1-4
重い足取りのまま、無言で家までの
そんな、気持ちがまだ落ち着いても居ない状態でも、身体は自宅への路を違えることなく進み、何の考えも思いつかないままに玄関ドアを開けると、ダイニングから母が俺たちを呼ぶ。
「……ただいま」
「お邪魔します」
ダイニングに入ってそう言葉に出すと、母は俺が手を付けていなかった食事を温め直していた。
「とにかくほら、座って。……康太はちゃんと食べなさい。有紀ちゃんは? もう食べたの?」
「――いえ。食欲なくて」
「駄目よ、朝はちゃんと食べなさい。すぐ作るからちょっと待っててね」
そう言って母は、もう一人分の食事を作り始めた。ふと背後に気配を感じて顔をあげると、ちょうど恵が湯気の上がったマグを二つテーブルに置いて、有紀に声をかける。
「……有紀ネェ、何が有ったのかは知らないけど、まずは珈琲でも飲んで落ち着きなよ。……康太も」
「……恵ちゃん、ありがと」
「悪いな」
「……じゃあ、あたしは学校有るから」
恵はそれだけ言うと、母に「行ってきます」と声を掛けて、ダイニングから出ていった。
◇◇◇
「――康太が出ていって、10分位、後だったかしら。お父さんから電話が来たのよ、いきなり「明日、朝一で帰るからよろしく」って」
有紀と二人、モソモソと朝食を取っているといきなり母がそう告げてくる。……オヤジが帰ってくる? なんでここで、そんなことを? そう思って母を見ると。
「川田さんから、朝一で連絡貰ったんだって。様子がおかしかったから、詳しく聞いて、サッちゃん達のこと……聴いたらしいわ。そうしたらその直後に、川田さん家からも連絡が来たのよ」
――そうか。少し考えれば分かることだ。……俺たちが幼馴染なのは、佐知の親父さんも、健二んとこも、勿論有紀とも。……全部、元々は親父の親友だったからだ。
それで、父親たちも連絡を取り合って……。そうか、親父が戻って来るのか。
――佐藤 信介(さとう しんすけ)45歳
俺の父親であり、佐藤家の家長。実家は関西の方にあり、キレると超絶キツい関西弁で怒鳴り散らしてくる。小さい頃からかなりのやんちゃだったらしく、呑んで酔っ払うと、街でかなり有名だったとよく自慢していた。「そんなの今時、流行ってない」と恵に言われてよくヘコんでいたが、その度に周りの親父連中が「信さんは確かにすごかったよ」と言って慰めていた。聞けば、彼らもそこそこやんちゃだったらしく、関西から流れてきた親父と最初は敵対して、街で喧嘩をしていくうちに、仲良くなっていったらしい。
そんな親父は現在、会社の支社工場の建設の為、監督と支社の人事兼務で、他県に単身赴任中。もうすぐ2年になる。……本社の一大プロジェクトと言っていた。なので、余程の時か、長期休暇の時くらいしかこっちには戻って来なかった。ちなみに、オヤジは其処へ俺を放り込みたいらしい。それで、大学の話になった時、あの発言があった訳だ。
……そんな親父が、健二と佐知のことで帰ってくるのか――。
◇◇◇
結局昨日は食事の後、部屋に籠もっていた。ベッドに転がり、目を閉じても当然眠れず、かと言って起きだしても何もする気にはなれず。頭の中では、ずっと健二と佐知のこと……そして有紀の事がグルグル堂々巡りをしてしまい、ただただ、ボーッとしたままテスト休みを無為に過ごした。そして明け方近くまで寝付け無かったせいだろう、朝の日差しが妙にキツく感じてしまう。それでもこんな朝早くに目が覚めたのは、自身の中にどうしても拭いきれない不安が、残っていたせいかもしれない。
「トレーナーは、まだいいか。パーカー……は、っと」
若干寒さの増した部屋で、着替えを済ませる。薄手のロンTにパーカーを適当に羽織り、昨日のデニムを履いて部屋を出ると階段の途中で、階下の声が聞こえてくる。
「……じゃ、お…は先に……てくる。――で……む。……はだ――」
「わか……る――」
とぎれとぎれでは有るが、確かにそれは親父と母の会話だ。……親父、もう帰ってきていたのか。そんな事を考えながら、リビングの扉から顔を出して「おはよう」と声をかけると、ちょうど母はこちらを向いていたようで、「おはよう」と返事をし、次いで俺に背を向けていた人物が、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「おかえり、親父」
「おう! ただいま」
こないだ会ったのは、半年前? だったか? 久しぶりに見る親父。なんだか一段と、無駄に筋肉ついてる感じがする。上背も有り、肌も浅黒く。どう見たって年齢相応には全く見えない。髪も短く刈り上げツーブロックにしており、一見すると格闘技選手にしか見えない。一体アンタはどこに向かっているんだと、心の中で聞いておく。
「悪いが俺は今から出るから。解ってるとは思うが、今日は家に居てくれ。……もしかすると呼ぶかもしれん」
一瞬だけ「ニパッ」と白い歯を見せ、すぐに真顔になった親父はそう言った。
「解った」
「じゃぁ母さん。あと、頼むな」
「はいはい」
