1-1




 季節は俺達の事情など、気にする事なく進んで行く。


 時の流れだと言わんばかりに、さも当たり前のように。


 それは数十分前のことだった。


 部屋で読みかけだった週刊誌を広げ、ベッドの上で読んでいると不意にスマホの着信音が鳴る。


「ん? ライン? って佐知?!」


 慌てて開いた画面には、いつものファミレスに一人で来いとの連絡だった。それ以外の情報はなく、理由自体も書かれていない。一瞬なんだと思ったが、部屋でダラダラしているよりはマシだと思い、スマホをボディバックに放り込むと、上着を引っ掛け週刊誌をそのままに、部屋を飛び出していく。



 舗装路に植えられた街路樹の葉は、その色を徐々に変え始め、少しずつだが落ちる数も増やしていた。日の落ちる時間も少し早まりだし、夜にもなると気温は一気に下がるという、山間部独特の気温差に、慣れてはいるが、好きにはなれないと矛盾した思いを頭でふと思いながら、健二は愛車であるマウンテンバイクを走らせていた。


 住宅街を抜けて大きな通りへ出る。幹線道路ほどではないが、片側三車線の大きな通り。真っ直ぐ行くと駅に繋がる主要道路で、何時もの通学路。その通りに面した場所には郊外らしい、大きな駐車スペースの設けられた、様々なチェーン店が幾つか並んでいる。健二はそんな店の中で、何時も使っているファミレスを目指し、少し登りになった舗装路を変速を変え登って行く。


(そろそろ、冬服出しとかねぇとなぁ……)


 落ち葉の舞う舗装路を、自転車を走らせながら健二は、少し肌寒く感じた風に、自宅のクローゼットの事を考えながら、目的地へと到着した。



 店舗入口の傍に有る、駐輪場に自転車を停め、軽い足取りで自動ドアを潜ると、店員に声を掛けて、待ち合わせだと店内を見回す。すると奥の方に、目的の人物を見つける。



「ういす!」

「……遅い」

「いや、ソッコーでしたよ」


 片手を上げながら、対面の席へ座ろうとした健二に、文句を言いながら佐知はカップを突き出す。


「――?」

「……アイスティー」

「二つも?」

「一つは好きなの入れてきなよ。あんたの分だし」

「……はいはい。んじゃ行ってきます」


 ――はぁ、いきなり呼び出してこの仕打ち……。間違いなく何か有ったな。なんだ、有紀ちゃんと喧嘩でもしたのか? いや、それなら彼女たちで解決するはずだし……。康太関係かな。あぁ、あり得るかもなぁ。有紀ちゃんと康太の関係に、ずっとモヤモヤしてるからなぁ。……だけどそれは当人同士でしか、どうにも出来ないと思うんだけどなぁ。まぁ、こういう時は、逆らわないのが一番だしな。


 健二は佐知の機嫌の悪さをそう結論付け、焦れてまた当たられる前にさっさと逃げようと思い、ドリンクバーへと向かっていった。






「――あのさ、佐知」

「………」

「もう、これ、四杯目なんだけど」

「味わって飲みなさいよ」

「いやいや。そうじゃなくって。……ふぅ」


 最初のアイスティーを飲んでから、もうかれこれ一時間以上黙ったまま、彼女はテーブル上を睨みつけ、偶にこちらを向くと、カップを差し出すの繰り返し。いい加減焦れて、話しかけても、睨んでくるばかりで禄に会話もしていない。ふと窓から外を見やると、空は赤く染まり、世界全体をオレンジ色に塗っていた。傍らに置いたスマホにチラと視線を送った後、意を決して健二は佐知に切り出した。


「もしかして何か、厄介なことでもあったの?」

「………」

「……康太と有紀ちゃん絡み系?」


 有紀と言う言葉に反応し、ピクリと肩を震わせ、押し黙る佐知。それを見た健二は、あぁ、やっぱりかと思い、手に持ったカップを持ち上げながら、「正解か」と小さく呟いた。しかし佐知はその言葉に大きな声で反論した。


「ちがう! 有紀には言えない! こんな事、あの子にだけは絶対話せない!」


 彼女はそう言って髪を振り乱し、自分の肩を抱きしめて悔しそうな顔で、ギュッと目をつむる。健二は急に出された大声に驚き、飲んでいたアイスコーヒーを吹きそうになる。それを、なんとか飲み干しテーブルに置くと、周りの視線に気づいて「すみません」と謝ってから、俯いたままの佐知を見る。


 ――有紀ちゃんに話せない? 


 言いようがない不安が、健二の背に覆い被ってくる。「話せない」事なら分かるし、誰にだってある。でも彼女は「絶対」を付け加えた。そんな言葉は滅多に使わない。……ここ最近の彼女たちの間になにか、あったのか? いやそんな深刻な事なら佐知は、俺に相談してくるか? 分からない……。一体何が。


「佐知、落ち着いて。どうしたの? ゆっくりでいいから落ち着こう、ね」


 今だ、髪を振り乱したまま俯き、強張った表情のまま目を瞑った彼女を、まずは落ち着けようと、健二はゆっくり声を掛ける。そうして暫く待っていると、彼女は姿勢をそのままに、こちらを見ずに小声で小さく呟いた。


