2-6



「──本当に大丈夫? 足元がふらついたりとかはない?」

「はい、問題ありません」


「……そう。じゃぁ念の為に、こちらの連絡先を渡しておくわ。今日大丈夫だったとしても、翌日以降になにか起きるとも限らないからね。その場合は必ず連絡をくださいね」



 救護室で二十分ほど様子を見たが、問題なさそうだったので、看護師さんに帰ると報告した所、そんなふうに言って、何やら書類と名刺を渡された。自分たちの不注意での怪我では有るが、やはり施設内で起きた事故なので、何か在った際には施設の方できちんと対処するとの事だった。コンプライアンスがどうの言っていたが、その辺はよく理解できなかったので、適当に相槌を打って救護室を後にした。


 このプール施設に入ったのは午前中だったが、スライダーの順番待ちや、今回の事で結構時間が経っていたようで、時刻は既に昼を優に過ぎていた。当然この後プールで遊ぶといった雰囲気にはならず、各々分かれて着替えをすることになり、ロッカールームで別れる。



***+***+***+***



「……康太その腕、ほんとに大丈夫?」


 ロッカールームで着替えていると、健二が心配そうに話しかけてくる。「大丈夫だよ」とは答えておいたが、確かに痛みは結構酷い。折れたりひびが入ったとは思わないが、恐らく筋は痛めただろう。有紀を捕まえる時、かなり無理な体勢になったのは分かっている。水面に落ちたときには抱え込んだので、彼女の方は問題ないとは思うのだが、その衝撃で俺も一瞬では有るが気を失った。直後に滑ってきた健二達が、水面に浮かんだ俺達を助けてくれたから事なきを得たが、あのままだと溺れていたかもしれなかった。スタッフや周りの野次馬が一斉にきて、騒然となったが、おかげで顔をよく見られずに救護室へ行けたのも幸いだ。現在そのせいもあって、スライダーは点検中になってしまったが、明日にはまた再開されるだろう。


「──悪かったな、腕は問題ない。有紀にはもうそんな顔で話すなよ、気にされるのはもっと嫌だからさ」


「へ? 俺、そんな悲壮な顔してる?」

「悲壮と言うか、根暗?」

「──ねぇ、それって悪口だよね」

「……あはは、分かってるじゃないか」



 ──その後、馬鹿なやり取りを幾つか交わしながら、着替えを終えてロッカールームを出る頃には、いつも通りの健二に戻ってくれていた。



 外に出ると、午後の茹だるような日差しがまた襲ってくる。俺と健二はその日差しを避けるように、施設入り口の屋根の下に待避して、女子二人を待つ。ふとスマホの時計を見ると、時刻は午後三時を数分過ぎた所だった。


「なぁ健二、これか──」

「お待たせぇ」


 健二に、この後どうすると聞こうと思った所で、タイミングよく佐知の声が聴こえた。



 結局、有紀の体調を考えて、今日はこのまま帰ることとなった。帰りの道中、皆無言だったので少し気まずかったが、駅前で別れるときには「またなぁ」といつもどおりの挨拶をしたので問題はなかったと思う。



 ──思うのだが……。


「あのさ」

「………。」

「君ん家、隣じゃね? 此処は俺ん家ですが?」


 有紀が黙ったまま、俺の家に付いてきた。


「なに? もしかして、やっぱ頭打った?」

「ちがう! ばか!」

「んだよ、ばかって?! あ! そか、あれか? 飯食っていきたいのか?」

「──康太のばかっ!!」


「すいません、玄関先で喚くの、やめてもらえます?」


「おばさん!」

「かあさん!」


 何時からそこに居たのか、母が他人行儀な口調で言いながら、胡乱な目で此方を見ていた。慌てて振り返ると、手に大きなエコバッグを持っていたので、スーパーに買い物でも行っていたのだろう。さも重そうな仕草を見せながら、俺に持たせようと近づいてきて、初めて俺の右腕に巻かれた包帯に気付く。


「あら、康太。その腕、どうしたの?」

「おばさん、ごめんなさ──」

「あぁ! これ? プールサイドではっちゃけたら、転んで擦りむいた」

「──!!」


 反射的に、有紀が応える前に被せて大きな声で遮った。その声が余程大きかったのか、有紀は肩を跳ね上げこちらを振り返る。一瞬母はピクリと眉を動かすが、俺はへらへらしながら、無言の圧で有紀を黙らせる。……ゴチャゴチャ面倒なのは嫌なんだ。


 ──その圧に屈したのか、有紀は黙ってそのまま俯くと、何も言わずにギュッと手を握りしめていた。



「……プッ。あははははは! 何いい年してプールではしゃいでんのよあんたは。あははは。バカだねぇ」

「るせ。バイトも終わって、開放感に浸りたかったんだよ」

「ははは。あぁ、そうだったねぇ。恵が臭い臭いって、五月蠅かったもんねぇ」


 クソ! 地味に嫌なことを思い出させるな。……あろう事か我が妹は、お兄ちゃんを生ゴミ扱いしやがって! まじで、ファブってきた時は、心がポキポキ言ってたよ。てか、母よ。ダメ押しみたいに、俺の心をブロークンすんな! そんな精神攻撃で、ヒットポイントがガリガリ削られていく中、必死に作り笑顔を貼り付けていると、既に興味はなくなったのか、母は俺を完全無視で、エコバッグを持ち直し、有紀に視線を向けながら、玄関ドアへと歩き出す。


