2-4



「佐知ぃ!」

 

 ダイニングに居た、彼女の母である佳子が思わず駆け寄ってきて佐知を抱きしめる。男連中はそのあまりに残酷な現実を未だ飲み込みきれていないのか、良治以外は皆呆然としてしまい、ソファにもたれ掛かるように座っていた。良治は彼女の告白を聞いて涙が止まらなくなってしまい、その場で蹲るようにして号泣し、顔を両手で覆っている。健二は傍にいるにも関わらず、下を向いて震えているが、絨毯の上には雫が幾つも落ちていた。



 ――そんな……。佐知が、襲われていた? 俺が夜一人で公園に居た時って……! まだ夏休み入ってすぐの頃じゃんか! あれって確か、バイトの後に……。それじゃ、プールにも行ってない頃……って事か?!


 その告白に気が動転してしまい、ただ事実確認のように日にちの事を考えていると、奥で座っていた有紀が大きな声を出して立ち上がる。


「そんな!! なんで! 佐知が何でそんな目に!!」

「――っ! しまった。すまん母さん達、悪いが二人を頼む」


 余りにも衝撃的すぎる話の内容に、親達はこの場所に、女子のそれも1番多感な娘がいるのを忘れてしまっていた。親父の言葉に我に返った母達は、慌てて有紀や恵達を抱きかかえるようにして、宥めるが、有紀は声を荒らげて泣き喚く。


「落ち着いて! ね。有紀、ゴメンね。お母さんと向こうに行こう」

「いや! こんなの、こんなのって! ねぇ! なんで! なんで佐知なのぉ! 嫌ぁ! 康太ぁ! どうしてよぅ……うぅぅわあぁぁぁ!」


 手が付けられないほどに喚き、暴れる有紀を、彼女の母美咲は羽交い締めるように抱きかかえ、半ば引き摺るようにして部屋を出ていく。恵はただ黙って俯いてはいるが、顔色は青をこえて真っ白になり、涙をぼろぼろ流しながら見てわかるほどに震えていた。母さんが「……ごめんね。恵も向こうへお母さんと行こう」と促され、言葉もなく幽鬼のように立ち上がると、我慢できなかったのか、その場で嘔吐し、気絶した。




 二階からは未だに有紀の慟哭が聞こえる。周りがなんとか落ち着けようと、なにか話しかけているようだが、その言葉は小さく、聴こえない。恵は母達がそのまま抱えて連れて行ってしまった。おそらくは別室で寝かされているのだろう。リビングには父親三人と、俺、健二と佐知の母、佳子に抱かれ、泣きはらして眠る佐知が、ソファに座っていた。



「――まさかこんな事だったなんて……」


 親父が俯きながら、絞り出す様に低い声を出す。その言葉に誰も返答を返すことはなかったが、思いは一致していただろう。リビングには明かりが点いているはずなのに、部屋は暗く、重い雰囲気が皆の首を押さえつけるように、誰も頭をあげなかった。



「……サッちゃん、何で……「もう良い」んだよ……」


 皆が黙った部屋の中、急に健二が独り言を呟き出す。


「――俺って……そんなに頼りにならないのかよ……。俺は……俺だって、男なんだよ。好きな人を守りたいって思ってるんだよ! なのに何だよ! もう良いって!? やだよ! ぜってぇ嫌だからな! こんな話聞いて、誰が諦めるかよ! 俺は! 俺がサッちゃんを守るからなぁ!」


 その声は次第に大きくなり、最後は宣言するように大きな声で言い放つ。急に立ち上がった健二を見ていた親達は、その宣言で我に返ったのか、ハッとした表情で皆で目線を交わして頷きあう。


「健二くん……。ありがとう、佐知の力になってくれて。……そうだな、このまま黙っている訳にはいかないな」


 佐知の父、良治がそう言って健二に告げる。


「――バカが。格好良いじゃねぇか……殴って悪かったな」

「浩二、ちゃんと謝ってやれよ。健二くん「男」してるじゃないか」


 言い切った健二の頭を小突きながら、彼の父である浩二が話しかけていると、良治がそう言って嗜める。当の彼女はその健二の声に起こされたのが不服なのか、一瞬むくれた顔で彼の顔を睨みつけるが、内容はきちんと聴こえていたのだろう、その耳は真っ赤に染まっていた。


