1-2
大切なモノに
何も知らず、聞かず、見ていなかった……。
実力テストの日程が近づき、教師は事あるごとに「ここテスト範囲になるぞ~」などと言う脅し文句を使い、書いた直後に消していくという、鬼の所業を爽やかな笑顔で行っていく。俺達をノートと黒板に縛り付け、お陰でここ何日かは授業中にぼんやりすることが、出来なくなってしまっていた。今日もそんな激戦を終えた直後の放課後、ふと級友が心配になり、自身の確認がてらファミレスでもと思い振り向くと、健二はそそくさと鞄を掴み、席を離れようとしていた。
「健二、これから――」
「――なに? 今日ちょっと立て込んでてさ。急用?」
「んぁ、いやぁ、急いでいるなら良いよ。ファミレス誘おうと思っただけだから」
「……そか、ゴメンちょっと無理っぽい。んじゃまた!」
「……あ、あぁ。またな」
よっぽど急いでいたのか、俺の返事も聞かずに鞄を肩に担ぐと、教室から飛び出していく。……そんなに急いでどうしたんだ? と一瞬考えて止めた。アイツのことだ、しょうもないことでもやってるんだろうと考え、机の上に広げたものを片付け始めると、別の方向から声が掛かった。
「康太もボッチになったんだ」
「――有紀? なんだ? お前もか」
「佐知とさ、テスト勉強しようと思ったんだけど、なんか、用事あるって言って、置いてきぼり食らったんだよね」
「へぇ、珍しいな。健二も急用とか言ってたけど……。もしかしてあいつら、二人で帰ったのかな」
ふとそんな考えが過ったが、俺達二人は一瞬、虚空を見上げてから頭を振り、同時に同じ言葉を口にする。
「「……んな訳ないか」」
やはりと言うか、健二と佐知の組み合わせが、どうにも浮かばなかった俺達は、そう言ってから溜息を零し、お互い同じ思いを別々に考えていた。健二が佐知のことを好いていたのは全員が共有している。それは小学生の時から、中学で告白するまで。あまりに露骨でバレバレだった。そうして頑張った中学の時の玉砕で、健二は吹っ切れたと思っていたのだが……。夏のプールの一件で、未だに未練が有るのは、手に取る様に分かってしまった。一途といえば良いのか、懲りないと思えば良いのか。流石に普段そんな態度は、今では見せる事はしなくなったが、有紀だって、そのことには感づいているだろう。
「ね、ねぇ良かったら、今日テスト勉強しない?」
「……おう。良いぞ」
少し変なことを考えてしまったせいか、有紀の言葉に一瞬思考が止まったが、テストの事は復習したかったので、オーケーの返事をする。そうして、なし崩し的に一緒に下校することになって、久しぶりに商店街で買い食いを楽しんだ。
――後から思い出してみれば、高校に入ってから、二人で帰ったのはこれが初めての事だった。
◇◇◇
――学校の駅から電車で二駅、そこからバスに乗って三十分。俺達の住むベッドタウンよりも更に郊外に。スマホの地図アプリを覗きながら更に徒歩五分、其処にその建物は在った。閑静というより、寂しいという方が似合う街の外れ。辛うじて商店が幾つか並んだアーケードのような場所の一角。小さな三階建ての雑居ビルの二階の窓に、その病院の名前が貼り付けられていた。
[佐倉レディースクリニック]
ピンク系のパステルカラーで、窓一面に大きく貼り出されたそれを見上げ、健二はスマホをポケットに仕舞う。当然だが二人共制服姿ではなく、駅のトイレで着替えを済ませ、ロッカーにそれらを預けて此処まで来た。健二は薄いグレーのジャケットにシャツは制服のそれを。パンツは合わせる物がなかったために、デニムの濃い色を合わせた。彼なりに少しでも年齢を誤魔化したいという気持ちが、あったのだろう。一方佐知は、普段と変わらず、カジュアルに白のトップにベージュのアウターを羽織り、チェック柄のワイドパンツというスタイルだった。
「ここ、だね」
その場所につくまで。佐知は、電車でボチボチと喋っていた。バスに乗っても「へ~、此処も意外と開発? が進んでんじゃん」等と周りの景色を眺めては笑顔で話を続けていた。だが当然ながら、それは全部内心の恐怖から逃げ出したい一心での空元気でしかない。健二はそれが居たたまれなく、見るのも辛いほどに胸が締め付けられたが、同じ様に笑顔で応え、此処までやって来た。それでも、バスを降り、アプリを見ながら歩き出す頃には、既に会話は無くなり、唯、静かに目的地へと歩いてきた。
健二が言った言葉に一瞬ビクリと佐知は反応し、黙って俯き、ただ頷き返す。ふと彼女の手を見ると、ぎゅっと握りしめた拳が、真っ白になっていた。
「行こう」
健二はその拳を、そっと包むように手を添えて、雑居ビルの階段を登っていく。
◇◇◇
ガタガタと規則的な音を響かせて、各駅停車の電車内には、人はまばらにしか居なかった。乗降ドア付近の座席に二人並んで座り、健二は車窓を、佐知はただ目を伏せ、その心地よい揺れに任せるがまま、黙って居た。
