3-4



 いつの頃からか、蝉の鳴き声を聞くことはなくなり、若干朝の寝苦しさが和らいだと思って目を開けると、スヌーズにしていたスマホが、何度目かのアラームを鳴らし、今日から登校じゃねぇのかと、催促してきた。数瞬で覚醒し、身体に纏わり付いていた肌掛けを、ベッドに投げ捨てるようにして飛び起きると、慌ててハンガーに掛かった制服を着て、スマホと鞄を持って、階下へ飛び込むように駆け下りる。洗面所から丁度、髪のセットが終わった恵が出てきて、ぶつかりそうになったが、なんとかすり抜け、顔を洗う。彼女はギャアギャアなにか文句を言っていたが、自分の時間も有るのだろう、途中で諦め、母に何かを言って登校していった。


「朝ごはん、どうするの?」

「無理! 電車の時間に間に合わねぇ」

「……もう、はいこれ」


 母はそう言いながら、小さな手提げ袋を寄越す。中を見てみると、そこにはおにぎりが二つと、野菜ジュースが入っていた。


「それなら、途中でも、学校でも大丈夫でしょう」

「ありがと! 行ってきます」


 母の気遣いを鞄に放り込み、靴を履いて玄関を出る。自転車の前かごにそれを放り込むと、飛び乗るようにしてハンドルを握った。外は既に眩しく、また通勤時間帯に外へ出たのも久し振りだったせいか、耳には幾つもの音が飛び込んでくる。サラリーマンの靴音、車が通る際のエンジンや排気音……。色んな雑踏の「音」今まで意識することすら無かった、生活音。角を曲がると、井戸端会議の最中なのか、大きな笑い声が耳に響いて、通り過ぎていく。


 ――日常。そうだ、俺の知っている日常は何時も音が溢れている……。いつの間にかそんな事を頭の片隅で考えながら、住宅街を抜け、駅までの少し傾斜の有る坂道を、ギアを変速させて登っていく。スピードの乗った自転車は専用道路を駆け上りながら、この間塗ったオイルで十分に機能を発揮し、チェーンを軋ませる事なくタイヤにその力を伝達してくれる。少し気合を入れて走ったせいで、駐輪場に自転車を止めた時には、じとりとシャツが纏わり付いて首筋には汗が流れていた。


 

 たかが二駅、されど二駅。都市の中央部で二駅ならば、区間にしてそこまで大した距離ではないだろう。しかし、此処は山奥ではないとはいえ、山間に有るベッドタウン。途中には道の駅がある程度。なので距離計算すれば、確実に都市部の六駅程度は優にある。寒いほどに効いた冷房車両で、すし詰め状態という、むさ苦しいんだか、肌寒いんだか、よく判らないままになんとか車窓を見てみれば、目の前には木々が生い茂り、遠くを見ると抜けるような青空だけ。ふと現実逃避しそうになる心をなんとか持ち直し、目的の駅で人波をかき分けて、駅舎を出ると、商店街の向こうに我が学び舎が見えていた。周りを見ると何人かの同じ制服も見かけ、遅刻は免れたと確信し、安堵してから足を目的地へと向けて歩き始める。



 校舎に入るまでに幾人かの友人を見つけ、「休みはどうだった?」と、長い休み明け独特の、土産話のようなことを話しあって、校舎に入る。教室までの階段を、すれ違う連中の黒く焼けた肌を見かけたりすると、「あぁ、充実した休みを送った奴もいるんだな」と心の中で呪詛を吐きながら、扉を開ける。



 ――夏休み明けの教室。まだ涼しいとは言えない部屋の中、周りで、皆が色んな話を駄べっている中、俺がよく知る男は一人、机に突伏していた。


「おはよぅっす」


 ペシッと頭をはたきながら、前の席に座ると「……ってぇなぁ」とボヤきながら、そいつはムクリと顔をあげた。


「どうしたんだよ。この暑い中、よく寝れるな」

「ん、あぁ、康太か。いや、昨日夕飯食ってたらさ、今日提出のレポートあったのに、やってない事思い出してさ。ほぼオールになっちゃったんだよねぇ……くわぁ」


 間延びした声で、眠そうにだらけた姿勢で、そう応えると、健二は最後に大きな欠伸をして目をしょぼつかせる。


「あぁ。あったな、てか、アレ一日でよく出来たな」

「そこは、まぁ、適度に適当に……へへ」


 コイツは……相変わらず、まじ適当な奴だなと思いジト目で見ながら、次の言葉を言おうとした時、背中に声を掛けられた。


「を! ちゃんと起きられたんだねぇ」

「朝から、だらけてるねぇ二人共」


 有紀と佐知が、そんな事を言いながら、席に近づいてきた。有紀は昨夜も顔を見ていたので、何とも思わなかったが、佐知とは夏のプール以来、会っていなかったなと思い出す。だからこうして四人、揃うのは久しぶりだなと思っていると、二人は教室の時計を見て話しかけてくる。


