3-5



 教室の出入り口となっている扉に、ややぽっちゃりとした俯き加減のメガネを掛けた男が一人、こちらを向いて立っていた。彼がどうやら、俺を呼んでいるらしい。全く見たこともないなと思いながら、立ち上がって傍まで行くと、彼は初めてその俯いた顔を上げて俺に名前を聞いてきた。


「君が、佐藤康太君?」

「あぁ、佐藤だけど。誰?」

「あ、イキナリごめんね、僕は中島。2-Dの中島裕也なかじまゆうや

「……ナカジマくん。……でなに?」

「佐藤くん、夏に工事屋さんのバイトしてたよね」

「ん? あ、あぁ。荷運びのな」

「そう。それ僕の叔父さんなんだ。棚橋空調たなはしくうちょう


 ――え? 誰それ。タナハシ?


「……どうしたの?」

「タナハシ?」

「へ?」

「あ! 棚橋って名前か!」


 突然、大きな声で俺が納得したように言うと、中島くんはぽかんとした表情で、俺を見上げてくる。……まぁ、そうなるよな。


「あぁ、ごめんごめん。……いや俺さ、ずっとあの人の事「親方」って呼んでたからさ。……名前、忘れてた」


 そうかぁ。まぁ、当たり前だよな。親方なんて名前、居たら絶対忘れないよな。――棚橋さんか……名前忘れてるなんて、俺メッチャ失礼じゃん!


「あはは。まぁ、そこは良いじゃん。で? 親、棚橋さんがどうしたの?」


「ん、うん、まぁいいけど。こないだ用事があって、叔父さん家に行った時にさ。君の話、聞いてね。僕が君のこと名前は知ってるって言ったらさ。『アレ』ちゃんと見たかって。一度、連絡欲しいんだって。僕、ちゃんと伝えたからね。叔父さんに連絡しておいてね、連絡先知ってるよね」


 彼はそれだけ言うと、「ちゃんと連絡してね、怒ると叔父さん怖いんだよ!」と言いながら、帰っていった。


「なになに。アレって確かD組の子だよね、康太あの子と何かあったの?」


 自分の席に戻っていくと、健二は俺がまるで、女子と会話をしてきたかのような聞き方をしてくるが、「お前がバックレた、バイト先の親戚だってよ」と言った途端、「あーあーあー! 今日の耳は閉店で~す」とイミフなことを喚きながら、両手で耳を塞いでいた。




◇◇◇




   ○月✕日


 今朝は寒かったですねぇ(。>﹏<。)


 こないだまでの暑さは何処へやら……。


 [喉元過ぎれば熱さを忘れる]


 昔の人は上手いことを言いますね(若干意味違う?)


 さて。私、YOURIもそろそろ衣替えを考えてます。


 去年の服を陰干し中です。


 その時の様子を――



 九月も半ばを過ぎると、朝晩の気温がかなり変わってくる。何故ならここは、山の中腹を切り拓いて出来たベッドタウン。都市部などの平地とは違い、季節の寒暖差というものを顕著に感じさせてくれる。そんな小さな日々の移り変わりが、その日記には綴られていた。


 ――ふぅ。もう、そんな時期になってたのか。バイトで向かった先で、偶々見知っただけの女性。――彼女の、ほぼ毎日更新されるブログ。幾度も訪れ、その度にコメントすることもなく、ブラウザを閉じる日々……。当然コメントなんて一度もしたことがない。いや、一体何を書けば良いんだよ。まともに言葉も交わしていない、……いや、それはもともと無理か。意思疎通すらしていない、下手すりゃ彼女は俺のことなんて認識すらしていないかもなのに……。大体なんて言って書き込むんだよ。


 中島くん、こないだも来てたなぁ。

「連絡まだしてないの?」 

「頼むよぉ、僕が言ってないんじゃないかって、叱られるんだから」



 ――ゴメン。……色々、考えちゃうんだよ。それでズルズル、コメントも連絡も出来ていない……はぁ~、もう認めるしか無いよなぁ。



 ――一目惚れなんだろうなぁ。


 マジ何を書けば良いのさ? え? あの時のバイトですって始めるの? いやいや、それっておかしくね? まるでストーカーみたいじゃん。



 ずっとそんな事が頭をぐるぐる駆け巡り、堂々巡りを続けている。正直言って初めてだ。ココまで自分が意気地なしだったなんて……。よくよく考えてみれば恋をした経験が乏しい自分に今更気づく。それを自覚して余計に自信が萎んでいく。


「……はぁ、とりま親方には連絡するか」


 行き詰まった思考を一旦リセットしたくて、そんな言い訳を声に出しながら、机に置いたスマホを手に取る。ロックを外し、ラインをタップすると、トークの欄の一番下に「親方」の名前を見つけ、通話マークをタップした。


 prrrr...prrrr...prrrr...pi!