「……ないの」


 ボソリと。本当に小さい声で、唐突にその言葉尻だけが聴こえた。


「え? ごめん、聴こえなか――」

「来ないの」


 次に聴こえたのは、はっきりとした言葉。だが、「こ」が増えただけ。「こないの」一瞬何がと考えて、「来ないの」だと思い至る。が、彼の思考はその程度。そう、健二は男でにはまだ疎かった。


「……えぇと、何が? 何か、誰か来る予定とかあったの?」


 余りにも見当違いの言葉が返ってきた為、佐知は健二を見返した後、キッと睨むような目線を寄越す。だがそれも束の間、はぁ。と大きくため息を吐き出した後、俯きながら話しだした。


「生理。もう二ヶ月以上、来てない」


 そこまで聞いて健二は初めて、きちんと意味を理解した。当然だ、彼は男でそんな経験など、したことはない。それでも十七歳で異性に興味を持っていれば、その言葉が何を意味しているかは、想像することくらいは容易だ。


 ――ただ、その事を言った女性が、佐知だった。



 生理が来ない……って。え? 佐知が? ……頭の中が真っ白になっていく。俺だって、もう十七の男だ、何がどうなって、そんな事になるかなんて理解している。だけど、まさか佐知がそんな事になるなんて……なんで? いつの間に、誰と……。


 ――あぁあ! クソ! まじでなんだよ! 頭がグルグルする! 相手は? どこの誰が?! 糞ッ、クソ! ……いや、今はそんな事を考えてる場合じゃねぇ!


「……せ、生理不順とかじゃなく?」


 確か、そんな言葉を聞いたことがある。体調が悪かったり、精神的に辛かったりすると女性の場合、そんな事が起こるって……。だが、俺の希望的推測は、静かに頭を振る佐知に否定された。



 ――激情と、悔しさと、涙が一緒くたになって押し寄せる。吐きそう、泣きそう、喚きそう! 彼女が頭を振った瞬間、そんな感情が俺を包み込んだ。ずっと幼なじみだったのに、ずっと一緒に傍に居たのに! 今、目の前に居る彼女は、もう俺の知っている佐知じゃないのか? 




 ――何時からだろう。俺が佐知を好きだったのは。……気づいた時には好きだった。だから、何を言われても、気にならなかった。


 ――だって彼女は、いつもどんな時でも、強気に笑って居たから。幼い頃から姉御肌で、いつも先頭に立って、俺達を振り回すくらい元気で、快活に笑っていたから……。



 落ち着け、俺! 心の中の感情と、涙は後で出せばいい。今は目の前で困っている佐知を助けなきゃ! ずっと助けてもらってきたんだから! ずっと好きで、今だってこんなに……。ああ、駄目だ、駄目だ!


 ふぅ~~~~。よし!


「病院には行ったの?」


 意を決して聞いた質問に、黙ったまま俯く佐知。クソ! 震えが出そう! ホントは聞きたくない。……でもこれはちゃんと聞かないと。


「そ、その事、あ、相手にはもう言ったの?」


 その言葉を聞いた途端、ビクッと固まり、小刻みに震えだす佐知。え? 相手にも言ってない? 言えない? わかんねぇ。クソ! クソ! どうすりゃいいんだよ?! で、でも病院には行かないと、このままじゃ、どんどん悪い方へ進んでいっちまう。


「と、とにかく、病院には行かないと。このまま放って置いても、良いことなんて何もない。だか――」


 そこで彼女は俯いていた顔をあげる。今にも零れそうなほどの一杯の涙を湛えて……。


「怖いよ健二ぃ……」


 ――ドクン!


 大きく鼓動が跳ね、心臓が鷲掴みにされる。言葉が喉に詰まり、何も言えなくなる。「怖い」彼女の心からの叫びと心情、それが彼女の精一杯の言葉だった。その後、彼女はずっと声を殺して泣いていた。




 気付くと窓の外は真っ暗で、街路樹をまばらな光が照らしていた。通りを走る車もその数を減らし、ヘッドライトの軌跡がたまに窓に反射して、否が応にも夜を教えてくれていた。佐知は一通り泣いて気持ち的に落ち着いたのか、「ホットアップルティーが欲しい」と自分で取りに行き、席に戻るとポツポツと、言葉少なに話し始めてくれる。


「まだ、気持ちが追いついてないから、相手の事とかは待って。……こんな事、誰にも言えなくてさ。……ゴメンね、健二」

「良いよ」


 ――良いわけなんてこれっぽっちもない! 佐知のこんな傷ついた表情、見たくねぇ……。まるで正反対な心の叫びを押し殺し、冷めた珈琲を少し口に含むと、その苦味が口に広がって、気持ちを少し和らげてくれる。


「――ふぅ。……やっぱ、アレだね。言う事言って、泣きたいだけ泣いたらさ、落ち着くっての……ホントなんだね」


 そう言って、自嘲気味に笑顔を見せながら、彼女は話を続ける。


「んでさ。ゴメンなんだけど、健二には、付き合ってもらっていい? その……さっき言った病院。とかさ、あ、無理っぽければいいよ! そこはなんとかジブ――」

「何いってんの! 良いに決まってんじゃん! 俺にしか話して無いんでしょ?」


 彼女の言葉を遮るように言い切る。……そう、彼女は俺にだけ話してくれた。俺を頼ってくれたんだ、今は何も考えない。佐知の事だけ考えれば、それでいい。出来ることはなんだってやる。彼女の不安を、彼女の心を……何があっても守りたいんだ。





 それから二人で、これからの事について話すため、健二はカップを二つ持って、席を立つ。



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