「妊娠初期、12~3週目です。……川田佐知さん、貴女はまだ、未婚で、未成年ですよね。親御さんはこの事は――」
受付で問診票を書いた時点で、別室に連れて行かれる。個室で面談形式での問診。看護師さんは真剣な表情だったが、決して責めるような感じではなく、ただ淡々と話を聞いてくれた。
受診は、他の患者さんが、居なくなった最後にと言われた。その時間がとてつもなく長く感じる。病院特有の消毒液やなにかの匂いが、気分を不安にさせ、ただ静かな時間だけが流れていく。やがて看護師さんに呼ばれ、診察を受けた後先生は静かに、ただはっきりとそう告げてきた。
――その一言一言が、只々、針のように辛辣だった。
当然だ、結婚しているわけでもなく、未成年が親も連れずに受診した結果が妊娠。病院側も、困惑しただろう。それでも、先生はしっかり診察してきちんと確認してから、現実を突きつけてきた。
「性行為を行うなとは言いません。……今の時代、貴女の年齢なら、もう出来て当然です。ですが、知識もそれなりに持ち合わせているはずです。コンドームをする、しないでどうなるかは解るでしょう? 授業でもその事はきちんと聞いているはずです――」
先生の話はまだ続いていたが、何時しか音は聞こえなくなっていく。……避妊。勿論、そんな事理解りきってる。私だって! わたし……だって! こんな事、したくてしたんじゃない! その一言が、何度も喉までせり上がった。……言えればどれだけ楽だった事か。あんな事、しなければ良かった。遊びになんか行かなければ。彼女たちに付いていかなければ……。後悔だけが引いては寄せる波のように、幾つも何度も押し寄せる。
――ただ、大学が見たかっただけだったのに。
オープンキャンパスに参加しただけで、帰れば良かった。――なのに、ただの……カラオケだけだったのに……。
先生はその後、健二も呼んで話し始める。……でも一度思い出してしまうと、消したい記憶はすぐに消えてくれなくて。只々、黙って、そこに座っていることしか出来なかった。
――佐知が診察室に入ってから暫くして、受付に居たお姉さんが俺を呼んだ。
「川田佐知さんの事で、先生が君にもお話があるそうです」
薬品の匂い。見たこと無い機械がチラと奥に見える。その前に置かれた椅子に座っている佐知と、俺を真っ直ぐに見据える先生。
――あぁ、そぅなんだ。……頭の芯が冷えていく感じがする。現実が薄れ、今立っているここが何処かも、わからないような感じ。
……出来ることなら、間違いであってほしかった。生理不順であってほしかった。病気になるのは嫌だけど、それが救いと思えるほど、切なくて苦しかった。先生は俺に性行為によって起こりうる危険、そして未成年での妊娠や、女の子の体の負担など、切々と説明してくる。
――そして「命」に対する責任と、これからしなければならない様々な事。何も答えることが出来ず、俯いた佐知の隣で、ただ黙って先生の話を聞くことしか出来なかった。
「ねぇ佐知」
「……」
揺れる電車の中、車窓から視線を佐知に戻し、思い切って話し始める。
「……どんな赤ちゃんかなぁ?」
「――っ!」
急に何を言い出すんだと言う表情で、此方を見る佐知。そりゃそうだろう、嫌というほど病院で色んな話を聞かされた。「望まない妊娠なら、すぐにでも答えを出しなさい」とも……。そんな話をされた直後に、出す話題じゃないことはわかっている。でも、だからと言って佐知が傷つくのは嫌だ。そもそも俺は相手を知らないし、肝心の相手は佐知がこんなに苦しんでいるのに、何も知らないなんて……。言えない相手という事なら。
「……もしもさ、もしもなんだけどさ、相手に言えないなら――」
「待って! え? 何言ってんの健二?」
彼女もその先の言葉に気がついたのか、聞きたくないのか、俺の言葉を遮ってくる。が、俺はそんなんじゃ止まらない。
「俺が、パパじゃ、ダメかな」
「は? 何産む前提になってんの!? 意味分かんないよ!」
「先生がさ、父親の自覚とか、行為の責任とか色々言ってたじゃん。俺はその……佐知の相手じゃないけども、あ、相手には、無理なんだろ? そういうの言えてないって事はさ」
その言葉に彼女は一瞬息を呑み、下を向いて少し考えた後、それでもやはり否定してくる。
「それはダメ! お、堕ろすから」
「体の負担とか、大きいって。未成年で手術すると、次が難しいかもって」
「――!!」
つい、キツイ事葉を言ってしまう。でも、こればっかりは譲れないんだよ、佐知、ゴメン。……でもね。
「――俺は今も佐知が好きだから。その子のパパ、なりたいかも」
「――っ! な、何? 何でコクるのここで!? イミフなんだけど!」
「ずっと前から思ってた事だもん。実際、時間もないし」
そう。今はお腹の子のことを決めないと。……そんな形で、背中を押されたってのも変だけど。今は佐知のことが一番大切なんだから。
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