「……サッちゃん、辛いことを言わせてしまったな。まさかそんな事になっていたとは思っても見なかった……。よく一人で耐えてきたな……だけど出来ることなら君のお母さんには話してほしかった。……これは立派な犯罪行為だ。今からでも警察に行くことは出来る――」


「信介! ……すまんがそれはちょっと待ってくれ。その事に関しては、まず三人で話す。……佐知、部屋へ行こう」


 信介の言葉を止めた佐知の父、良治はそう言うと、彼らの家族三人で佐知の部屋へと上がって行く。部屋から出る時に信介と良治が二、三言葉を小声で交わした後、ソファへ戻った信介は大きな溜息を一つ零して頭を振った。


「……良さん、なにか言ってたのか?」

「……あぁ。だがまずは家族で決めたいと」

「そうか……」


 信介の態度が少し気になったのか、健二の父、浩二が信介に聞くとそんな返事が返り、浩二もそれ以上は聞かずに黙ってソファにもたれ掛かる。



 ――俺は一体何を見ていたんだろう……。


 今までずっと一緒だったのに。小さい時から何をするにも。――初めて喧嘩をしたのは幼稚園の時、砂場で作った山を佐知が踏んづけた。健二が泣いて俺が佐知を突き飛ばしたのが初めてだ。彼女はずっと男勝りで何をするにも一番最初じゃなきゃ駄目だった。「お姫様」じゃなく「お山の大将」……まんまガキ大将みたいなお転婆だった。小学校に上がってもその立場は変わらず……有紀が来て初めて順番が少し変わったような気がする。女子と男子。はっきりと区別して行動自体も変わっていった。それでも元気でイケイケだったのは変わらなかったけれど……。中学の時に健二が初めて佐知に告白した翌日、速攻で俺達に報告して健二を半泣きにさせてたっけ。



 ぼんやりとそんな事を考えていると、いつの間にか俺の側に来た健二が、泣き笑いの表情を見せながら話しかけてきた。


「……色々黙っててゴメンね、康太。でも今回だけは言えなくてさ」

「――あぁ、もういいよ。お前はなんにも変わってないって事も分かったしな」

「……? あぁ、へへ。ちゃんとサッちゃんに告ったよ」


 ……そうだな。確かにアレは告白だ。コイツ、抜け駆けしやがって。――格好いいじゃんか、健二のくせに。


 俺と健二が二人で話をしている時、父親たちも小さな声で話し合っていた。


「……やはり、良さん連盟に持っていくのか」

「あぁ。あそこは元々警察官OBが作った支部だからな。そっちのツテを使うんだろう」

「……となると、阿波あわさんか」

「多分な。……この件は表沙汰にはしたくないだろうしな、かと言ってような良さんじゃねぇ」

「確かに」


 そうして夜も更けてきた頃、リビングドアの向こうから良治が一人、戻ってきた。


「……すまんな、待ってもらって」

「……構わない。それで、決まったのか」

「……あぁ、一通り話は済ませてきた。健二君、いいかな――」


 部屋に入ってきた良治さんに俺の父が話しかけると、おじさんはそう返してから健二に話をし始める。まるで覚悟と確認を聞くように……。



「――そうか、そこまで佐知の事を想ってくれているんだね。……ありがとう。佐知は気が強いし、意地っ張りなところもあるから、頑張ってな」

「――っ! はい! ……じゃ、じゃあ俺、あ、僕、サッちゃんと――」

「まぁ、待ちなさい。まだ話は終わっていない、いや、むしろここからがいちばん大事なことなんだよ」



 ――今しがた話を決めてきた。今回の佐知のお腹の子は堕ろすことに決めた。


「――ッ! 何で?! それじゃ、サッちゃんが――」


 佐知の父である良治の言葉に、健二は思わず言い返すが、良治はその言葉に耳を貸さず、黙って首を横に振る。


「……健二君、まずはきちんと話をしよう。ここからは君を子供ではなく「坂田健二。佐知の」として話をする」


 良治はそう言うと、まっすぐに健二の目を見据え、子供に対する態度とは違うと態度で示して見せる。その真摯な態度に健二も気圧されたのか、それとも先程の「佐知の結婚相手」の言葉に思うところがあったのか、とにかく黙ってソファに座った。 


