2-2
「――ふぅ。なぁ健二君、俺が聞きたいことまだ解らんかなぁ……」
あれから暫く。堂々巡りのような返答と、怒鳴る浩二の声が何度か聴こえた後、親父が一息吐いて小さく呟いた。瞬間両隣に居た二人は何かを察したのか、ぎょっとした表情を見せて親父を見た。
「……なぁ、そしたら紙にでも書いてくれへんかな? ゴチャゴチャ細かいこと言うてても分からへんねやん」
――っ! やばい、かなり焦れてる! 口調が完全に関西弁になってきてる! 既に俺以外の親たちも気づいていたのだろう、皆目の色を変えて親父の一挙手を見守っていた。……そう、親父はキレると地元の関西弁が出てしまう。今はまだ自制が効いているのか、そこまで酷い関西弁にはなっていない。俺は未だに本気で切れた親父を見たことはないが、切れた親父の口調は、ヤクザでも引く様なレベルで凄みが有ると聞いている。それを知っている親たちはまだ大丈夫と思っているのか、親父を制止しようとはしていない。
だが、健二は違う。彼は俺から聞いているのだ、親父はキレると関西弁になるという事を。だから、聞き慣れない口調に変わった瞬間、顔は真っ青になり、ココからでも見て取れるほどに震えているのが分かってしまった。
……それでも健二は、先ほどと同じ様な返答を繰り返す。一体何がアイツをそこまで……。
「――なぁ! おい! ここに紙もってこい! んで一からきっちり説明してくれや! おぉ?!」
とうとう、頭に血が上ったのか、親父は怒鳴り散らすような口調で言い放ち、ローテーブルを叩き割る勢いで握り込んだ拳を叩きつけた。流石にこれ以上はまずいと思ったのか、両隣に居た男たちが親父を制止しようと立ち上がった時、リビング側の扉が開き、見当たらなかった佐知が飛び込んできた。
「健二! もう良い! 話すから! 全部言うから! おじさん達もこれ以上、健二を責めないで! お願いします! 悪いのは健二じゃないから! 私が! 私が……」
彼女はヒステリックにそう叫ぶと、その場に蹲り、小さく嗚咽を漏らす。今にも掴みかからんと立ち上がっていた親父は、彼女の声を聞いた途端、ピタリとその動きを止めると、目線を彼女に向けて呟くように聞いた。
「……それは一体どういう意味だ?」
「サッちゃん! どうして?! これは俺が始めた――」
「もう良いの! 良いんだよ、いつかはちゃんと話さなきゃいけない事だもん。……それに健二は全く悪くないんだから、これ以上は見てられない」
健二が佐知に言い募ると、涙を流しながらも必死に健二に話をする佐知。親父連中はそこには入らず、黙って話を聞いている。どうやら親たちは彼らが何かを黙っていることに気づいていたのだろう。ただ無理に聞こうとはせず、ちゃんと二人から聞きたかったのだ。それ故の一芝居だったということだ。
親たちは佐知の妊娠が、健二ではなく、誰か別の者だとは感づいた。……佐知は気が強く、お転婆でイケイケな性格をしている。だから、別の彼がいるのだろうと考えていた。そうして、望まない妊娠をしてしまった末、その彼とうまくいかなかった為に健二を頼り、こうなったんだろうと思っていた。故にこんな回りくどい方法を取って、彼女たちから真相を聞き、然る後にこれからの事を決めていこうと考えていたようだった。何よりも二人のこれからを案じ、相手の男を見つけ出す最善と思って考えた親達の策だったのだ。
――だが、話は思いもしない方へとずれていく。それは親達の想像すら、遥かに凌駕するものだった。
彼女は落ち着きを取り戻した後、俺たち全員の前で自身に起きた、全てを告白していった。
――私には行きたい大学があった。
元々勝ち気で、誰にでもオープンな性格。何よりも人が好きと云うことも有って色んな人との触れ合いがしたかった。その為には、色んな国の言葉を覚えたい。だから外国語大学、もしくは外国語学科の有る大学への進学希望だった。志望校もそれなりに絞れてきた頃、その中の1校がオープンキャンパスを行っていることを知った私は、何も考えずにすぐ申し込んだ。
予約もした、後は行くだけ。でも、まだ自分は高校2年生。如何に世間に慣れているとは言っても、精々がこの政令都市の中心部で遊んでいた程度。行きたいその大学は都心の中心部にあり、自分もまだ親か、何人もの友達としか行ったことのない場所。だから少し……。ほんの少しだけ、心細かった。初めに浮かんだのは有紀。彼女に付いてきてもらえればと、声を掛けてみたが、運悪くその日は、彼女のバイトの日だった。……彼女の夢を知っている私は、バイトを休ませてまで、自分の事に付き合わせるなんて出来なかった。
――だから。結局そこへは一人で行った。
