2-6



 ふと寒さを感じて目が醒める。そう言えば戻った後、ベッドに飛び込んでそのままだった事を思い出す。部屋の電気を点け、スマホを充電ケーブルに挿すと、点灯した画面には午前零時を過ぎた時間が映し出された。……なんだか、顔が濡れている気がして、顔を拭うと涙を流していたのか、頬には一筋の痕が残っていた。


 ――何で今、あんな夢を?


 空腹感を感じ、部屋を出ると階下に人の気配を感じる。


「なんだ、寝てたんじゃないのか? 着替えもしないで」

「……恵は?」

「もう部屋で寝てるわ」


 キッチンには両親が居て、父が俺の様子に寝ていたと思っていたらしい。いや、寝ていたんだが着替えるのをしていなかっただけだ。妹のことが気になり、その事を聞くと短く母が答えてくれた。そうか、恵はもう寝たのか。それを聞いてなぜかホッとしてしまう。……まだ、どんな顔で合えばいいか解らなかったから。


「康太、飯は?」

「……それで起きた。なにかある?」

 父の問いにそう答えると、母が弁当のようなものを持ってきた。

「お昼の残りだけど、温めるから一緒に食べなさい」

「はい」



 三人で食卓を囲む。温めた弁当を分けながら、黙々と食べる。何故だかここに来てやっと味覚が戻ったのか、せっかくのメンチがやけに油っぽく感じてしまう。……加藤さん家のメンチカツはやっぱり揚げたてが一番美味しいな――。


「康太、決まった話をしておこう。先ずは黙って聞いてくれ」


 先に弁当を食べ終わり、お茶を一口啜った父がそう言いながら、俺を見る。口に物が入ったままだったので、目で返事をしてから咀嚼し、お茶と一緒にそれを嚥下してから箸を置いた。



「まず、お腹の子の事について。これはお前達が居る時にも話したが、堕ろす事になる。産婦人科の先生とも話してみたが、どうやらもう、三ヶ月目に入る寸前だそうだ。なので、サッちゃんの身体の事もあるから急ぐ」


 ――ドクンと鼓動が激しくなる。その件についてはさっきも聞いた事だ、それでもやはり気持ちがざわつく。佐知のお腹の子供……命の選別。


「それから学校についてなんだが、休学を考えている。ただ、これには学校への理由説明が必要なんだ。病気なら勿論、診断書が要る。だけど、妊娠は一般的には病気ではない。それにそんな事を、学校に話せば最悪……退学処分になる。だから今、その件については方法を考えている」


「そんな!」


 思わず叫んでしまった。佐知は……佐知が悪い事をしたみたいになるなんて――。


「落ち着け。……悪くはならないように考えているから。いいか、続けるぞ」

「……はい」

「健二君の事については、今は現段階で、保留にした」

 ……保留? アイツは何も悪くないじゃん。なんで? 俺の疑問に気がついたのか、親父はちゃんと補足してくれる。

「ん? あぁ。彼は悪さをしてとかじゃない。サッちゃんとの事だ。交際とかのな……良治さんが「結婚」どうこう話していただろう。あの件は一旦今の状況が落ち着くまで。それにお前達はまだ学生だからな」


 ……あぁ。そう言うことか。……ヘコむだろうなぁ、健二。親公認だからとか言ってたから、どうやって慰めれば良いんだ……。



「そして、ここからが問題なんだが……。有紀ちゃん、彼女が激昂してしまってな。犯人を見つけ出すって言い始めて聴かないんだ。川田さん家でも暴れてしまって、手が付けられない。最終的にはサッちゃんが宥めて止めてくれたけど、ありゃ「理解はするけど納得はしない」って顔だった」



 ――あぁ。それで。……それで、あんな夢を見たのか。有紀の慟哭を聞いて、彼女の気丈さを無意識に思い出してしまって……。


「……さっき、ウトウトしている時にさ、思い出したんだよ。……初めて。初めて有紀と出逢った時の、有紀のお父さんのお葬式での出来事」


 その言葉に二人も思い出したのか、ふと遠い目をして父は「あぁ……覚えている」と零す。


「あいつ、ずっと我慢してて……。涙なんかボロボロ流れてるのに、ぎゅっと手握りしめてさ。顔真っ赤になるくらい擦りながら……。それでも声だけは押し殺して……。親父が有紀を抱きしめるまでずっと我慢して座ってたんだよ」