「……さっき佐知も言っていたよね、堕胎の事。その件や諸々について話は聞いてきた」

「……なら、もう時間が不味いって事も」」

「あぁ、それも知っている。『佐倉産婦人科』だよね、電話話させて貰ったよ。……先生が言うには、早いほうが勿論、母体の負担が少ないから良いってこともね」


 あぁ、もうそこまで知っているのか。佐知は両親にちゃんと全部を話せたんだと。今までは自分と佐知だけの秘密だった事が、そうではなくなった。その上、二人で決めた事柄も変更せざるをえない状況。一抹の不安と知られたことへの安堵が重なって、それは寂寥感となって健二の心に押し寄せる。だが子供の命を奪うと考えると、健二は何とも言えない怖さを感じてしまう。


「……勿論、出来た生命には何の罪もない。――でもね。考えてほしいんだ、その子を見る度、佐知は否が応でも思い出すんだよ。その子がどうやって生まれてきたのかを。……今しがた、苦しみながら話した出来事を……そんな姿を君はずっと見ていられるかい? 俺は……俺やお母さんは無理だ……そんな辛い姿、佐知にはして欲しくない……」


 良治の涙を堪えた苦しそうな声に、健二は蒼白になり俯いた。……そこまで深くは彼も考えていなかったのだろう。良治に返す言葉は見つからなかった。


「健二君。子供ってのはさ、望まれ祝福されて、生まれて来て欲しいと思うんだ。……だから、どんなに君達が愛しても、いつか何処かで綻びが生じないとも限らない。今は辛いだろうけど。今は頑張って耐えてくれないか? 頼む」


 良治はそう言って、健二に頭を下げた。


 唐突に頭を下げた良治に、健二は慌てて頭を振りながら顔を上げてくれと言うが、そんな健二に彼の父、浩二が肩を掴んで話しかける。


「健二。コレばっかりは俺も良さんに同意する。……さっちゃんや、佳子さんをこれ以上哀しませたくない。良さんを助けてやれるのはお前しか居ない」

「健二くん……君はすごいと思う。其処まで大切なものを護ろうとする気持ちは。尊敬に値するよ。でも今は、もっと広い目で見て、将来の事を考えて欲しいんだ。君達はこれから新しい『家族』を作っていくんだから」


 親父が最後にそう健二に告げると、健二はまた俯いて、暫く考えた後、溢れる涙を拭いながら顔を上げる。


「そうですよね、家族を作るって事ですもんね。……理解りました。まだ、ちょっと辛いし、苦しいけど。後は、皆さんとサッちゃんに任せます。でも、必ずお付き合いはします! おじさんが『結婚相手』として見てくれるから! 頑張ります!」


 最後に、なんだか締まったのか締まらなかったのか、あやふやな健二らしい言葉で交際宣言をし、全員の苦笑でその場を和ませると、健二はニンマリとした顔で俺の方を向き、超絶嬉しそうな小声で、「頑張るよ!」と言ってくる。ったくコイツは……カッケェじゃんか。後は――。



「――た。こ……。おい! 康太!」

「ふぁ!」

「ぽけぇとしない! ほら健二くん、家に送ってくれ」


 健二と無言でやり取りをしていると、親父がそう言って帰宅をしろと言ってきた。他の皆や、残りの件はどうするんだと聞き返すと、後はこちらで話をすると教えてくれる。


「それは良い。こっちで話す。……それにお前たちが居たら、彼女達も言いづらいだろうが」

「って、それは親父たちだって」

「バカ! 俺達は親だろうが」


 ――そうでした。





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