行きの電車の車内では、ずっとスマホで情報収集。駅舎を出て歩くこと数分、只々大きな門が目の前にあった。ひっきりなしに出入りしている人を見ると、皆が急に別世界の人に見える。自分はここに居て良いのか、周りが見えずオロオロしていると、不意にガードマンの格好をしたオジサンが私を見て声を掛けてきた。
「――どうかしましたか?」
吃驚して一瞬声を上げそうになったが、慌ててはいけないと思い直し、バッグに詰め込んできた資料やオープンキャンパスの説明をすると、その人はすぐに笑顔で応えてくれた。
「あぁ、見学の方ですね。ではあの受付でその旨と予約したお名前を。そうすれば案内されますので」
そこからはなんとも気が抜けるほどにスムーズだった。緊張していたのが馬鹿らしく思えるほどに。案内係は必要ないと伝え、ビジターカードを貰うと、学内案内のパンフレットを受け取り、立入禁止場所などの諸注意を受けて、大体の退出時間を告げると自由になった。結局、緊張したのは最初の方だけ、直ぐに慣れた。……慣れてしまった。
一人で学内をパンフとメモを片手に、ウロウロ歩く。周りも別に気にしない。……大学ってこんなに自由なんだと感心した。学科やその他色々な目的別に建物が散在し、校舎内には自由に人が行き来している。授業時間も科によって違うのか、場所によって静かだったり騒がしかったり……。此処に入れたら、あんな事やこんな事してみたいなぁと夢想しながら歩く。そうして好きにあちこち巡って小腹が空いた頃、オープンカフェのような場所を見つけた。学生だけが入れるのかと聞けば、私も問題ないと言われ、テラス席で早速注文して一息つく。
(やっば! 何ここ、超お洒落じゃん! こんなとこも大学には有るんだ。絶対ここに入りたいぃ!)
決意も新たに、色々気づいたメモを取り出し眺めていると、不意に声を掛けられた。
「あのぉ、もしかして、オープンキャンパスの見学の人ぉ?」
その声に振り返ると男3人、女2人のグループが立っていた。男性達は少しヤンチャそうな見た目だが、そこまで悪そうには見えない。金髪の派手な男がひとり混ざってはいるが、彼はあまりこちらに興味が無いのか、こちらを見ようともしていなかった。女性の方はケバくはないが地味でもない。奇麗に化粧もしているし、何より持っている小物がどう見てもブランド物のそれだった。一瞬警戒して身を竦めたのがわかったのか、一人の女性が優しく笑って近づいてきた。
「あぁ、怖かったならごめんね。ただ、一人っぽかったから大丈夫かなぁって思って」
「そうですか……。まだ高2なんですけど、語学学科に興味があって。見学だけでもって思って」
「へぇ、そうなんだぁ。私も外2取ってるよ~。高2かぁ、可愛いじゃん。良かったら、この後、案内しようか? 皆が居ると中とかも行けるし、雰囲気わかりやすいっしょ」
女子のもう一人がそう言って余った席の一つに座る。
「え? えぇと。どうしよっかな」
「ん? なんか用事でも有るの? もう帰るとか?」
もう一方の女子が隣の席に座りながら聴いてきた。
「あ、この男子が気になる? ダイジョブ、ダイジョブ、男子は此処でお別れだから」
そう言うと彼女は男子に振り向き、「じゃ、そゆ事で」と男たちに声をかけると、彼達はブツブツボヤきながらも、去っていった。その時、金髪の男はスマホを触っていたが、何も言わず、彼らの後を追うようについていく。
「ね。コレなら大丈夫っしょ」
ん~、確かに、女性だけなら大丈夫か。そう安易に考えて彼女達に付いていった。
――楽しかった。やっぱり一人より何人かで廻るほうがぜんぜん違う。しかも彼女達は此処の現役だ、色んな事を教えてくれる。抗議の抜け方や、時間調整の抜け道……。もっぱら裏道のことが多かったけど、授業のことなんかもきちんと教えてくれた。だから信じた。……信用してしまった。
「あ~~楽しかったねぇ。……あ、もうすぐ時間だね」
「あ! マジか? 超楽しかったです。てかコレでバイバイとか寂しいですね」
「そう? じゃぁ、この後カラオケでもいく?」
「まじで! はい! 行きます!」
大学の受付でビジターカードを返却すると、色々なパンフレットや書類を受け取って、緊張して潜った門を、彼女たちと笑いながら通り過ぎていく。
「んじゃぁ行こう!」
「はい! 何歌おっかなぁ」
等と暢気にカラオケのことを考えている時、もう一人の女はずっとスマホを弄っていた。
「さっちゃ、トイレ行こう」
「……あ、はい」
店に入って小一時間ほど歌った頃、一人に誘われてトイレに向かう。
「あ~ジュースばっかでお腹冷えちったよ。ねぇ、モスコとか飲んで良い?」
「あ、ゴメンナサイ。……そうですよね、皆さんは成人だから、気にしないで良いすよ~」
「あり!」
戻って来ると彼女たちは早速、注文していた――。
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