「そろそろ、全校朝礼だよ。行こう」


「だりぃなぁ……。てかねみぃよぉ~康太ぁ」

「だな。暑いしなぁ」

「何いきなりジジくさい事言ってんのよ。ほれ、さっさと立つ!」


 佐知がそんな事を言いながら、健二の机を蹴る。「ぎゃ! 痛いよ佐知ぃ」机にもたれていた健二はそのあおりを食らったのか、体を起こして抗議するが、彼女の気迫に早々諦め、ダラダラとボヤきながらも立ち上がり、全員で教室の皆が出ていく後に続いた。



 とかく、教師という連中は学生に対して、何らかの敵対心でも有るのだろうか。確かに二学期の始まりであり、月は九月だ。が、日中の気温はまだ真夏日を記録するし、朝とは言え、既に気温は上がり続けている。にも関わらず、何故こうもダラダラと、意味があるのか無いのかもわからない話を、延々と聞かされなければならないのか。特にてっぺんバーコード! アンタは既に頭から、蜃気楼のようなモヤが上がっているにも関わらず、タオルで吹き出す汗を拭きながら、話している中身はさっぱり俺達には入ってこないのだが。……あ、誰かがまた倒れたぞ。こんなの親連中が見たらモンペじゃなくても、クレームが出ると思うのだが。


 そんな拷問になり始めた校庭で、そろそろ誰かが暴れそうになった頃、流石に不味いと感づいたのか、教師の一人が校長に耳打ちをして、集会は終わり、全員が疲れた表情で教室に戻る。……後は担任の話を聴いて、提出物を出せば今日は終わりだ。


 大半の生徒が戻り、着席しながら皆が思い思いに話していると、やはりと言うか、そういった話題が耳に付き始める。


「ねぇ、進路用紙もう書いた?」

「やっぱ、進学はしとかねぇとなぁ……」

「どうしよ~、成績やばいかも~」

「だよねぇ。塾でもこないださぁ――」

「夏休みの集中講座行った時に……」



 もう、高校二年の二学期。そろそろ考えないといけない。進学、就職。もう、そこまで未来は差し迫ってきていた。人生の分水嶺……まさにそう言えるだろう。ふとそんな事を思っていると、近い席に座っている、有紀と佐知の会話が耳に入ってきた。



「ねぇ有紀。有紀はもう決めた?」

「う~ん。看護学校ていうのは、決まってるんだよ……でも」

「でも?」

「三年制の専門にするか、四年制の大学にするかで迷ってる」

「へぇ。そんな選択肢も在るんだぁ、ってか大卒資格も取れるって事?」

「ん? うん、そう。もし、万が一があってもそれなら選択肢が広がるから……」


 でも私は絶対看護師になると、決めたんだ。もう家族や大切な人を失いたくないから……。小学生のあの日、大好きなお父さんを失った時、そう決めたんだ。本当はお医者様になりたかったけれど。中学生で、現実を知ったから。看護師になって少しでも役に立ちたい! そう思ったから……。


「そう言う佐知は、もう決めたの?」

「へへ~。一応、行きたい大学は決まってるんだ。今からなら学力的には、なんとかって感じかな」

「すごいじゃん! どこなの?」

「ふふん、まだ、内緒」



「康太は? もう決めたの?」


 流石に健二も周りの声を聞いて気になったのか、俺にもそう言って聴いてくる。


 ――正直、迷っている。今時、普通は何も考えず進学一択だろう。ただ、少し事情が違ったのだ。俺の親父は高卒だ。だが、今は普通に世間に名前の通った企業で、偉い役職に就いている。そのせいもあってか、学歴自体に変なこだわりを持っていた。


 そんな親父は俺に、こう言った。


「康太、お前の人生だ。好きに選んで良い。ただ、大学は自ら望んで「学び」に行く所だ。周りが行くからとか、就職時優位になる為に、は許さん。なので、こうしよう! 進学するなら、学費はテメェでなんとかしろ。行きたい大学なんだ、頑張れるよな。そして、就職するなら俺に言え! 思いっきりコネを使ってやる! どうだ? コレなら就職の心配はいらんぞ」


 糞親父が! 汚ねぇ! これが大人か! コネって……それで俺の未来は良いのか?! ……多分良いんだろうなぁ、一部上場企業だし、全国に支社持ってるし。――なんなんだよ、あの親父は、筋肉達磨のくせに! でもなぁ、大学って、確かにどうしても行きたい訳ではないんだよなぁ……。


 いつの間にかそんな回想をしてしまい、一人長考していると、健二が俺を揺さぶって現実へと戻してくれた。


「――た! ……うた! 康太ってば!」

「あぁ! ゴメンゴメン。ちょっと考えて――」

「良いけど、お客だよ」

「え? 客って?」


 健二はそう言うと、扉の方を見つめる。そこには、友人でも知り合いでもない、知らない男が立っていた。





 

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