「……そうだったな。まだ幼稚園児だったのに。健気で……。なのに凄く頑張ってた。頑張る事なんてなかったのに」

「そうね。有紀ちゃんは「ここぞ」って時には絶対折れない、……芯のある子よね」

「俺、初めて見たんだよ。あの時に……親父の悔し泣きと、女の人の嗚咽ってのを。凄く不安になって、その後俺も、泣き出したんだけど」



 ――そう、あの時は、釣られてとかじゃなく、不安になったんだ。二人が本気で泣く所を見て……。


「明日……有紀と話してみるよ」

 気付くと、そう呟いていた。


「そう……じゃあ、そこはお願いするわね。もう一つ、恵の事なんだけど、かなりショックだったみたいでね。私と一緒にお父さんのところに行って来る事にしたわ。長くても二週間くらいだと――」


 母は、そう言って恵と一緒に父の単身赴任先へと行くことが決まった。相当ショックだったらしく、気分を変えるために環境を変えて少し落ち着かせるという事だった。


 ――佐知……有紀、健二……恵、確かにこれはしんどいよな。俺だって未だに心の整理は追いついていない……。あまりにも急すぎて、頭が追いついていないよ――。




 翌朝両親と恵は、朝飯の後、早々に家を出て行く準備を済ませた。恵は部屋から出る時、かなり愚図ったが、母が抱きかかえてなんとか落ち着かせた。


「康太、家の事は頼んだぞ。お前には負担掛けるが、俺は信じてるからな。有紀ちゃんの事もだ、サッちゃんには、今家族がついてるから大丈夫だ。健二くんは……お前と同じ、男の子だからな」

「家に誰も居ないからって、夜更しとか、し過ぎないようにね。あと、なるべく自炊しなさい。美咲さんにもその辺の事は頼んでいるから、何かあったらちゃんと報告する事」


 母よ、なんでこんな時でも、小言が出るんだよ。



「――お兄ぃ。有紀ネェの事、お願いだよ。……佐知ねぇも……今は。いま……は」

「わかってる。今はお前も。だからな」

「ぅぐ……」

「向こうでゆっくりしてこい。……あと、オミヤ宜しくな」


 辛いだろうに、頑張って話をしてくる。……頑張れ、お兄ちゃんはちゃんと待っているからな。


「……ん、分かった。オミヤはわかんないケド」


 ……コイツ、ホントは大丈夫なんじゃね?



 慌ただしく三人が出ていった我が家……。静まり返ったリビングで一人ぼんやりしていると、洗濯が終わったぞと軽快な音を鳴らして、教えてくれる。さて、アレを干せば今日の家事は終了だ――。



 家での雑用を済ませ、時計の針を見ると午前9時を廻った所。母はきちんと話を通していたらしく、美咲おばさんはいつでも来ていいと、連絡が来たとラインが入った。服も着替え、玄関の鍵を掛けていざ出発! して、二歩で現地に到着する。まぁ、実際、隣だしな。玄関に有る「今村」の表札を今更マジマジと見詰めながら、その門柱に備え付けられた押し釦を押して、返事が来るのを暫し待つ。ここで逃げ出せば所謂ピンポンダッシュになるのだが、誰が悲しくてそんな事をするものかと、ムズムズした尻のあたりを掻いていると、すぐに受話器の外れる音がした。



『ハァイ……あ、康太君。玄関は開いてるからそのまま入ってきていいわよ』

「……はぁい」


 昨日の事は夢だったのかと勘違いしてしまそうな程に、なんだか気の抜けた美咲おばさんの声で、玄関に有る門扉を開けてドアに向かう。勿論鍵は掛かっておらず、そのまま玄関先で「おはようございます! お邪魔しまぁす」と声を掛け、靴を脱いだところでダイニングから、美咲おばさんの声が聞こえた。


「うちに来るのは久しぶりよねぇ。お父さん達は? もう出たの」

「はい。朝食の後そのまま」

「そう、じゃあご飯はもう食べてきたのね。……恵ちゃんとは話せた?」

「一応、見送りの時に少しだけですけど」

「良かった。あ、先にリビングで待ってて。有紀……もう降りてくると思うから」

「はい」


 リビングのソファに座り、美咲おばさんがコーヒーを持ってきた時、不機嫌そうな足音を立てながら有紀が降りてきた。彼女は俺の顔を見もせずに、そのまま一人掛けソファに座ると、テーブルに置かれたテレビのリモコンに手を伸ばす。


「よ、

「……」


 ……ぅをいっ! そこで無視かよ!


