、絶対よ。信介さんの言う事ちゃんと聞いて、必死に頑張るのよ。もう、子供としては扱わない。お父さんとも約束したから。立派に働いて、サッちゃんを迎えに帰ってきてね」
……タイミングぅ。
「優子さん、大丈夫だよ。……な、健二くん。次戻ってくる時は、ムッキムキになってるよ」
健二のお母さんが真面目な顔で健二に話していると、満面の笑みで我が父はそんな事をのたまう。……健二がムッキムキ? 一瞬親父の身体が浮かび、嫌だなぁと考える。
「「それはチョット、嫌かも」」
綺麗にハモった女性陣の心の声が聴こえた。
――車両の発着メロディと供に、アナウンスが始まる。電車が線路の向こうから見え、俺達のいるホームへと滑るように入って来た。二人はリュックを背負うと、そのまま列に並び、空いたドアの降車客を待ち、順に乗り込み始める。
「健二! ライン、ちょうだいね」
「……っ! うん! 毎日するよ!」
その声が合図のように、開いたドアが、「プシュ」と音を立てながら閉じる。笑顔でこちらに手を振る二人、初めはゆっくりと。そしてすぐに速度を上げ始め、そのドアを見つけることは出来なくなり、走り去っていく電車の音は、いつもより少し大きく聴こえていた。
――この日、一人の親友は、俺より先に自立していった。
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