告白

2-1


 ――ホントの事が言えなかった後悔。……声が出せなくて――。


 ――本当は言いたかった事、目の前にすると出来なかったけど。


 ――ちゃんと伝えたかったから――。




 長い時間が過ぎていた。リビングには有紀が居て、恵も学校から帰宅していた。テレビからはちょうどニュースが流れていたが、誰も気にもとめていない。恵は有紀とたまに話をしているが、上の空の俺の耳には届いていなかった。


 幾度となく見返していた時計が4時を過ぎた頃、家の電話が鳴った。ディスプレイには「お父さん」と表示されている。それを見た瞬間、すぐさま受話器を持ち上げて、相手の確認もせずに自分の名を名乗った。


「はい、康太です」

『おう、康太。すまんが、有紀ちゃんと恵を連れて、川田ん家来てくれ。……あぁ、それと来るときに悪いんだが、駅前の弁当屋に寄って弁当を貰ってきてくれ。お金は払ってあるから』


 受話器の向こうからは、当然父である信介の声が聴こえた。彼はそれだけを簡潔に言うと、こちらの返事も聞かず通話を切ったが、いつものことだ。それよりもやっと話が決まったと思った俺は、受話器を置きながらリビングに居る恵に声を掛ける。


「恵ぃ、今父さんから呼ばれた。有紀を連れて、先に佐知ん家行ってくれ。俺は弁当引き取ってから向かうから」

「……お弁当?」


 俺の言葉に何かを言ったようだが、ダイニング越しに動き出した影だけを確認して、返事を待たずに玄関で靴を履くと、そのまま扉を開けて、自転車に飛び乗った。すぐに変速を切り替えて、勢いよく漕ぎ出すと、思ったより顔に当たる風が冷たくて、高ぶってしまった気を落ち着けてくれる。そうしてよくよく考えてみれば、俺も有紀も昼食を取っていなかったなと、今更ながらに思い出した。


 表通りから駅前の商店通りに入ると、夕方の買い物客が多くなり始めていた。既に歩行者優先時間になっており、通りの手前で自転車から降り、件の店まで押していく。偶に自転車に乗ったままの人を見かけて、少しイラつくが、注意をするほど根性もないので、無視して目的地へとハンドルを向けた。



「……あの~予約をしていた佐藤ですけど」

「はい……あら、康太君。お久しぶり、恵ちゃんは元気にしてる――」


 『キッチン加藤』


 駅前にある個人商店の弁当店。今やその存在は数多あるチェーン店に押され、閉店の憂き目を見ることが多い中、この店は逆にそのチェーン店を軒並み撤退させた強者である。何故ならこの店は元々、惣菜店だったのだ。値段に対してそのボリュームはもちろん、揚げ物、各種惣菜や魚料理に至るまで、全てが美味しいと評判で、この界隈が出来た当初から有名だった。そんなお店が弁当店などを始めたらどうなるかなど、誰が見ても明らかだった。そして、この店の店主である加藤公平かとう こうへいさんは俺の母と同窓生。おばさんである季実きみさんも当然のように母と親友……。一体俺んちはどれだけ知り合いだらけなんだと思ってしまう。なにせ、ここの息子の竜太りゅうた君に至っては、我が妹恵と同級生なのだから。


「はい、元気すぎて毎日兄の尊厳をけなしまくっています」

「アハハハハ! 相変わらずお母さんの静香と一緒ねぇ。……それにしても何の集まりなの? すごい量の注文だったけど」

「あぁ、え~と。あれです。俺たちの進路のことでちょっと……」

「ふ~ん……あぁ、健二くん!」


 その瞬間、否が応にも体が反応してしまう。


「ははぁん。やっぱり。……健二くんの成績、そんなに酷いの?」

「え……、あ、あはは。まぁ、ちょっと。アイツ、進学組なのに、まぁ」

「なるほどねぇ……。竜太もマンガばっかり読んでるから、ちゃんと言わないと駄目かし――」

「おい! 弁当! 早く渡してやれよ。康太君、苦笑いになってるぞ」


 時間がそろそろまずいと思った頃、大量の袋を持ったおじさんが、奥のキッチンから顔を出して、助け舟を出してくれる。


「あ、こんばんわ」

「おう! 信さんから電話貰ったから、おまけしといたぜ! 康太君も一杯食ってくれよ」

「何言ってんのよ、そんなに食べたら家の竜太みたいになっちゃうじゃない。程々でいいからね」

 

 そう言って、おじさんにツッコミを入れながら、おばさんは笑顔で大量の袋に入った弁当を、手渡してくれる。……自分の息子を引き合いに出すとか、あぁ、そういえば彼、少しぽっちゃりしていたなぁ。と竜太くんのことを思い出しながら、前かごに弁当を入れる。入り切らなかった分はハンドル部分にぶら下げるようにして、「ありがとうございました」と声を掛け、足早にその場を離れてから、心の中で一息ついた。


(おばさん、話し始めると止まらないからなぁ)


 そんな事を頭の中から追い出すと、「ふぅ」と小さく息を吐き、商店通りを少し重心が変わって重くなった自転車を押しながら、佐知の家を目指した。



 佐知の家には店舗としての入り口が表通りに面して有るが、住居としての入り口、つまり玄関は裏に別で造られていて、家人は普段そこから出入りしている。一応では有るが玄関ポーチのような場所もちゃんとあり、チャイムや表札もきちんと備え付けられている。隣接したカーポートには大きなバンタイプの車が一台停車してあり、その横に何台かの自転車が停めてあった。それに倣って自転車をそこに停め、大きな袋を3つ抱えると、チャイムを鳴らして玄関を開けてもらう。