「流石にスルーは、ハズいんだが」

「……なに?」


 ……それでなくとも昨日の事があったから、こちらとしてはツッコミの一つも、欲しかったのだが。敢えて明るく接した結果がこれかよ。


「ちょっと有紀、なにその態度は。康太君が可哀想じゃない」

 ……アハ! おばさん、それは追い打ちですよ~。

「……お母さんは黙っててよ! 皆して、佐知にあんな言い方して……。私はまだ納得してないんだよ! 出来るわけ無いじゃん! あんなの! あんな事って――」

「……あのさ有紀」

「康太は?! 康太はどうなのよ! 佐知があんな目に遭って、それで酷いことになったのに! それでも我慢しろって? それで納得できるの?!」

「有紀! お母さん達は、何もずっと我慢しろなんて言ってないわ。今は急いで答えを――」

「同じじゃん! 何よ方法を考えるって! 答えを急ぐなって? 何で、被害にあった佐知がそんな事考えなきゃいけないの?! おかしいじゃん! 悪いのは佐知を襲った方じゃん! それに、ずっと黙って我慢してたのも、全部全部、佐知の方じゃん!」


 ――ふぅ、取り付くしまも無いってのは、この事だな。……気持ちは分かるよ、分かるんだけどさ有紀……それだけじゃ駄目なんだよ今は。


「なぁ有紀、頼むから少し落ち着いてくれ。一旦落ち着いてゆっくり考えてくれ」

「なんでよ! どうして落ち着けるのよ! 佐知があんな酷い目にあって――」

「俺さ……昨日、有紀と初めて出逢った時の事、思い出してたんだよ」

 唐突に切り出した俺の言葉に意味がわからず、有紀は勿論、美咲おばさんまでもが「は?」という顔を見せて一瞬の間ができる。

「……それがなんだって、いう――!」

「おじさんの眠った横でさ、涙ボロボロ流して。……それでも声を出さずに、一生懸命おじさんを見てたお前を見てて思ったんだ。この子はスゲェって」


 ――そう、あの時不安にもなったが、同時にコイツすげぇとも思った。スゲェカッコ良いと……。そうしたら思わず涙が溢れたんだ……。


「昔も今も、有紀は変わってないな」

「……それが、今とどう関係が有るっていうのよ」

「有るじゃん。あの時はおじさんに、そして今回は佐知を襲った。……何も悪いことなんかしていない、普通に生きていた二人に起こった「理不尽」だよ。有紀はその理不尽に抗うために、看護師になるって決めたんだろ?」


「――っ!」

 俺の言った言葉に、彼女は息を呑んでハッとする。彼女にとって、父親の死はそれほどまでに強烈な出来事だったのだ、自分の人生を決めてしまえる程に。そして今回の件も、彼女にとっては、かけがえの無い大切な人を襲った理不尽な出来事。到底おいそれと引くことなんて出来ないだろう……だから。


「今回は佐知を暴行した奴らと、今の佐知に対する世間の状況に対して怒ってんだろ? ……でもさ有紀。今回はお前の気持ちだけじゃ、駄目なんだよ」

「どうしてよ! 何で駄目――」

「佐知は堕ろすこと、受け入れたじゃん」

「――!!」

「あの話をしている時も言ってたじゃん。……忘れて皆と楽しくしたいって。……なぁ有紀、俺も同じなんだよ。襲った奴らはぜってぇ許せない。でも俺達はまだ未成年でまだ学生だ……どうしたって自分で責任が取れない。悔しいけど、現実なんだ。……だから忘れない、絶対に。……今すぐじゃなくていい。だけどいつか必ず、報いを受けさせる。……有紀、これじゃダメか? おばさんたちも忘れろなんて一言も言ってない、「今は我慢しろ」って言ってるだけだ」



 ――知らないうちに俺の頬には、涙が流れていた。それを見た彼女はそのまま俯き、暫くしてグスグスと鼻を鳴らしながらも、小さく「わかった」と応えてくれた。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る