オヤジはそう言って、リビングを出ていく。お袋はその後を追って、玄関へ見送りに行く。俺はそのままダイニングへ向かうと、恵が既にテーブルに着いていた。そのままコーヒーメーカーにカップをセットしながら、「おはよう」と声をかけると、彼女は小さく「おはよう」と返してくる。テーブルに就き、自分の席に座る……食事はもう並んでいた。
食パンを一枚、ポップアップトースターに差し込み、コーヒーをマグに注いでいると、恵がボソボソと話しかけて来る。
「……佐知ねぇ達、大丈夫だよね」
その言葉を聞いた瞬間、ギュッと胸が締め付けられて息苦しくなる。……そうか、コイツも昨日の事を聞いたんだな。どこまで詳しく聞いたかは分からないが、まだ中学生のコイツにとって、それはかなりショックな出来事だったろう。
「当たり前だろ」
――正直、何もまだ分からない。でも大丈夫。……絶対大丈夫にして見せる。
「……だよね。あたりまぇだよ……ぐすっ」
それまで必死に堪えていたのか、俺の言葉を反芻した途端、ポロポロと、テーブルに雫が落ちる。
――そうだよな。お前にとっても大切な『兄姉』だもんな。そう思いながら、何故か自然に妹の頭を撫でる。
「ゴメンな。兄ちゃん、頑張るから」
そう言いながら、手を動かしていると、彼女は途端に俺の手を振り払い、キッとこちらを睨んで言う。
「そうだ! もっと頑張れ康太! バカ兄貴!」
そう言って精一杯に強がる妹。……てか、君はナゼにお兄ちゃんを呼び捨てるのだ! ここは「お兄ちゃん!」で抱きつくところじゃないのかね? などと馬鹿な考えがふと浮かんで、自己嫌悪していると、いつの間にか戻ってきた母が、間を取り持ってくれた。
「はいはい、朝から喧嘩しない。ちゃんとご飯食べなさい」
「だって! おかあさん! うぅぅぅ……」
「――もう、恵は泣かないの。……康太、パン焼けてるわよ」
いつの間にか、ポップアップトースターからはみ出たトーストは、少し冷めていた。
**++**++**++**++
住宅街の入口辺り。主要道路に面した路の一角に、川田新聞販売所は所在している。1階前面部は店舗兼事務所になっており、その入口は全面がガラス張りのサッシが嵌っていた。朝刊の配達業務は既に終わっており、シャッターは半分降ろされ、その事務所は閑散として、誰もそこには居ない。その事務所を入って奥の扉を開けると、そのまま住居に繋がっており、すぐのリビングには家主である川田家をはじめ、坂田家、佐藤家と今村夫人が勢揃いしていた。
「――今日は皆、忙しい所を急に呼び出して済まない。俺の事情から急遽、本日開催となった事に、まずは謝罪を」
リビングに集まった皆の中央で、康太の父信介はそう言って、頭を下げる。すると、すぐ隣にいた佐知の父親である良治が彼の体に触れ、頭を上げさせる。
「やめてくれ信介。謝るのはこちらの方なんだ、……本当にすまん。家のことに巻き込んでしまって……」
「……信ちゃん、申し訳ない……美咲さん達も――」
良治がそう言って信介に謝罪していると、坂田健二の父、浩二も前に進み出て、皆に向かって土下座をする。
「坂田くん、そんなことしないで。――皆が集まるのは当然じゃない。私達の子供の事なんだから」
「うん。皆の子供の話だ。俺達の大切な子供の大変な事だ。放っておける訳がない」
有紀の母、美咲が浩二に告げると、信介もそう言ってから皆を見回し、話し始める。
「まず、当人たちはどうしてる?」
「佐知はあれから部屋にこもってる、健二くんは……」
「――すまん、頭に血が昇って、ぶん殴って引きずり回したから。昨日ここの客間でぶっ倒れて、まだ寝込んでいる」
良治が佐知の様子を話したあと、浩二が健二の現状を話す。
「浩二……。お前喧嘩っ早いの、卒業したんじゃなかったのかよ」
思わず、信介が呆れてそう言うと、健二の母、優子も合わせて呆れ声で話す。
「お陰で私、
その言葉に皆、苦いながらも笑顔を零す。そんな中、信介は苦笑しながら一度目を閉じた後、真摯な顔で一堂を見回し、こう言った。
「――それで、皆はどう思う? あの子達でこんな事、起こせると思うか?」
――静寂とさえ感じるほどの沈黙……。
「……無理に決まってるわ」
健二の母である優子が最初にそう言った。
「そもそもあいつは、そこまで甲斐性ねぇ」
次いで、浩二が続く。
「ケンチャンは優しいもの……」
美咲が。
「――押しがちょっとね、弱いと云うか、まぁ……」
良治が申し訳無さげに。
「まぁ、
佐知の母、佳子が笑って言う。
「はは。……健二くん、もうちょっと頑張らないとなぁ」
皆の言葉に安心したように、信介は笑いながら言う。
「……それで、どうするの?」
最後に締めるように、康太の母である静香が、信介に尋ねる。
「あぁ、俺に考えがある。……辛い選択だが、子供達のためだ。少し協力して欲しい、意見はどんどん聞く。まずは――」
そう言って、信介は真剣な顔で皆に話し始めた。
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