「はいはい……あぁ、康太。遅かったわね。もしかして、季実に捕まった?」


 我が家のような感覚で、扉を開けて出迎えてくれたのは、我が母だった。俺が弁当を持ってくるのが遅かったことに対し、自分の親友が原因かと気づいた母が、そう言いながら荷物を一つ受け取ってくれると、中に向かって「……恵ぃ、有紀ちゃんもお弁当来たからお母さんたちに声かけて」と言って戻っていく。……母よ、季実(おばさん)の事は聞かないのかよ。と愚痴めいた言葉が喉まで上がってきたが、そこは我慢した。


 玄関を入ると、すぐ左側にダイニングが見え、奥にリビングドアがあった。目の前には二階に上がる階段が備わっていて、通路の先は洗面などの水回り。俺はそのままダイニングに向かって持った弁当をテーブルの上に置くと、そこから見えるリビングの方を覗き見た。




 そこには大きなソファが置かれている。ローテーブルを前に4人が優に座れるようなものが2つ。その脇にコの字の形になる様2人掛けが一つずつ有る。テーブルの向こうにはスツールのようなものが置かれ、そこにはちょこんと健二が座っていた。対面の中心には俺の親父が座り、両脇に建二と佐知の父親が座っている。


 ダイニングからその様子を眺めていると、母たちは俺の持ってきた弁当を広げ、食器を並べて遅くなった昼食の準備を始めている。恵と有紀もそれに混ざって手伝いを始めていた。……ふと佐知が居ないことに気づき、有紀に聞こうと思った時、親父の声が耳に入ってくる。


「なぁ健二君。別に今君を責めているんじゃない。ただ事実をきちんと説明して欲しいんだよ。いつ、どうして。そして何処で、こうなったかを」


 親父はそういって、健二の顔をまっすぐ見つめている。……うん、たしかに親父は怒ったりしていない。はっきりとした口調で聞いているだけだ。……ただ声量は尋常では無いけど。


「――っ!」


 その声量に完全に呑まれ、健二はつい俯きながら、未だ腫れの引いていない頬をアイスバッグで抑えながら、ボソボソ、詰まりながら小さく話し始める。


「……いつって言うのは、あの、あれです。ぇぇと夏休みの頃に……俺がバイトしてから、その……告って。――どうしってってのは、上手く言えな――」

「ゴニョゴニョ言わずにはっきり言え!!」

「浩二、怒鳴るな。……健二くん、ゆっくりでいい。でもちゃんと聞きたいんだよ。判るよね、急がないで良いから」


 俯いてボソボソ言う健二に彼の父である浩二が怒鳴り、それを佐知の父、良治が抑えて優しく諭す様に話す。……と言うか、もしかして全然話が進んでいるように見えないんだが。どう言う事だと思い、振り返って話を聞こうと思った時、ちょうどリビングに来た母が取り分けた弁当が乗った盆を持って声を掛けてきた。


「はい、皆ぁ、康太がお弁当持ってきたから、遅くなっちゃったけどお昼にしましょう。……あんたも向こうで貰ってきなさい」


 こちらを見ずに言った母に促され、ダイニングに向かった先で、おばさんたちから話を聞いてみる。


「見たまんまよ。……朝から話を聴いてるんだけど、健二くんが上手く言えないみたいで、俯いちゃって。それで浩二さんが怒鳴る、健二くんが縮こまってまた上手く言えない。あそこまで行くのにどれだけ掛かったか」


 「ふぅ」と溜息を零しながら、佐知の母である佳子よしこおばさんが応えてくれる。それを聞いて、ダイニングから再び健二の方を見やって……。ありゃぁ、怖いよな。眼前には俺の親父だ。真ん中に筋肉達磨、隣の健二のお父さんは元ヤン。……で、佐知のおじさんは確か、柔道黒帯だったよな。――あんなのに凄まれたら、ヤクザだって声出ねぇよ。そんな風に考え、テーブルに置かれた食事に手を付けていると、向かいに座った恵が健二の方を見て言葉を漏らす。


「……アレ、単純に怖いんじゃない?」

「「「「だよねぇ」」」」


 我が妹よ、それは口にしちゃぁ行けないと思った次の瞬間。その場にいるお袋達も思ってたのか、全員声を揃えてうんうん頷く。……っておい!


「でもね。ここはやっぱり、覚悟を見せてもらわないと。男のコなんだから」


 そこで不意に佐知の母、佳子さんが小さくそんな事を言う。


「でも。本当にその……健二が」


 そこまで言って、言葉に詰まる。


 ――もし。もしそうなら、何で健二は教えてくれなかったんだ? 佐知はどうして……。言葉にできない感情が胸の奥で渦巻いて、モヤモヤし始めた時。徐に母が聞いてくる。


「なに? もしかしてあんた、何か知ってるの?」

「いや、知らない。……でも、変だとは思う。俺達はしょっちゅう一緒だったし、何か有れば、健二はすぐ話してくれてたから」



「……そう。じゃぁ、そこは健二くん、頑張って男してるんだ」


 俺の言葉に納得がいったのか、母がそんな事を言いながら、「コレ美味しいわね」などと周りのおばさんたちと話し始める。


 ――なんだ? 男をしてるって何が? 余計解らなくなるじゃんか。







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