「で? 有紀ちゃんは、どしたの? 絆創膏肘に貼っているけど、まさか有紀ちゃんも転んだの?」

「あ、いえ。……これは──」

「まぁいいわ。夕御飯、食べて行きなさい。──康太はシャワー入れるの?」

「あぁ大丈夫。腕になんか、袋でも被せて入るよ」

「そう。じゃ、先に入ってきなさい。有紀ちゃんのお母さんには、私から連絡しておくから、有紀ちゃんもシャワー浴びておいで」


 流石、我が母。伊達に人生長くないねぇ。……おおっと、一瞬で睨まれた。何故だ、俺の心でも読めるのか?



***+***+***+***




「だーっはははははははははは! 死ぬ! しぬ! メッチャ草ァ! 転んだ?! プールサイドで転んだって?! あはははははは!」


 ──妹よ、笑うのはまだ許す。だが、君は白飯を口に入れたのを忘れたのか? ご飯粒、お兄ちゃんの顔にめっちゃ飛んでますよ。


「もう、恵。ご飯粒飛ばさない」

「だって……フハっ! 想像したら、あ、あははは!」

「──もう。で、そっちは? 今日は楽しかったの?」


 いやいや母よ、コイツはコレでいいのか? 妹はコレで大丈夫なのか? お兄ちゃんは、そこはかとなく哀しいやら寂しいやら……。後、飛沫も飛んでるからね。ティッシュ何処だ。


「あぁ、楽しかったから、はしゃいでこうなっ──」

「やめろ~~! しぬから! 笑い死ぬ~~!」


 ぐっ……。流石の俺もここまで笑われると、いい加減に嫌になる。俺は既に能面になり、無表情で飯を食ってはいるが、我が妹はお構いなしにケタケタと……。


「ごちそうさま!」


 残った夕食を掻き込むように口に頬張ると、それだけ言って独り寂しく、部屋へ不貞腐れに行った。




「ひぃひぃ。──笑った笑ったぁ。」

「もう、恵。笑いすぎよ、流石に康太、怒ってたわよ」

「だってさ、そんな事ある? 高校生にもなってさぁ──」

「違うんです!」


 流石に有紀も我慢できなくなったのだろう。それまで黙っていた有紀が、突然声を出した。自分のせいで康太は怪我までしてしまったのに、それを言わないどころか自分の不注意で転んだなんて言ってしまって……。そのせいで恵ちゃんに笑われて、結局嫌な思いをする結果だなんて。それは嫌だ!


「おばさん、恵ちゃん。……康太くんの怪我、私のせいなんです」

「え?」

「……。」


 突然の告白に恵はぽかんとして有紀を見つめ、母は無言で目を閉じる。そうして静かになった食卓で、有紀は今日起こった事の経緯を話し始める。


「今日、ウォータースライダーで、私、気絶しちゃって……。着水の寸前の所で浮き輪から落ちたんです。そこを、康太くんが私を抱え込んで、そのまま一緒に落ちたらしくて。だからあの怪我は私を庇ってできた怪我なんです」


 有紀は一気にそこまで言った後、自分の肘の絆創膏を見つめ、反対の腕でそれを抱えるようにして俯いてしまう。その様子を黙って見ていた母は、「そう……」と一言言った後、小さくため息を一つ零し、有紀の方に目線を合わせず語り始めた。


「ねぇ有紀ちゃん、康太はそれを気にしてた? その怪我を有紀ちゃんのせいとか言ってきた?」


 え? 康太が? いや、何も康太は言わなかった。いや、ちょっとムカつく言葉は言われたけど……。怪我のことをどうこうなんて一言も言わなかった。


「それに康太は私に『プールサイドではしゃいで転んだ』って言ってたわよ。……じゃぁ康太は私に嘘吐いたの?」


 ──違う! そうじゃない! まぁ、嘘と言えば嘘だけど、そんな意味じゃなくて、私を庇って、怪我までしたのに! 


「有紀ネェ」


 私が二の句を告げずにもどかしがっていると、横に座った恵ちゃんが口を開く。


「康太は康太だよ」


 ──いや、貴女は笑い過ぎだよ。貴女のお兄ちゃんでしょ?!


「そうね。康太はドジだし」

「最近は臭かったし」


 いやいや、二人共! てか、恵ちゃん、それってかなり酷くない?!


「それよりも、有紀ちゃんは大丈夫なの? 頭打ってないの?」


 ──! あぁ、そうか。おばさんは解っているんだ……。わかった上で康太の事を。──やっぱりここは温かい。私を無条件に受け入れてくれる……。あの時だってそうだった、今もずっと同じままで。私と私のお母さんも全部……纏めて一緒に家族になってくれた人達。お父さんを失って、総てが変わってしまった生活を、ここの皆は取り戻してくれた。真っ暗になった私の前を、温かい明かりで灯してくれた……。そう思うと急になにかのたがが外れ、涙が溢れて止まらなくなった。


「は、は……い。だいじょ……グスッ」

「ほらほら、泣かないの」


 そのまま食卓に突っ伏して崩れるように泣き出した私を、おばさんは優しく背中をいつまでも撫でてくれた。





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