「――はい」


「もしもし、あの、佐藤康太です」

「ん? おを! 康太か! ……やぁっと連絡してきたか!」

「はぁ、すみません。今、大丈夫ですか?」

「お? 大丈夫だぞ。あれから元気でやってるか?」


 久しぶりの親方の声。ほんの二ヶ月程……。それも二十日程度、短期のアルバイトとして縁を持った人だ。にも関わらず、その声を聞いた途端、何故か強烈に懐かしい感覚が蘇る。……それは今までの十七年の人生で、初めて経験したことばかりだった。働いてお金を貰う。労働の対価……。自身の時間を使い、身体全部を使って初めて働くという経験をした。たしかに辛く、苦しい日々もあった。聞いたこともない専門用語に、筋肉痛の毎日。それでも続いたのは多分……いや、間違いなく、この人の人柄が良かったからだ。両親よりも若く、でも俺の倍ほど年上の大人の人。なのに俺と同じ目線で、ずっと一緒に『仕事』をさせてくれた人。全てが完璧ではない、性格なんて結構ちゃらんぽらんな所もある。気に入らないことがあればすぐ怒るし、大きな銅鑼声で話す。――でも仕事では別人だ。どこまでも真摯に向き合い、仕事自体もすごく丁寧。何よりお客様を笑顔にしていた「職人」初めて尊敬できると思った人。


 だから、そんな人に対して連絡が遅くなってしまった俺は、叱られる覚悟だったが、親方は久しぶりに連絡してきた、親戚の子供に話しかける様に、近況などを聞いてきた。



「――それで、彼女のサイト。見てくれたか?」

「はい。でも、コメントとかはしてません」

「そうか」

「大体俺、彼女と何も話せてませんでしたから。それに彼女も俺のことなんか、気になって無いでしょ。それがいきなりコメントなんてしたら、怖がらせるかも知れないじゃないすか?」


 なぜ、そんなふうに考えたのかはわからない。……でも、書けなかった。理由なんて理解りきってる。多分、親方にそこは見透かされている。でも親方は茶化してきたりはしなかった。


「そか。でも彼女、ちゃんとお前の事、見てたぞ。アフターケアで行った時、お前のこと聞いてきたし」



 ――「どんっ」と胸を叩かれた。



「え? あの、それって――」

「あぁ、いやそんなに大したことじゃない。アフターは俺が一人だったからな、「彼は今日は一緒じゃないんですか?」程度で聞かれたんだ」



「でもな。それが切掛ってのもおかしな話だけど、それで、パソコンに繋がったんだ。で、アドレス貰ったんだよ。だから彼女はお前が見てても、判ると思うぜ」


 ――何だよ! なんでそこでウキウキするような言葉を言ってくるんだよ! ……もう正直、心の中はドキドキして、気持ちが浮ついてしまっていた。だからそのままのノリでつい、言葉が溢れてしまったんだ。


「で、でもね親方。気付いてるでしょうから、ぶっちゃけますけど、正直、一目惚れって、どう接していいか、全く分かんないっす」

「を! やっと、自分から言ってくれたか。……なぁ康太、少し俺の話、聞いてくれ。お袋と親父の事だ」


 何だかんだ言っても、この人は……。親方は俺の告白を聞いた後、茶化すこともせずに、少しトーンを落として、小さな声で語り始めた。




 親父がお袋と初めて出逢ったのは、親父が盲腸で、運ばれた病院だったんだ。まぁ、盲腸の方はすぐ手術して、順調に退院したんだけどな。その後、経過観察の通院時に会計所で、順番待ちの列の前に居たのがお袋だった。……一目惚れだったらしい。親父もその頃は、まだ若かったから、追いかけて声を掛けたらしい。でもお袋は完全無視。親父は諦められずに、さっさと前を向いて歩く、お袋の前に回り込んでもう一度、声を掛けた。


 お袋は、そこで初めてオヤジを認識して、オロオロ。当然だ、お袋は聾唖者。全く聞こえない人だったからな、びっくりしたと思うぜ。そんな事を知らない親父は、それでもお袋に、お茶だけでもと言い募っていた。すると偶々、お袋を知る看護師さんが通りかかってな。そこで初めて、お袋が耳が聴こえないって事を聞いたんだ。


 そういう人との接点がなかった親父は当然、固まった。事情を看護師から聞いた、お袋は真っ赤になって、走り去っていった。そりゃそうだ、お袋にとっても初めての経験で、只々恥ずかしさの方が勝ったんだろう。だけど、親父の方は走って逃げるお袋を見て、ダブルショックで茫然自失。看護師さんに呼ばれるまで、立ち尽くしてたんだと。



 ――コレが、俺の親父と、お袋の始まりだった。



 ……でもな、そこから親父は頑張ったんだ。


 彼女がこの病院に通っているのは判ったから、時間帯も今ぐらいと当たりをつけて……。


 その当時、手話なんてものは、一般的じゃなかったから、調べるのにかなり苦労したらしい。それでも親父は諦めなかった。毎日少しずつ、一音ずつ、そして一言へ。


『おはよう』『初めまして』『こんにちわ』『こんばんわ』『ありがとう』てな感じに、初歩からゆっくり確実に……。気づくと既に一ヶ月以上経ってたらしい。それでも、病院には必ず顔を出してた。……自分の通院はとっくに終わっていたのにな。仕事、中抜けして、時間帯を見計らって。


 そうして、やっと。会計を済ませた、お袋を見つけたんだ。……今度は失敗しないように、正面からお袋に近づいて、一番の笑顔で。拙い手付きで手話を使って、語りかけたんだよ。



 ――こ・ん・に・ち・わ。――ま・た・あ・え・ま・し・た。



 お袋は、やっぱり逃げたそうだ。ただ、言葉は伝わったんだろう、きちんと会釈だけはしてくれたらしい。そして恥ずかしそうに駆けていくお袋の背中を、親父は黙って見続けてたそうだ。


 追いかけなかったのかと聞いた俺に、親父はこう言ったんだ。




 ――本当に伝えたかった言葉、言えたからな。……あの時はそれで充分だった。


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